ゆずの曲に「幸せの定義」という曲があります。今回はこの曲の良さを紹介します!としても良かったんですが、それはまた別の機会に。今回はこの曲のタイトルにあやかって、幸せの定義についてのお話しします。 幸せを感じる時ってどんな時でしょうか?僕は専ら食べることで幸せを感じます。他にももちろん幸せを感じるタイミングはありますが、この「幸せを感じる瞬間」が、他人に依存している人は実は不幸なんじゃないかと最近思ったわけです。 例を持って説明すると、幸福自己完結型の人は、ゲームをしたり本
欲望について。 なんだか内容が似たり寄ったりなのは、毎日自分が同じようなことで悩んでるからであって、是非、読んでくださってる方は「またくだらないことを考えてるなぁ」程度に流し読みしていただきたいところなんですが、人間が欲を出すのってどうなんでしょうか? 両親の教えや、日本の風土も相まってだと思いますが、我慢することを良しとする考えが脳内に根付いてる気がするんですよね。 自分を殺して相手を立てる。まさに日本を代表するような美意識というか、昔懐かしの対人交流方法だなぁと思い
自分の好きを晒すのって難しくないですか? これは自分の過去や、これまでの生き様が関係しているのかどうか、考えてみても答えは出なかったわけですが、どうしても「これが好き!」とか「これすごくいいから見てみて!」とかを言い難いなぁと思うわけです。 ここからは自己分析ですが、自分の好きを否定されるのが怖いのかな?なんて思います。否定されないにしても、興味を持たれないと、「あぁ、自分のことなんてそりゃ興味ないよなぁ...。」となってしまう、なんとも難儀な性格をしているんですね。
挨拶って素晴らしいですよね。 「そんなことより薔薇チャレンジってなんぞや?」と思ってる方、大多数だと思います。 以前なにかの本で、 「薔薇の花を相手の胸ポケットに差し込むように、清々しい挨拶をしましょう。」 的なことを書いていて、それに感銘を受けた僕は、挨拶のことを薔薇チャレンジと名付けたわけですね。 とはいえ、街行く人たち全員に挨拶してたら、ただのイかれた男になってしまうので、流石にバイト先の同じフロアにいる人ぐらいにしています。 意外と挨拶をすると返してくれるもの
承認欲求。 SNSが普及してからよく聞くようになった気がしますね。 最近まで僕は承認欲求という麻薬に溺れていました。そこで楽しんだ風景も、一緒に遊んだ友達も、そこにある現実さえも見えず、見えていたのはいいねの数と投稿への反応のみ。なんて愚かだったのかと今なら言えます。 まぁ流石に今のは言い過ぎですけど、目的が移り変わってないですか?と。どんな投稿したらいいねしてもらえるかなとか、反応してもらえるかなって考えが先行しちゃって、その場を楽しむ事に全力を尽くせていなかったので
明日やろうは馬鹿野郎。よく聞く言葉の並びですよね。 「明日やろう」というフレーズを聞いただけで「馬鹿野郎」だと断定するのは尚早なのでは?と毎回思います。 第一、明日やると決めてる時点ですごいことなのでは?人間決断するのが1番ストレスかかるらしいので、何かを決断してる時点で褒めてあげたいなと思うわけです。 何より明日やると決めて実際に実行に移せれば、それは「有言実行」という称賛に値する行為に成り上がるのでは?かなりすごいことなのでは?と。 なんて考え方できる人間がいっぱ