駄文書き殴り
4月になった
桜が咲き始め平日は小学生が小さな歩幅でランドセルを揺らし、猛スピードで自転車を漕ぐ学ラン姿の高校生が通り過ぎていく
休日の公園には花見にかこつけて酒盛りをするスーツ姿の男女や大学生
澄んだ青空に桜の淡いピンクが舞う
よく受験現代文で青空は晴れた心を、雨は悲しみを表すことが多いと言うが私は違った
何も変わらないようで少しずつ変わっていき美しく慌ただしく移ろいでいく季節をただ煙草の煙に包んで紛らわすように眺めていた
この先に未来を示す光も差さず終わりを示す雷雨も見えず、確実に変化し移ろぐ四季を尻目に閉塞感に満ちた煙のような鈍色の空が重たく僕を包んで離さない
一時期ヤケになって以来ハマっていたオーバードーズもやめた
薬は決まった時間に飲むようになったし睡眠リズムを極力崩さないように務めてきた
しかし変わらない
変わりたくないのかもしれない
どれだけ相談しようがどんな薬を飲もうが変わらない、悪くはなっても上向かない
そのうち薬に慣れれば効かなくり睡眠リズムは保てない、薬を変えれば仮眠になり慣れてくれば不眠になるその繰り返し
情緒不安定は相変わらず治らない
例え元気かもしれないと思ってもまた落ちる時が来ると思うと心の底から元気に振る舞えない
振る舞う気力もなくなった
この状態から早7年
恐らく所謂「普通の人」が送る1番人生で大切な7年をドブに捨てて出来上がったものはペラペラの薄っぺらな何か
文書ならA4一枚で余白ができるほどの薄さ
過去の話をしても仕方がないがこんな生活をあと何年続けるのか、続ければいいのか
自分は何も変わらず周りだけが自分を置き去りにして自分など最初からいなかったかのように変わっていく
そして変わっていく世界と変わらない自分を省みて自分の首が今でこそ真綿であっても数年後、ともすれば明日にでも自分の首を絞める綿が頑丈なロープに変わるのではないかという危機感とどこか安堵の交じった濁った感情が渦巻く
この安堵はやはり自分が一番分かる
自分はこの怠惰で閉塞したままの偽りの平和に幕を閉じたいのだと思う
だからこそ2度試みた
しかし今思えばそれぞれの背景に名をつけるなら1度目は「失意」であり2度目はハッキリと「衝動」であろう
では3度目は何か、それはもう「終わりたい」その一言に尽きる
1度目2度目にもあったがそれ以上、今私はこの目が覚めているこの時間を閉じたいのだ
つまらない本を途中で閉じて本棚に仕舞うように意味の無い人生を閉じて葬って欲しいのだ
最後まで他力願望なところが自分が今の人生を送るハメになる要因が詰まっているだろう
しかしこの病に罹ったこともあるがそれ以上にこの失った7年はどう頑張っても取り戻すことの出来ない7年なのだ
よく歳を過ぎた者は若いうちは〜と言うが誤解恐れず言うなら15~25までの10年と25~35までの10年は価値が全く違うのである
高校、大学と受験を突破し就職するまさに人生の分かれ道である10年がその後の10年20年と同等であるわけがない
その後の10年20年のための10年なのだから
その10年のうち7年を溶かした自分に救いは無い
救いようもなければ救いもいらない、生きたいとは思わず死に向かう心がゆっくりと振り子のように振れていく
私はやはり、死にたいのだ
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