日記 サンドイッチと自尊心/純潔な疑問を磨く
・午前中、友人に誘われて、広い公園の中にあるカフェに行ってきた。
少し殺風景でテラス席に気持ちの良い風が通る、クロワッサンを使ったサンドイッチがとても美味しいカフェだった。
すごく気に入り、「千と千尋の神隠し」の主人公のように、「ここで働かせてください!!!」と言いたくなるほどだった。
無職になってから、やたらとボランティアで働きたくなるようになった。
時給に縛られるより、自分の最善をひたすらに喜ばれながら仕事をしたい。
“誰かの役に立ちたい“って気持ちは、“存在意義が欲しい“と関連付けられることが多いので、私は恥じてしまう。あんたも結局そうなんですかって言われているみたいで、つい気まずい顔をしてしまう。
でもまぎれもなく持っていることを認めざるを得ないし、その関連付けは間違っていると言い切れるほどの自尊心も無い。
いつも用事がない時は11時か12時くらいまで寝ているので、8時半に起きたこともあり昼食を食べた瞬間から眠くなったが、なんとなく家に数年前から置きっぱなしのモンスターエナジーがあることを思い出して、飲んでみることにした。
エナジードリンクを飲んだという意識からやたらと元気になり、家中の掃除、茶碗洗い、筋トレ、英語の勉強、聖書の勉強をこなした。
これを書いている23時42分現在もなぜか活力にあふれていて、眠れずブルーライトで目を焼きながらこれを書いている。自分が躁転していることを察する。
最近鬱気味だったこともあり、困るなあと嬉しいなあが同居している気持ちだ。
躁鬱にならないよう主治医の「攻めの井上」先生は様々な薬の配慮と様々な指示を出してくれているけど、やっぱり躁は楽しい。
エナジードリンクをきっかけに躁転しましたって先生に言ったら禁止されるかもしれない。
急に襲ってくる憂鬱や常にまとわりつく眠気をコントロールしたいだけなのに。
躁を因数分解するほど鬱の存在が明確になり近づいてくるように感じ、やっぱり怖い。
悲しみは嫌いじゃないけど、やはりできることなら幸せを噛みしめながら時間を進めたい。
・SNSの相互さんに教えていただいた湯本果樹実さん文の絵本「くまとやまねこ」と「橋の上で」を読んだ。
最近湯本さんの小説「夏の庭」を読んだこともあり、湯本さんが持つ死や孤独感への向き合い方に惹かれる。
絵本にしろ、小説にしろ、湯本さんは死や孤独を誰もが子供の頃考えるかのように向き合っていて、宗教も哲学も、他の何ものにも頼っていない純潔な疑問を磨いているように感じた。
私を含め、誰もがいつか愛する人を亡くす経験をする。
人に理解されない孤独を持つことがある。
そういう自分の心がささくれて無防備な時、もしくは狭い部屋に閉じ込めてしまいたくなるとき、またこの作品たちに会いたいと思った。
そうやって、湯本さんに倣って死や孤独と向き合いたいと思った。