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自分の、あゝ上野駅・・

こんにちは。
腕時計の話をいっぷく、先月に続き戯れ言を少々。

写真の時計は、'64年製ホーマーの中3針。
「5. 浮かび上がる人物・・ Homer date(’64)」でも書きましたが、
ホーマーは、鉄道時計で有名ですよね。
何よりも時間に厳しい国鉄で使われた腕時計、誇らしく針を動かします。


JRでなく国鉄時代の思い出話になります。

自分の実家、昔で言う「北の玄関口」、上野駅まで自転車で行けるところにありました。
ですので、小学から高校までの遊び場は、上野近辺(あとは浅草近辺)でした。

かれこれ、47,8年近く前。
小学時代、特急電車、電気機関車、ブルートレインが好きで、上野駅はもう宝の山。
日曜日や、土曜の午後など、友達とこぞって、上野駅に列車を見に行ったものです。
半地下から、広く高い中央口。
確か20番まで続く地下ホームなど。
どこも好きでしたねえ、電車が出発到着する時間を見計らって構内を走り回っていました。

構内で遊んでいると、警察官や鉄道公安官に肩を叩かれることもしばしば。
挙句には、一度、補導されています。
どうも自分、家出少年と間違えられるタイプだったみたいです(笑)。
おふくろが呼ばれすっ飛んで来て、「いないと思ったら!(怒)」と、頭をはたかれたことも思い出します(笑)。


駅は違って横浜の桜木町駅の構内写真です。 
たぶん、こんな子供だったかと。


中学になり、鉄道熱も冷めては来たのですが、メインの溜まり場が上野になります。
一番の遊び場は京成百貨店の屋上遊園地だったかな、街中のゲーセンにもよく行きました。

映画は、しのばず口右手から公園口に向かう坂の手前に並ぶ映画館。
安い服なら西郷さん下の聚楽台下の「ユニーク」、ちょっとおしゃれ服なら「ABAB(アブアブ)」。
床屋は、駅構内から日比谷線につながる暗い地下道にあった小さい店。
雑貨は、御徒町の多慶屋だったっけ、多慶屋は今でもあるみたいですね。

坂を上れば広い公園や動物園、お使いを頼まれればアメ横と、上野駅を中心に友達とたむろってました。


高校生になると、毎年夏休みのひと月は、上野駅の切符切りのアルバイト。
学生服に腕章で、楕円の改札ブースに立ち、ひっきりなしの乗客の切符を切り続けるバイトに勤しみました。

時給なんですが、とても暑く利用客も多いからか、30分交代制。
自分が鉄道ファンと知った職員さんが、休み時間に利用客が入ってはいけない所まで案内をしてくれたっけ。

同じアルバイターとどれだけたくさんの切符をさばくことができるか、足元に溜まる切りくずの量を競争。
パンチ(切符を切るはさみ)をくるりと回す技や、空切り音でリズムを奏でる技も身につけ、いっぱしの国鉄マン気取りでした。

お盆の週は、休憩時間無しで帰省客の整理に駆り出されます。
さすが、日本で乗降客数1,2を争う上野駅、すさまじい数の人人人そして人。
乗り換え案内から落とし物の受付、ホームの掃除まで、残業してもあっという間に1日が終わってました。
思い返すと楽しかったですねえ。


これも桜木町駅の構内写真
自分の切符切りの頃より10年ほど前の写真かと、
雰囲気は変わりません。


そんな、たくさんの思い出がある、上野駅。
自分にとって、とても印象深い場所です。


***

部屋の片隅にこんなシーンを飾っています。


力石の死から立ち直れず、
どさ回りボクシング興行団と待ち合わせの上野駅に、ひとり向かうジョー、
そこで少年と出会います。

TV放送された時期、自分、ジョーと会った少年と同じくらいの年頃です。
見るたびに、この少年と自分を重ね合わせています。

そして、ジョーが見ている上野駅の中を走り回っていたんだなあ、
と思うと、
なにか、じーん、ときます。



おつきあいいただきありがとうございました。
楽しい週末をお過ごしください。

FLH