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17. ある悲劇からの実用腕時計考・・

こんにちは。
おやじの左手です。
趣味のひとつとして、1960年代の国産手巻き実用腕時計を集めてはこつこつと修理をしています。
記事の趣旨は、「自己紹介」をお読みいただければと思います。


今回は、この note で、いつか書ければ、と思っていたことで、
ちょっと重たい話になります、ご容赦ください。


時計趣味から、時計に関するいろいろな文献や書物を読んでいると、
時々、ラジウムガールズという話に触れることがあります。


アメリカの時計産業で、とても大きな社会問題となった、
今から100年くらい前に発生した、数百人(詳細人数不明)といわれる、
女性工員たちの放射性夜光塗料による放射線被害の事件。

被ばくされた工員たちが、ここには書けないほどの心身になり、
尊い命を落とされました。
このような大惨事であり、さらに醜いことに、
雇用会社の嘘と隠ぺい、裁判の遅延、被害者への風評被害など、
被害者を顧みない、あまりにも罪深い悲劇になりました。

そして、この話は、
この被害から立ち上がった女性たちの闘いから、判決や賠償だけでは
収まらず、労働環境の保障と安全へと進んで行きます。
今日の労働者の安全は、このラジウムガールズから始まったと言っても、
過言ではありません。


詳細は割愛させて頂き、「ラジウムガールズ」で検索頂ければと思います。



話は、この悲劇を知った時の、実用腕時計考になります。


自分が、入手する1960年代の国産実用腕時計たちにも、
文字盤や針に、夜光塗料が塗布されている時計があります。
見た目にもう発光はありません。

ですが、大丈夫だろうか?
と、文字盤の夜光塗料について調べてみたことがあります。


記憶話により、誤解があるかもしれません、参考程度にお読みください。


文字盤に塗布する夜光塗料には、「発光タイプ」と「蓄光タイプ」があり、
放射性物質を使わない「蓄光タイプ」が主流になるのは、
1990年代になってからの様子です。
日本企業が開発した、ルミノバっていう塗料からかと、
ですので、自分が入手する時計たちは、「発光タイプ」だと思っています。

その「発光タイプ」が、
発光するために微量の放射線物質(ラジウム)が使用されるものになります。
国産では、1930年頃にセイコーが発光塗料を使った時計を発売したようです。

実際の着用にあたっては、
風防で防げる微量の放射線で人体への影響は無いとのことでしたが、
(ラジウムガールズは、工員が、文字盤への塗料塗布で使う筆先を口で
整えたことで、放射線物質が体内に蓄積された放射線被害でした)
これらの社会問題から、ラジウムの使用が禁止の方向に進み、
1960年頃から、ラジウムより安全性が高いトリチウムに変わったようです。


トリチウムも、極微量から微弱な放射線で、着用は風防で防げるとともに、
半減期が約12年と短く、1960年代からの経年数を考えると、現在で約1/32。
トリチウムの塗料は劣化すると、薄緑から肌色に変色するようです。
確かに、手持ちの腕時計の文字盤を見ると、どれも肌色になっています。


文献だけの知識と勝手な判断で、実際に放射線量を測ったことはありません。
ちなみに、ラジウムの半減期は1600年!
材料変更時期のグレーゾーンで、どちらの材質の塗料かわかりませんが、
暗い所で発光は見られないことと、
修理や組み立てで、素手で触る部位ではないこと、メガネをしていること。
(それ以前に、どの文字盤も素手で触っちゃ絶対にダメ!)

かつ、当時の厳格な規制に則り作られた時計であり、
製品として問題は無いということを踏まえて、
手持ちの時計たちは、大丈夫だなと考えて、いじっています。


ですが、
夜光塗料がある文字盤を見るたび、
ラジウムガールズの悲劇が思い出されます。



ここから、遥か彼方の地で起きた、100年前の出来事。
アメリカ、イリノイ州、オタワに、その慰霊碑があると聞いています。
半減期1600年、彼女たちはお墓の中で未だ発光していると言われています。

時計という必需品、宝飾品、精密機械を作る方々、開発する方々の、
血が滲む努力と知恵と力量は、称賛するに値しますが、
その影に、このような悲劇もあることは、忘れたくないと思っています。

そして、これは、腕時計に限った話ではないとも、
今でも、どこかなにかで、起こり得る話ではないかとも。


この note の場で、ということではなく、
趣味でも時計に携わっている一介の者として、
いつか、以下の言葉を、感謝を込めて記したいと思っていました。

「尊い犠牲の上で、」
「私は、腕時計趣味を楽しませてもらっているかもしれません」
「あなた方について、私は、何もできませんが、」
「せめて、忘れないように、いたいと思います」
「被害に会いました方々に、感謝と、心からのお悔やみと、ご冥福をお祈りいたします」


<追伸> 
では、スイスは? と、思った方もいらっしゃると思います。
スイスでも同様の被害はあったと推測されていますが、
塗布筆を口で整えるような、危険な作業指示はなかったらしく、
原因と実害が結びつかず、不明のまま終わったような資料を読んだ憶えがあります。
日本は、資料を見つけられておりません。



私の想いの話におつきあいいただき、ありがとうございました。
さて、次回は、未来に向けての話をしたいと思います。^_^/
FLH