さようなら、有楽座、日比谷映画・・
こんにちは。
時計の話しは置きまして、
月イチの、いっぷく記事です、こんな思い出話など・・
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自分にとって、すこし堅いシート。
大きいスクリーンには、”落ち葉の中、アンナが振り向きもせず、去ってゆく”
有名なシーンが流れ、幕が下りた。
(ハリーとアンナみたいに、自分もこの場所とお別れだ・・)
たくさんの人の流れに乗り、劇場をくるりと回るひんやりとしたロビーを歩く。
丸いソファーの横を通り、出口に向かう。
(ここで、プログラムを買う友達と待ち合わせしたなあ・・)
『ほんとによく(回数だと思う)、来たな、ここ』前を歩く、老夫婦の会話。
なんか、ジーンとくる。
映画館を出て、自分は振り向いた。
重厚でありながら控えめな高さの丸い「東宝」マークの塔。
隣には、元演芸場の趣を残す低い庇。
そして、目を見張るくらいの大きな看板。
看板には、「さようなら、有楽座、日比谷映画」と大きく書かれていた。
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今から40年ほど前まで、
有楽町駅から歩いて10分くらい、今の日比谷シャンテの場所に、
「有楽座」と「日比谷映画(劇場)」が、ありました。
自分と同じ世代、自分より前の世代の方々にとって、
この映画館にたくさんの思い出がある人は多いと思います。
写真の冊子でも、淀川長治さん、小森和子さん、池波正太郎さんなど著名な方たちが、素晴らしい思い出を語っています。
(淀川長治さんなんて「なんで無くなる!」と怒って、最後は「サイナラ、サイナラ」で締めています:さすが!笑)
著名人や愛好者の足元には及びませんが、ここは自分もちょくちょく通った映画館でした。
行き始めたのは、「スターウォーズ」や「未知との遭遇」あたりからだったかなあ。
とすると、自分は、たった5年ほどのお付き合いなんですが。
有楽座は、横幅20mのビッグスクリーン!、当時は最大級だったと思います。
「未知との遭遇」の迫力にとても感激したことは、今でもよく憶えています。
中学、高校時代は友達とこぞって、大学生になるとレイトショーなど。
この映画館はどんなスタイルでも、受け入れてくれました。
そういえば、こんなことも、ありました。
有楽座にスタローンが来るとかの噂をどこからか掴み、疑いながらも友人2人と行ってみたら。
案の定、やっぱりガセ。
せっかく来たんで、映画観てくか、と、観た映画が「エレファントマン」。
ガセのショックなのか、映画の悲哀に心打たれたのか、3人とも帰りは無口でした(笑)。
高校のツレとお酒を飲む時、必ず出る笑い話です。
あの頃の映画館って、人気も凄かったですが、観客も詰め込むだけ詰め込みましたねえ。
シートにカバーがかかった指定席はごく一部。
昔のディズニーランドばりに並び、開演とともに、席取りダッシュ!
入場制限などというものは無く、立ち見や、通路に座り込んで観ることもザラでした。
今の映画館では、信じられない光景です。
この映画館も、休日の昼間は同じようなもので、外も中もあふれんばかりの人人人。
さすが、娯楽の王様!
これが、映画館の本来の姿なのかもしれません。
この映画館の近辺も、たくさんの映画館があふれてました。
日本映画専門の「千代田劇場」それから「スカラ座」「みゆき座」などなど。
映画館ではないですが、はす向かいには「宝塚劇場」「日生劇場」がありました。
「有楽座」「日比谷映画(劇場)」を中心にした日比谷映画街。
映画や演劇に夢を託した人たちの憧れの場所だったと思います。
そうそう、もうひとつのお楽しみ。
裏手には広いゲームセンターがありましたっけ。
映画を観たあと、ゲームに興じたっけなあ、自分はこっちに夢を託してました(笑)。
昭和59年、自分が19歳の時です。
日比谷の再開発事業で、惜しまれながら、このふたつの映画館が閉館となりました。
代わりというかわかりませんが、閉館と時期を合わせ、有楽町駅そばに「有楽町マリオン」が出来上がり、
そこの日本劇場の、こりゃまたどでかいスクリーンが、すごい話題になりました。
そして、映画ファンの流れが、日比谷から銀座の方向に変わりました。
消え行くもの・・・ 生まれ来るもの・・・
どんな素晴らしい映画でも、二時間も経てば、必ず終わりがやって来ます。
映画館を出て、振り向いた、あのとき、
「有楽座」「日比谷映画」が、身を持ってそれを、自分に教えてくれた気がしました。
「有楽座」、「日比谷映画」
自分の青春映画のワンシーンです。
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簡単ですが、自分が知っている歴史です。
・日比谷映画劇場
昭和9年開場、洋画を中心に骨太な映画を上映
「スプラッシュ」が最後のロードショー
・有楽座
昭和10年に演劇劇場として開業、24年から洋画ロードショー館になり、
話題の映画を中心に上映
「インディージョーンズ~最後の聖戦」が最後のロードショー
これは、自分もここで観ました。
・昭和59年10月13日~11月11日
「さよならフェスティバル」を盛大に行い、50年の歴史が終わりました。
本当の最後の映画は、有楽座の「風と共に去りぬ」でした。
<見出し写真、冒頭のシーン>
映画「第三の男」
話は「さよならフェスティバル」の時に観に行った、自分の話です。
長文のおつきあいをありがとうございました。
FLH