「安心感」を感じる視点。
安心感のために今いろんなモノを購入している人はたくさんいる。
私も以前は持っていなかったけれど最近必ず欠かさず持つようになったモノがある。
マスク。これだけ。手持ちの洗えるモノを繰り返し使っている。
してないと入れない場所があるから。
だけど家や一人でいるとき、周りに人がいない状況ではしない。
している方が不快で不調になるから。
していないと入れない場所ではしていない人がいると「不安」になる人が
いるからする。
余計な負のエネルギーの種を撒きたくもないし当たられたくもない。
知人の会社は抗体検査が全社員に行われるそうだ。
陰性だった知人は「安心感が増した」そうだ。
会社では騒ぎの当初から次亜塩素酸水の加湿器を使っていてガスコンロの火が赤くなるといっていた。
塩素が炎の色を変えていたのだろうから何らかの影響はあったのだろう。
私は立ち寄った先で塩素臭がきつい場所があり、この中で呼吸する時間をなるべく減らしたいから早く帰りたいと思った。
ここにいると電子機器の調子が悪くなるのではないかとパソコン開くのをあきらめた。
私は同じ状況にいて「安心感が削がれた」のだ。
視点が違うのに「安心感」を共通認識として様々な動きがある事についていけない。
「安心感」という感覚にたまたまそう強く思っただけで、私は常に感覚を共通なモノとして進む会話や行動に同調しようと思えない。
それで例え孤独になったとしても、それは私の選択だから後悔もしない。
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