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見逃してしまいそうな細い線

少し前
自己分析ワークで自分の好きな映画や本を書き出すという作業をしていて
そうしているうちに
本来の自分の意識が好きなことが見えてくるヒントとなるそうだ

書き書き
小さな恋のメロディ
ラ・ラ・ランド
The Waive
草原の輝き
…おや
どれもどこかせつなげな

わたしのしてきたこと
方向はズレていないと思う
ただ、いつしかエネルギーが枯渇してそれはカラダ(わたしの場合 筋肉の遺伝子)にあらわれてきたものだから
なにが本来の意識とズレていたんだろう?
本来の意識が喜ぶことでそれが誰かの幸せにも繋がること

模索のなか書き書き
してきたことと共通点を見出しにくい好きな映画
たしかにそのテンションが好きなのは自覚している

少しせつなげな波動


それは志と繋がりあるかしら??

形あるモノ
映画でいうと
仲間と一緒に居る空間や
誰が見ても恋人同士とか形になっている繋がりより
それぞれの空間、道へ歩んでゆき
一緒に過ごした日々が思い出になっても
経験した感動はずっと心に残っている
それは永遠に
(まさしく映画The waveのレオナルドディカプリオの語ったラストの言葉だよね
草原の輝きが好きな理由もラストのセリフ
『あの頃過ごした日々はもう二度と戻らない
けれどあの時の草原の輝きは今も胸の中で輝いている』のような言葉が響いたんだよね)

現実にそこにあることは儚いもの
諸行無常
形あるものはいつかは壊れるけれど
ココロに刻まれた幸せはその人のなかにずっとあるものなんだよ

的なことがわたしのツボを刺激し好きなんだなと分析。


それがわたしの歩いてゆく道にどう関わってゆくんだろう?


昨日
夏祭りで出店という初挑戦をしてきた
癒やしのイベントなどでは出店することもあるけどこういう町内会的な場でははじめて。
癒やしを目的とする集まりとは違う老若男女の皆さんの興味を果たしてひくかしら?そんな反応をみるのも楽しみだったし
ジブンの反応も楽しみだった

お母さん
お父さん
おじいさん、おばあちゃん
子供
お孫ちゃん
愛犬
ご夫婦

それぞれの時間が過ぎてゆく
夏祭りの愛おしい時間
きっと子供たちには大好きなママと過ごしたり
おばあちゃんにはカワイイお孫ちゃんとのひとときだったり
ご夫婦にはなにげなく過ごす心地よい幸せはときなんだろうなぁ

みなさんの様子を心地よく眺めて過ごした1日

これまでいたしてきた時も
イベントで沢山の方と触れ合い施術をするときは
いつもなにかその時その時の気づきがあり探究心が躍動する

うん
それがイベントの良いところで
経験値が上がる
感謝の気持ちも増す

それはそれで素敵なことなのだけれど

なんというか。。。
今までとあまり変わらない^^;
ここ数ヶ月
カラダの不調和からはじまり
内面的なことや食生活に過ごし方も見直してきて
コツコツと精神面見つめ直し視点を変えてジブンを見つめ人と接してきたけれど

一歩踏出したあとに感覚の大きな違いが無いのは
ほんとにコレでいいのかな?ってギモンも


夏祭り
太陽の下
沢山の人の集まり 焼き鳥の匂いや
はしゃぎ声 荷物の搬入でバタバタ

家に帰ってキレイに後片付けをして
汗を流して
窓からホゥと心地よい風をあびる
もう二度と同じ風は吹かないであろうそれを肌に観じ匂いを思い切り吸い込み

そうしたら
今日の場面が浮かび

あのお孫ちゃんが足に絡まるように甘えて優しく笑うおじいさんや
珈琲を飲みながら微笑ましそうに周りを眺めているご夫婦や
愛犬と人の集まりを愉しむ様子やetc…
「そっか
この方たちも全く同じく過ごすことは無いんだよね

「みんなの素敵な思い出になるんだ」

今日 出会った人たちの記憶に
大切な人と過ごす幸せな夏祭りの記憶に
わたしがチラッとでも登場していたら嬉しいな

お母さんを見上げてた子供の記憶に
その背後で耳の施術をしているわたしの青いギンガムチェックのエプロンなんかがオマケで映像に残ってたら
かなり嬉しいな

わたしという個体でなくても
ただただわたしが発信している施術という行為が
誰かの大切な人が癒やされてる姿を作り出し
子供たちならお母さんが微笑む姿として記憶に残る輝く思い出の一コマとして

ココロに残っていたら

それってその人のココロには
ひょっとすると
永遠に?!残るってこと?

妄想していくとココロがジーンとして泣きそうになる

そういうこと?
(どういうこと?と思われるかも)

細い線が繋がったような

そんな夏祭りの経験

防備録