どっちが先?

心模様

思い出について
考えていた

ふと その瞬間の写真が目に入ってくると
泣けて見れない

どうしてだろう
あんなに眩い瞬間を喜ばしいと観じながら見たいのに
思い出を思い出すことをくい止める自我
だけど大切な眩いそのワンシーンを悲しみにはしたくないからというもがき

そういえば
『そんな眩い瞬間 けれど今はもうその瞬間に戻れない』そんな映画や本が好きだ
キュンとなる刹那的な振動を好んでいて

それはわたしのもともとの資質なのか
と観察していた

そんな思い出について宇へ問いかけているとき
音楽家haruka nakamuraさんと写真家 星野道夫さんの詩の朗読による「旅をする音楽」に出逢えた
友人から送られてきたURL

〜想い続けた夢がかなう日の朝は、

どうして心がシーンと静まり返るのだろう。

・・・・・ぼくは、ふと、

"思い出”ということを考えていた

人の一生には、思い出をつくらなければ

ならない時があるような気がした〜
「ボクの出会ったアラスカ」小学館文庫 より

意味が理解できずに何度も繰返し聞いた
詩の意味は理解していないけれどharuka nakamuraさんの奏でるピアノの旋律と
その奏でる言の葉が相まって
涙涙

よく理解出来ないけれど
なにかそこに答えがあるような気がして何度も聴いてはココロがどんどん落ち着いてゆく

そうか
わたしは思い出を握りしめているんだな
眩いから余計に大切に思えて
ずっと手をグーにしてそのワンショットを握りしめている

思い出になる前のその時に
わたしはすでにそれが有り難いことで今を大切に刻もうと思っている
後でもっと大切にすれば良かったという後悔はあまりしたことがない
育った環境やその前の記憶も関係しているのか
そういう習性のヒト

すでに眩いことが起きていると知っているのにこれだから。。。
どんだけ眩い大切派?


 散りゆく華に流す涙は実りの秋の糧となる

ある日、ひいたおみくじの言葉


その思い出は華
わたしの記憶の中に人生の糧となり
輝かしい記憶のもとに歩み、善き人たちと出会い
夢中になれることに出会い
選んでこれたのもその糧があったから今の実を育ててこれた

その一瞬は永遠

握りしめていた、その瞬間をココロに刻む思い出に
時の流れを知り生かされていたのだな

その瞬間に感謝を感じた

一瞬の永遠
永遠の一瞬

どっちだ?
とまた深堀りしているうちに

いつの間にか流した涙とともに
そこから育んできた今にフォーカスできるようになっていた

さて
これからまたどんな華を咲かせてゆこうか