ジルベールとセルジュ、そしてボウという名の男、 「風と木の詩」 という物語
これほど、心を揺さぶられた「漫画」はなかった。今振り返っても、咽ぶココロが甦って来る。同性愛を扱い、それも少年愛を描く。それはインモラル、タブーの境界線を軽々と超越してしまっている。
ジルベールとセルジュ、二人は陰と陽。
決して交わることない、パラレルな現存在だったはずだ。では、なぜ、2人は交叉できたのか? 分からない、分からない。
2人を往き通う『通訳』がいなければ無理だったはずだ。
2人は2人の世界において、完全極致なるロールモデルのだから。
フロイトの地図で、線を引くなら、
ジルベールは、エスであり、快楽原則に、ピタッと張り合わせることができる、愛の追求者。一方、セルジュは、超自我であり、道徳原則の世界に堂々と生きる、愛の殉教者。
神と聖霊を仲介する、預言者・キリストがいなければ、「神」と「聖霊たる大衆」は、永久に交わることない、2方なはずだ。そして双方の言葉を預かる、預言者・キリストがいるから、彼等に奇跡が訪れる。
ただし、「風と木の詩」の世界には、そんな者は存在しない。でも、それは、キリストのように高貴な者でなくてもいいのかもしれない。下品で狡猾、病的なまでに、双方を焚き付ける、男でいいのかもしれない。
谷崎小説に再三登場し、2人を唆し、囁くことを生業とする、欲望を操る間男。下卑た噂、嘘、妄想、エゴを吹き込み、煽る、大衆ゴシップ紙如くの人間でいいのかもしれない。
2人を交わらせる男、その名は、オーギュスト・ボウ。
この世界にキリストがいなくても、
世界が成立するのは、それが理由だ。
しかし、そうであるのなら、この世界は、どんなに、イエスから離れた世界になっているだろうか。
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