島元社長のインタビューをお届けします!!(前編)
全3回に渡って、島元社長のインタビューを掲載したいと思います!
なぜ大原を選んだのか? ライバルはいたのか? 前職のお話など
シマ会計から税理士法人フューチャークリエイトへ変わった理由などなど
余すことなくお伝えします!!(インタビューは新見です)
【前編】
① 大原簿記情報専門学校 時代 (20歳~28歳)
② 就職 会計事務所 時代(28歳~33歳)
【中編】
① 独立して、シマ会計設立へ(33歳~)
② 今の事務所に移転する(45歳)
【後編】
① 税理士法人フューチャークリエイトへ名前を変更!(47歳)
➁ 社員、パートさんへの思いと僕はプログラマーになる!
大原時代と前職時代のこと
新見(以下N)まずは大原時代(専門学校)のことと前職時代のことをお話しください。(大原時代は20歳~28歳 会計事務所は28歳~33歳)
島元(以下S):まずは、専門学校時代ね。僕の最終学歴は専門学校卒。大学受験をしたんだけど、札幌市内の大学をほぼ受験したんだけど、全部落ちてね(笑)
浪人しようか少しだけ迷ったけど、コツコツ勉強する習慣がついてなかったから、浪人してもどうせ勉強しない(笑) それで、どうしようかなって思いつつ、母親に専門学校に行けばって言われて、それで言われたまんま専門学校に(笑)
どこの専門学校にしようか考えたときに、「やりたいことないから、どこでもいいな。。」そして、数ある専門学校の中でも「大原」を選択したのは、札幌駅から近いから(笑)
小樽人なので、地下鉄に乗ったことなくて、地下鉄に乗るの怖いから、札幌駅から徒歩でいける大原に(笑)
そして、入学当初は情報処理コース、パソコンができれば就職できるかなぁっていう甘い考え方。その時は、税理士って資格の存在すら知らず(笑)
そんなこんなで大原に通った島元、専門学校時代はどんな生徒だったのか?
S:簿記はそこそこできた。それで、担任の先生が「お前、税理士コースに行った方がいいな」って勧められて、言われたまんま情報処理コースから税理士コースへ変更。このときも税理士ってどんな資格だろうと思いつつ、調べもしなかった(笑)
大原では学校の授業として毎日毎日簿記しか勉強してなかったんだけど、やっぱり学校が終わってから勉強する習慣はつかなかった。それでも、さすが大原!予想問題が当たって、運よく日商簿記1級を取れた。ここで受かっていなかったら、税理士の道はなかったかもな。。受験資格の段階で落ちていたら、たぶんあきらめていたと思う。。
※当時の島元の学歴は高卒なので、日商簿記1級がないと、税理士受験ができない。
そして、税理士を目指して勉強をすることになる。そのころ、親友であり、最大のライバルであるEさんと出会った。Eさんは、知る人ぞ知る、札幌市内の某税理士法人の代表。
N:税理士の資格って、全11科目ある中、5科目取れば合格なんですよね?
受かった科目は一生効力があるので、1科目ずつ受験する方が多いと聞いています。その1科目の合格率は10%前後なので、なかなかすんなりいかず、5科目合格するのに、10年かかると言われています。
税理士の勉強を始めてからはどうでしたか?
S:1年目は全然勉強しなかった。。3科目勉強してたけど、全部落ちた(笑)
でもさ、Eさんは一緒に遊んでいた仲間で、夜中にバイトもしてたりしてさ、時間的に厳しい中で、1年目に3科目合格。
これはすごいなと思ったんだけど、勉強してなかった僕が思うことじゃないんだけど、なんかくやしくてね。。
そして、税理士受験2年目に突入して、ここから、僕の人生を思い返しても、後にも先にもない「ストイック島元」が発動します。ご飯食べる以外は大体勉強してたと思う。
Eさんが1年で3科目。2年目に2科目受験するんだけど、その2科目は重たいから、同時には受からないだろう。僕は、2年目2科目、3年目3科目合格すれば、Eさんと同時に合格できる!これを信じて、ストイックに勉強してた。モチベーションを下げないように、絶対合格!って紙に書いて部屋に貼ったり、毎朝鏡の前に立って、「僕は合格する、合格する」って呪文のように唱えてた(笑)
さて、結果ですが、Eさんは2年間で5科目合格して、そして僕は2年で1科目合格となりました。。悔しかったなあ。。
自分が、1科目落としたこともあるんだけど、Eさんが先に合格したことがくやしくてね。。
まぁ、それでも、僕が合格した1科目は「法人税」で、「法人税」は税理士の受験科目の中でも難関な科目なんで、このまま勉強を続ければ合格できるなという自信はついた。
僕は4年制コースに変更して、大原に4年間通っていた。学生中に、3回受験して、結果は2科目合格。最終的に、働きながら受験して、7回受験しての合格でした。
途中、ふらふらしたこともあったけど、合格したときはホッとした。
N:大原を卒業してから、就職先はどこを選びましたか?
S:Eさんが先に卒業して、大原の講師やってたんだよね。Eさんが後押ししてくれて、卒業と同時に、僕も大原で講師をすることになりました。今でこそ、セミナーをやったりもするけど、人前で喋るっていうのがすごく苦手だった。緊張して喋れず、顔を真っ赤にしてた。
上司の先生にすごく心配されてね。周りの同僚と比べても、対上司と行う授業(模擬授業)の練習は多かった。当然、その前に自己練習もするんだけど、模擬授業になるとうまくいかなくてね。上司の期待に応えることができない自分にふがいなさを感じて、僕には講師は合わないのかも・・・と、出社拒否の直前まで追い詰められてた。
ただ、それでも授業を数回行ううちに自信がついてきて、授業で受講生に理解してもらえることが楽しくなっていたな。
大原勤続中に無事に税理士に合格できたんだけど、大原に骨を埋めようって思った時期もあった。実家が印刷業をやっていて、母親が絶対サラリーマンでいなさいって言い続けていた。自営することの辛さを味あわせたくなかったんだろうね。大原なら全国企業だし、母親も安心するかなってね。
N:でも、ここで転職のきっかけになることがあったんですよね?(28歳くらい)
S:そう。僕がちょうど本科生の担任をしてて、大原学生時代の後輩が、某税理士法人で仕事をしていて、「学生で誰かいい人いない?」、その回答は「じゃあ僕どう?」、そして「あっ、いいよ」って。
トントン拍子に話が進んで、大原で頑張ろうと思っていたんだけど、一念発起してみて、会計事務所でやってみるかって思って転職したんだ。
N:無事、転職されて、岩内で単身赴任されたんですよね?
S:そう。勤めた会計事務所が岩内に本拠地があって、札幌に支店があったんだけど、オープンしたばっかりでまだお客様がいないので、修行のため岩内で仕事することになった。マンションを買ったばかりで、単身赴任(笑)
30代中盤の頃の島元。 痩せてますね(笑)それと若い!
N:会計事務所でのお仕事はどうでしたか?
S:その頃を振りかえると、変なプライドを持ってたね。。税理士試験に合格してたから、仕事もすぐできるようになるだろうと思ってた。
実務と勉強の違いを痛感した。
同業仲間から色々聞いていて、決算業務が花形的なイメージを持っていた。決算業務を早くやりたくて。僕は法人税の講師もしてたし、できるって思ってた。
(※決算業務とは、お客様の帳簿の内容を確認して、税務上間違いがないか確認して、税金を計算し、決算書や申告書を作成する業務。)
でも、最初に任された仕事は、記帳代行。
(※記帳代行とは、お客様の領収書・通帳・請求書などをお預かりして、会計ソフトに入力する業務。当時、記帳代行業務を手放す会計事務所が多く、面倒な仕事だと言われていた。)
ただ、これが中々苦労してさ。簿記の試験問題は、「消耗品を100円買いました。この仕訳をしなさい。」と親切に何を買ったか問題に書いてあったけど、実務の場合はそこからの判断が必要だよね。それは想定内ではあったんだけど、「岩内の○○商店」の領収書があって、「○○商店って何屋さん?」から始まる。何を買ったかわかんなくて、何の科目にすればいいんだろうって、そこから苦戦した(笑)
ホーマックとかだったら明細もわかるし、大体消耗品だって判断つくんだろうけどさ(笑)
それで、半年くらい記帳やったのかな。そして、ついに念願の決算を来月からやらせてもらえるとなったときに、記帳代行のランキングで1番になれたんだよね。めちゃくちゃうれしかった!
(その会計事務所では、月間でどれだけ記帳代行業務を行ったかで、ランキングを発表していました。)
N:いよいよ念願の決算業務ですね。どういう気持ちでお仕事されたんですか?
S :そう、念願の決算業務。いかに速く終わらせるかってのを意識してた。件数をこなしたいっていうのもあったけど、「もうできたの?」って言われたくて。ただ、どちらかと言うと間違いが多かったかもしれないけど(笑)
N:印象に残った仕事はありますか?
S:岩内にいた頃は、担当がなかったんで、事務所内の仕事での話です。
上司の方が、お客さんに提案していた件について、僕は横で話を聞きながら仕事してた。ただ、その内容に気になることがあって条文を調べてたら、この提案では適用できないかもという条文をたまたま見つけて、早速報告したら、その上司の方も条文を読んでくれて、「ありがとう!」って言われたのを思い出すなあ。。
N:2年経って札幌に帰ってきてからのお仕事はどうでしたか?
S:札幌に移って、最初は飛び込み営業の仕事をしていた。3ヶ月くらいやったけど、全然契約取れなくてね。
この飛び込み営業は、自ら「やります」って言って始めたんだけど・・・営業の仕事は初めてで、やり方も教える人がいないので、なかなか大変だった。
それでも意地になって続けていたんだけど、大先生が「島元君には成功体験をさせなきゃダメだ。飛び込み営業をやめさせなさい。」と上司に言ってくれて、僕自身、やっとクールダウンして、通常業務に戻ることになった。
前の事務所(3階から2階に移動)の引っ越し作業(手前は植島)
N:それで会計の仕事に移って、
S:1年間で担当40件くらいになったんだよね。自分が営業して、契約を取れる喜びや、岩内では経験できなかった自分がお客様を担当する喜びを感じることができた。
ただ、その当時、お客さんの所にいって何をするのが正しいのかわからなかった。まず帳簿をみて、入力が正しいかどうか確認して、試算表を紙出しして、お客様に説明して、それで帰ってくる。
お客様からお金をいただいているのに、役に立ってる感が全然感じられず、これはいけないんじゃないかと思った。それで、自分なりに工夫して、アドバイスしたいと考えても、良い方法は浮かばずで・・・
どうしようか考えていると、ふとあるお客さんの所に訪問したとき、決算のシミュレーション(決算予測)を自社で作っていたのを見て、「あっ、これが経営者に必要なものなんだ。僕が作ったら、経営者は喜ぶかもしれない。」と思って、いまのサービスメニューである決算シミュレーションの走りができたんだよ。
このようにして、税理士として歩み始めた島元。
そのあと、5年ほど税理士法人に務めますが、、、今週はここまで。来週の中編に続く!!
おわりに&求人情報!
さて、税理士法人フューチャークリエイト 代表社員の島元のインタビュー(前編)をお届け致しました!!
これから独立前後(中編)、シマ会計から税理士法人フューチャークリエイトへの変更と社員とパートさんへの思い(後編)この二つについて余すことなく語っていただきます!
そして、税理士法人フューチャークリエイトでは、現在採用強化中!
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(開いたページ一番下の事業所番号に下の番号を入れて番号検索を押す♪)事業所名: 税理士法人Future Create事業所番号:0123-614602-7