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コーヒーマシンにテプラを貼るのは無意味


テプラがベタベタ貼られたコーヒーマシン


はじめに


たまに上に貼ったような画像がSNSでバズり「デザインの敗北www」的なコメントを寄せられている様を見る。

私は今アーティスト兼フリーランスのデザイナーとして活動しており、収入の不足を埋めるために週一回程度のアルバイトに出勤もするフリーターでもある。
上記の側面の中から、このノートはデザイナーという立場から「デザインをナメるな」と憤る趣旨ではなく、接客業アルバイターとして「ジジイをナメんなよ」というノートだ。


ジジイは9割文盲

コーヒーマシンを扱えず案内が必要になるのは一体どういう人か。もっと言えば店員がテプラを貼るに至ったのは何故か。

結論を言うと文字を読まないジジイがテプラを貼るに至らせている。
さらに言うならば、文字を読まずに店員を呼ぶジジイより文字を読まずに勘でボタンを押すジジイが原因である。

自分のバイト先は自動レジを導入しており会計もセルフで行えるが、見ていると

🤖「クーポンはお持ちですか? はい いいえ」
👴「(はいを連打)」
🤖「クーポンのQRをかざすか、クーポンの番号を〜」
👴「?????????」
👴「クーポンってなんや!!!!」

と言う光景は日常茶飯事である。
接客業をやってる人間は全員知っていることだが、文字を一個も読まずに連打する層はガチで少なくない。


多分コーヒーマシンに貼られた無数のテプラは「分かりづらさを回避」じゃなく「読んでボタン押せよ!!!」の念が濃いと思われる。そもそも元々のコーヒーマシンにも落ち着いて読めばレギュラーだのアイスだの書いてあるが、多分読まれずに連打されて

👴「?????コーヒーじゃないの出た!!!!」

になってる。
多分って書いたけど冒頭の画像で6枚も「押し間違えても一切保証出来ません」ってテプラが貼られてるからそうなんだよ。



タイトル回収と抽象表現について

そして、タイトルの「コーヒーマシンにテプラを貼るのは無意味」にそのまま繋がります。

この世のプロダクト製品は、順を追って読めばわかる説明書というだけでなく感覚に訴えかける抽象画だと思えば私の言いたいことも伝わりやすいかもしれない。


そもそも、この世の大体のプロダクトは開発者たちのミリ単位の調整や客に寄り添った視点の結晶で、コーヒーマシンは何も貼ってないアレで完成なワケ。

ボタンが三列あって上からコーヒー、カフェラテ、エスプレッソとかになってたら「この順番はベストだろうか」とか全部考えられてるんだよ。

ていうか最悪勘で操作できるようになってるんだよ。

そして、コーヒーマシンにテプラをベタベタ貼る行為って文字を読まずに全部勘でボタン押してるタイプのジジイの感覚を削いでるんだよ。

「文字を読まずボタンを押す勘のいいジジイ」
「文字を読まずボタンを押す勘は普通のジジイ」
「文字を読まずボタンを押す勘が悪いジジイ」

の3タイプいたら、多分テプラを貼る原因になってるジジイって「文字を読まずボタンを押す勘が悪いジジイ」の1種のせいなんだよ。

けどテプラを貼ったら「文字を読まずボタンを押す勘は普通のジジイ」と「文字を読まずボタンを押す勘が悪いジジイ」の2種がミスるんだよ。



だから、コーヒーマシンにテプラを貼るのは無意味。

テプラでシールにすれば文字を読んでもらえるなどというナイーヴな考え方は捨てろ。




……最初に「デザイナーという立場ではなく〜」って書いたの嘘だったかもな。


偏見ばかりでソース無しのノートだけど、何となく私が言いたいことは伝わったかと思う。




…………元も子もないことを最後に書くけど、あの画像のテプラは多分「説明書きシール」じゃなくて「責任取らんよシール」だから無意味ではないかもしれんわ。
じゃあこの話なんだったんだよ。



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