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私が出来上がるまで(中学新入生)21

こうして小学校を卒業し、指定されている公立中学へ進みます。
セーラー服に憧れていましたが、この中学はブレザー。
しかも襟なしのブレザーでデザインが好きではありませんでした。
それでも生まれて初めての制服です。
少し大人になったような気分でした。
小学校時代のお友達とは三分の一づつくらいに校区が分かれていたので、中学では知らない人との出会いも多くなります。小学6年の冬から父は入院していたので、家庭内は不安がありつつも、新しい世界へのワクワク感がいっぱいでした。

父はいつ頃からだったか、咳をするようになり、風邪気味なんだと言ってました。
特に熱があるわけでもなく、咳以外は症状がないため、健康を誇っていた父は脚が悪いこともあり、病院へ行くのをめんどくさがりました。
ただの風邪くらいでいちいち病院にかかることはないと言って、市販薬を飲んで誤魔化していました。
ところが、咳が続いて1ヶ月くらいだったでしょうか、血痰が出たのです。
これでいよいよおかしいと感じて受診しています。

当時は余命宣告は本人には隠すことが多かったのです。
父の検査結果は母だけが呼ばれて説明を受けました。
(父の死刑勧告)でも書きましたように、『肺がん末期 余命3ヶ月(恐らく)』と母に告げられたと思います。

父にも私たちにも伝えず母1人で受け止めていました。
辛かっただろうと思います。
そんなこととは全く知らない私は、中学生になる喜びでワクワクしていたのです。
父は近くの大学病院に入院していましたが、どんどん症状が悪化していくので、この病院はヤブではないかと不安になり、別の病院へ転院することにしました。
電車で30〜40分くらいかかります。
私は自転車で1時間近くかけて通いました。
父に逢いたくて。

中学に入ってから、クラブ活動という、小学生にはなかった活動があります。
仲良しの友達に誘われて、[体操部]に仮入部しました。
昔から軟体な方で、前屈して体がぺったり地面についたままで居眠りすることもありました。
みんなそんなもんなんだろうと思っていたのですが、仮入部の時に私はかなり身体が柔らかい方なんだとわかりました。
立位開脚で脚が全部開き、地面についたのは私だけでした。
それを見た先輩たちが、私をスカウトしてきました。
しかし、体操部に入りたいと言ってた友人には声がかからず、彼女は少しヤキモチを妬いたように見えました。
一緒に体操部入ろうと誘って来たのに、仮入部後に「やっぱり入るのやめよう」と。
特に私はどこに入りたいとかなかったので、友達の言うがままになっていました。
他のクラブにも参加しませんでした。
ちょうど父が入院いているのもあり、帰宅部を選びました。



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