誇っていいはず
今週から、アフリカ東部に位置するルワンダという国の地方行政機関で活動している。
まだ活動がはじまってから数日、私はこの国であと1年11ヶ月活動する予定なので、まだまだこれからが本番という段階だ。
だけれど正直にいうと、かなりしんどい。つらいと感じている。
おそらく、体力的なものによるところも大きい。なんせ異国の地で暮らしているんだ。
衣食住が日本とまったく異なることはもちろん、知っている人がだれもいない。自分のことをだれも知らない。そんな環境に飛び込んでいくのだから、当たり前のことだと思う。
その上で、今はこの先がまったく見えない。語学力を含めて、自分の力不足を痛感している。生活を送るだけでも心が削られていく。
そしてなにより、自分に何ができるのかまったくわからない。必要とされていないんじゃないかと感じてしまう。
不安だ。
私はおそらく、とても内向的な性格をしている。本を読んだり、もの思いに耽ることが好きだ。
せっかく海外に来ているのだから、現地や活動の様子などを発信してもいいとは思うけど、相変わらず内省的なことばかりをnoteに記している。それでそれでいいと思う。
だけれどみんなで集まって騒いだり、緊張することが昔から苦手だった。人との関わりでエネルギーを消費するタイプの人間だ。
新しい考え方や思想を知って、自分の内面に取り入れていくことは好きだ。けれど、目に見える、外的な環境に飛び込んでいくことに抵抗がある。
一長一短あるだろうけど、海外で活動することには向いていないようにも思う。
そんなことはわかっている。その上でここにいる。さいごは勢いだったかもしれないけど、いろいろと考えた。今はつらいことが多いけど、それも含めてここへ来てよかったと思っている。
あまり自信もなく不安はとても大きい。だけど、みずから選んでここにいる。
それぞれの強い気持ちや、あるいは自分を変えたいという思い。理由は違えど、あえて不安に飛び込んでいく、雑草を踏みしめて進んでいく。そんな人たちがいることを知っている。
誇っていいはずだ。
不安を持っていることも、自信がないことも。自分の意思で、この不慣れな道を選んだ。その勇気と行動力を誇りに思ってもいい。
右も左もわからなくても何もできなくても、ひとまず、ここにいる、そのことを誇っていいはずだ。
不安って、自分の中にないもの、理解できないもの、どうなるかわからないものが連れてくるものだと思う。
だから私が今抱えている不安は、当たり前だ。異国の街で生活しているんだから。何もかもがわからない。
この先も、不安がすっかりなくなることはないだろう。だけれど、なるべくこの街での生活にも慣れていきたい。
きっとそれは、新しい未知のものを自分の中に取り入れて、心を養っていくということだ。成長とも呼べるかもしれない。この街でも生活に不安はある。けれど、生活を通じて自分の心がどう揺れ動いていくのか、それは楽しみでもある。
そして現地の人からすれば、私も同じように未知の存在だ。
だからそこ、私だから持てる視点や、ものごとの捉え方があるはず。それが現地の課題を解決するために、少しでも役にたつと思っている。
ものごとをいろいろな考え方や視点で捉えるということは、多様な側面を浮かびあがらせるということ。だからこそ多様性は強みだと思う。
まだ自分に何ができるか見えないけれど、かならずできることはある。
不安はあるけど、不安を持ったままでいい。
ここにいる、ということへのささやかな誇らしさを忘れずに、この街で生活していきたい。