運命でも偶然でもない
素敵なことがあった。
日本でお世話になっていた、というか今もお世話になっている人が、私が暮らしているルワンダに来てくださった。私の恩師ともいえる人だ。
嬉しいに決まっている。久しぶりに、話をたくさんした。ほとんどのくだらない話と、すこしだけまじめなの話も。
昔のことが懐かしくなる。あの時は楽しかったし、自分の可能性が広がっていく心地がしていた。今はどうだろうか?
思いかえしてみれば、今の私があるのは恩師のおかげだといえるだろう。ルワンダにいることも、農業に携わっていることも、私が選んだことだ。けれど、そんな道があることを教えてくれたのは恩師だった。いつも気にかけてくれて支えてくれていたのだと、今になってひしひしと感じている。
自分の内面に目を向けてみても、恩師の影響は大きい。品行方正、清廉潔白な私の人格が大いに歪んで、もはや取り返しがつかなくなってしまったのは、恩師によるところが大きい。私は悪くない。
(いろいろな意味で)新たな世界を見せてくれた。恋?の指南をしていただいたこともあった。
感傷に浸りつつ、翻ってふと考えてみる。不思議だ。
どういうわけか、私はルワンダにいる。ここに来るまでもいろいろあって、「そんなことある?」ということがいくつも重なって、ここにいる。そして私の恩師がルワンダに来て、同じ仕事に携わっている。
それはいったい、どういうことだろう。運命とはあえて呼びたくはないけれど、「私は導かれている」という感覚になってしまう。不思議だ。
でもきっと、偶然なんだろう。たまたま出会った人たち、たまたま育った環境、たまたま知りえた情報、そんなものが重なって今の自分がいるんだ。悲しいことだ。
自分の力でどうにかできることなんて、きっとほんの少しだ。
だけど、その「ほんの少し」に対して向き合うことができるか。それが大切なのかもしれない。そう思いたい。
だってすべてが運命だとは思いたくないけど、だからといってすべてが偶然で決まるとも思いたくない。
そんな自己矛盾から抜けだすためには、日々、生活に健気に向き合っていくことしかないと思う。そう信じたい。
ともあれ、恩師には心から感謝している。出会えて本当によかった。出会ったころは、まさかこんなに長い付き合いになるとは思っていなかった。それがここまで続いているのだから、やっぱり運命ではないにしろ、不思議だ。
偶然なのかもしれないけど、すべてが偶然ではないはずだ。偶然の中にある、自分の力でどうにかできる「ほんの少し」に対して、自分なりに向きあってきたつもりだ。恩師も私に真摯に向き合ってくれている。だからこの関係が続いているのかもしれない。
恩師は恩師だけど、私もすでに社会人だ。師弟ではなく対等な人と人として、これからの関わり合いも大切にしていきたい。それが、恩返しにもなるはずだ。
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