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母国語が日本語でよかった
母国が日本でよかったのかはよくわからないけど、母国語が日本語でよかった、とは思う。
英語や他の国の言語も学んだこともあるし、今も学んでいる。けれど、かすかな心の機微や相手を推し量るということを、細やかに捉えることができるということに関しては、日本語ほど緻密な言語はないと感じる。
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夜景が綺麗な街だ
少なくとも、私の英語の話力では自分の気持ちや伝えたいことをほとんど伝えることができない。もちろん、英語が上手ではないことが大きな要因の1つだ。そのうえで、英語という言語体系のバックグラウンド、とでもいおうか。前提条件にある価値観や文化の方向性や質が、私自身のそれとは異なっているように思う。
だから、英語のスキルがどれだけ上がったとしても、心のうちを十分に伝えることができないと思う。とはいえ、それは英語だからという話ではない。日本語も同じだ。どんな言語で話したとしても、心で思っていることは言葉にした時点ですでにズレてしまう。
だけど、私の心は、日本語によくなじんでいる。日本語に囲まれて生まれ育ったんだから、当たり前の話だけれど。
外国語を話すと性格が変わる、という話を友人から聞いたことがあるけれど、それは外国語が前提としている価値観のようなものに、外国語を話しているうちに近づいているのかもしれない、なんて思ったり。
だとすれば同じように、私のこの性格や価値観は、日本語を聞いて、話して、生きてきたことで、育まれていったものなのかもしれない。
それとも、先に私の心があって、日本語や英語、使っている言語によって、表れてくる心の側面がそれぞれ変わってくるのだろうか。
よくわからないけど、生まれ育った環境や今まで出会った人たちの影響が重なりあって、なんとなく"自分のようなもの"ができているにすぎない。それは確かだ。
だとすれば、日本語が私に与えている影響は、やっぱり大きいはず。
日本語によって心が育まれてきたんだから、自分の心をいちばん表現できるのは日本語だ。だから母国語が日本語でよかった。なんだかよくわからなくなってきた。
それなら世界中の人たちはみんな、母国語が母国語でよかったということになるのだろうか。何を言っているのだろう。何が言いたい…うまく言葉にできないけれど。ひとまず、他の人たちのことはわからないから、自分に視点を据えてみる。
確かに言えることは、私自身は、日本語で何かを考えたり、伝えたりしてきたということだ。
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「今月のありがたいお言葉」シリーズが好き
ともあれ日本は、ホンネとタテマエがあったり、おもてなしの文化があったり、四季があったり、南北に長くバリエーションに富んだ地形を抱える島国だったりする。
だから、細やかな人間関係や地理的な環境の変化といったものを反映した言語。それが日本語、なのかもしれない。
冒頭にこのように記した。「母国が日本でよかったのかはよくわからないけど、母国語が日本語でよかった、とは思う。」と。
母国が日本でよかったのかはよくわからない。ほかにも素敵な国はあるだろうし、どんな国にも魅力はあるはずだ。
私はインドに魅せられて、インド哲学にのめりこんだり、母なる河ガンガー(ガンジス川)に飛び込んだりしていた。それくらい、インドが大好きだ。
じゃあ母国がインドならどうなっていただろう。きっと、今とは違う価値観が育まれ、思考のしかたも今とは違うものになっているだろう。
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インドでは、仏教はヒンドゥー教の1つ
中央の人物は仏陀でしょうか…?
ヒンドゥー語仕様の、今とは違う私になっていたはずだ。インドを好きになったのも、日本で日本語に囲まれ生きてきたからだ。
私は、かすかな心の揺れ動きを言語にできる範囲で細やかに捉えることができる日本語が好きだ。心と表現の媒体として、心を表現する道具あるいは遊具として。
その日本語を育んできたのが日本という国だとすれば、母国が日本でよかった、とも言えるのかもしれない。