夫婦同姓で夫側の姓を名乗る私が抱えるもやもやについて

自分の中のもやもやした感情を処理しきれなくて、この文章を書いてみることにした。

選択的夫婦別姓について、世の中には色々な意見があると思う。

私はどちらかと言えば制度の導入に賛成だけど、そのことについてどうこう言いたいわけではない。

この文章は、『どちらかの姓を選ばざるを得ないために夫の姓を名乗ることを選んだが、3年経ってももやもやし続けている女の独り言』といったところ。

不快に思う方はどうぞ回れ右して退出いただきたい。



まず私は30代の女性で、先月までとあるメーカーに総合職として勤めていた。

理系の大学院修士課程を修了し、就職。結果として退職してしまったが、当時は結婚・出産後もバリバリ働き続けるつもりで入社した。

私がこのような考え方に至ったのには、両親、特に父親の教育方針がある。

うちの父はなかなかの男尊女卑思想なのだが、私と一歳年上の姉は、幼い頃からこう言い聞かされて育ってきた。

『将来結婚して、夫がどうしようもない奴だったら、離婚して一人でも子供が育てられるようにしなさい。』

よって、私たち姉妹はそれなりの学校へ通い、それなりのスキルを身につけ、当たり前に結婚後も働き続けられるような仕事についた。

いま思うと、夢見るお年頃の女児を前に現実的すぎるんじゃないかとも思うが、決して余裕があるとは言えない経済状況の中で、二人分の教育費をケチらずに大学まで(私は大学院まで行ってしまったが)行かせてくれた両親には、感謝しかない。


とあるメーカーに就職した私は、一年目の冬にいまの夫に出会った。

7歳(学年で言うと6コ)年上で、親会社に勤めている理系男子。

第一印象はさほど良いものではなかったが、話してみると共通点があり、人間的にも面白いと感じたので、お付き合いしてみることにした。

数年お付き合いして、彼は30代半ば、私はそろそろ30代が見えてきたという頃。

いつまでも煮え切らない(というか将来の話をしたがらず毎度喧嘩になる)彼に嫌気がさして、何回かの別れ話をし、次の誕生日までに何もなかったら本当に別れると宣言した結果、その年の冬にプロポーズ。

個人的には指輪も何もいらなかったのだが、フタを開けたら色々用意してくれており、乙女思考とは言い難い私でもそれなりに感激するプロポーズだった。

(用意してくれた指輪は良いものではあったが私の好みではなく、普段使いもできない代物だったので、どうせなら一緒に選びに行きたかったと思ってしまったことは、墓場まで持っていくつもりだ)

お互いの両親に報告して、春先に両家の顔合わせを行い、夏に入籍することにした。

当時はそれなりに浮かれていたので、こんなにもやもやすることになるなんて考えてもいなかった。


先にちらっと書いたように、我が家は2人姉妹である。

姉は私が入籍する数年前に結婚し、旦那さんの姓を名乗っていた。

いざ結婚、となったときに考えるのは、自分の名前のこと。

私が夫の姓を選んだら、この姓を継ぐ人はいなくなってしまう。

とは言え、夫は長男。そして男性。男性側の姓を選択する夫婦が大多数のこの世の中で、私の姓を名乗って欲しいとは言い難かった。

話の流れでそれとなく聞いてみたときには、明確に拒絶されてしまい、ますます話しにくくなってしまった。

仕方ない。私が姓を変えるしかない。結婚して彼と一緒に人生を歩むことには喜びを感じたが、心の底では納得できていなかった。


先に結婚した姉夫婦は、夫婦同性で夫側の姓を選択したが、何か残せるものをということで、妻の実家の住所を本籍地としていた。

私もそうしたいと彼に伝えたところ、『嫌だ』の一言でにべもなく断られた。

何度か話し合っても、どれだけ私が泣いて訴えても、うんとは言ってくれなかった。

私は制度上どちらかを選ぶしかないから夫側の姓を選択した。ゆくゆくのことを考えると、制度が整っていないいま、夫婦別姓、事実婚を選ぶことは賢明ではないとも思ったから。

譲歩したつもりだった。

彼は、本籍地すら譲ってくれなかった。

彼の実家の住所を本籍地にすることだけは意地でもしたくなかったので、一緒に住むアパートの住所を本籍地にした。


私は結婚することで30年近く生きてきた名前を変えなければならないのに、どうして。なぜ私だけこんな思いをしなければならないのか?

名前が変わったところでどうこうなる訳ではないし、実際にどうこうなった訳でもなかったが、自分がなくなってしまうような、なんとも言えない喪失感があった。

役所、警察署、銀行、郵便局・・・仕事の合間を縫って手続きのために行ったり来たりする中で、どうしようもない怒りも感じた。

なぜ私だけがこんなに苦労をしなければいけないのか?彼は、夫は何一つ変えなくて済むのに。

結婚は二人でするものなのに、一方のみが不利益を被るなんておかしな話だろうと。

ここで夫が少しでも私の気持ちに理解を示し、寄り添ってくれていたら、私の心持ちも違ったのではないかと思う。

でも彼は何も理解してくれなかった。

1ミリも譲歩してくれなかった。私はそう思った。


籍を入れてしばらく経つが、私の中では未だに当時の気持ちが燻り続けている。

このもやもやは、3年ちょっと経ったいまでも、ふとした瞬間に顔を出す。

会社では旧姓使用を選択したにも関わらず、思いがけないところで本名を晒された(本当にそういう風に思ってしまう)とき。

引越しに伴い本籍地を移動する・しないの話になったとき。

あのとき感じた悲しみ、怒り、悔しさがありありと甦る。まるでカラー写真のように。むしろカラー映像のように。

理性では、いい加減に区切りをつけなければと分かっている。

でも感情がついていかない。

自分でも、どう折り合いをつけたらいいか分からない。


夫とは、このことで何回か言い争いをしている。

彼は毎回、心底嫌そうな顔をしている。

そして、こんなことを言う。

『もう終わったことだろう』

(私の中ではまだ終わってない。)

『そんなにこの姓が嫌なのか』

(あなたの姓が嫌なのではなくて、元の姓が良かったんだ。)

『覚悟して籍を入れたんじゃなかったのか』

(選ばなければならないから選んだ。どうして私だけ覚悟しなければならなかったんだ。)

『そんなに自我が強いのか』

(ええ、自我は強い方でしょうね。自立せよという育てられ方でしたから。)

彼にとっては過ぎた話を3年もの間にたびたび蒸し返されるのだ、不快でしかないだろう。

ついには、事実婚にすれば良かったじゃないか、離婚して姓を直したら良いのか、とまで言い出した。

そんなこと考える余地は1ミリだって1ミクロンだってなかったくせに。離婚だなんて現実的でないことだとわかっているくせに。

私の自我が強いというなら、あなたは他人に寄り添う気持ちが欠けた人ね、と言いたくなる。


夫は入籍してから数ヶ月で心身の不調により休職した。

1年半休み、そのまま退職。

今年の春から新しいことにチャレンジするために学校に通い、勉強を始めたが、いまだ無職だ。

その間私は、文字通り一家の大黒柱として、働き続けてきた。

夫婦なんだから支え合うのは当然のこと。

一馬力でもやっていける職についた自分自身を誇ることはあっても、夫をどうこう言うつもりはなかった。

ただ、姓や本籍について言い争ったあとには考えてしまう。

私は失うばかり。彼が失ったものは?自由?背負ったものは家庭への責任?

ここ数年働いていないのに、何のための責任?と。


どうしてこんなに気持ちが拗れてしまったのか、本当に分からない。

それでも私の中ではいつまで経っても終わったことにはできない。


夫は新しいことにチャレンジするため、今年の春に移住した。いまは移住先で学校に通っている。

私は退職して追いかけることを決めた。

夫の近くにいたかったから。子供が欲しかったから。

上司に退職を告げてしばらくしてから、妊娠が分かった。

妊娠した身では再就職も叶わない。

子供を保育園に預けられるようになってから再始動するつもりだ。

いままでは会社の中での私があった。△△部署の〇〇さん(旧姓)というラベルが付いていた。

いまの私には何もない。

これから付くラベルは、◻︎◻︎さん(新姓)の奥さんか、××ちゃんママといったものがいいところだろう。

そういう選択をしてきたから仕方のないことではあるけれど、自分というものが何もなくなってしまうようで、なんだかおそろしい。


取り留めもなく書き綴ってしまった。

ここまで書いておいて、入籍時に選択的夫婦別姓が制度として整っていたとしても、結局のところ同じようなもやもやに苛まれていたかもしれないと思った。

彼の、夫の考え方は変えられなかっただろうから。

お腹の中の子が大人になる頃には、多様な選択を容認する法制度と、多様な選択を受け入れる社会風土が醸成されていることを祈るのみだ。

仮にお腹の中の子が男児だったなら、パートナーの言うことに聞く耳を持つ男性となるよう育て上げたい。

それが例え世の中の当たり前ではなかったとしても、耳を傾けて心を寄り添える人になってほしいと思う。

私と同じようなもやもやを抱える女性が一人でも少なくなるように。



ここに気持ちを書き記すことで、このもやもやを私の中で封印しようと思う。

上手くできるかわからないが、まずやってみよう。

夫と健全な関係を保てるように。

さて、仲直りの仕方でも考えるとするか。


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