仕事の報酬は、、、、、魚!
その土曜日は月に一度の恒例行事の日である。用事は午前中に済ませて家で待機する。午後2時から4時の間に宅配便が届くのだ。
部屋にあるインターフォンが鳴る。玄関に向かうと配達員の方が大きな荷物を抱えている。「冷蔵品です」。荷物を受け取ると、台所に持っていき、早々に荷物のふたをあける。そこには、見ただけではわからない魚が現れる。それとカードが一枚。魚の名前と簡単におすすめの料理法などが手書きで書かれている。ここから大仕事が始まるのだ。改めてネットで魚を調べ、料理法のレシピを探し、どんな料理にするかを決めて、いざ捌き始める。
これは通信販売で送られてくる品物はなく、僕の仕事の報酬の一部である。
数年前から縁あって、日本海に浮かぶ小さな離島にある会社の仕事をするようになった。人口2000人のその島は、書店もなければコンビニエンスストアもない。居酒屋など飲食店も数えるほどしかなく、町の誰と誰がどこで会っているかも筒抜けだという。そんな小さな町にある会社は、いわば町おこしをミッションの一部と、都市にはない地方の生活に新たな価値を見出そうとしている。
そんな会社の志向が面白く、仕事を手伝うようになったのだが、企業としては脆弱そのものである。僕が仕事をしているいくつかの会社の中でも、ダントツで規模も小さい。従業員も数人で売上げも1億円にも満たないであろう。脆弱さは、このコロナ禍でさらに露呈された。既存の基幹事業が実施困難な状況に陥ったのだ。地方は東京などに比べコロナ患者は少ないのだが、離島にはそもそも充実した医療サービスが用意されておらず、島では一人の感染者も出したくないのだ。そんな状況に置かれた会社は、島外との往来もままならない。離島であることを強みにしていただけに、ビジネスに影響が大きな制約が出てしまうのだ。
本業が大きく毀損する中、僕が携わる新規事業の持続は果たして可能なのか。彼らと話していると明らかに苦しそうな状況が伝わってくる。そこで僕から提案をしてみた。
「今のプロジェクトは一旦止めてもいいよ」
「継続するとしても、契約は一旦終えて、ボランティアベースで細々とやるのでもいい」と。
その背景には、プロジェクトがあまりうまく進んでいないこともあった。仕事の進めるスピード感やコミュニケーションのやり方も違い、進捗も芳しくない。
それと僕から見ると、本業に変わり短期的に売上げにつながる事業を考える方がいいのではないかという思いもあり提案をしたのだ。
それでも彼らはやりたいと言う。契約もこれまで通り続けたいと言ってくれる。これは大丈夫なのかと思う反面、嬉しいことでもある。そこで逆提案してみた。
「お金はなしにして、その変わり、月に一度、そっちで獲れた魚を送ってくれる、というのはどうか?」と。
彼らもこの案は面白がってくれた。そして、税理士さんにも相談して、契約書の報酬の欄を「毎月相応の海産物を送る」という趣旨にし、このプロジェクトを継続することとなった。
この曖昧な「契約」は果たしてうまくいくのか。それは全くわからなかったが、面白いことになるかもしれないという予感はあった。それは、以前この島を訪れた際に、早起きして市場に連れて行ったもらった時の光景が頭に残っていたからだ。
小さな島であり漁船も数隻。その日に何が水揚げされるかは、船が戻ってくるまでわからない。島の人たちは、船が戻る時間に合わせて、ゾロゾロと漁港の小さな市場に集まってくる。その日の水揚げ量は少な目であった。漁港の人たちは水揚げされた魚を素早く分類して箱詰めをしていく。できるだけ早く本土へ届けるようと朝一番の船に載せるためだ。そして、余った魚を住民たちは1匹、2匹と買っていく。
それが東京のスーパーの価格と比べると信じられないほど安い。
その日はアジやサバ、それにイカなどがあったが、安いばかりか、顔見知りの住民にオマケもつけるし、価格もあってないようだ。僕らはその日、そこで手に入れた魚を使ってとても贅沢なランチをご馳走になったのだが、その思い出が忘れられなかった。
実際に「魚という報酬」がスタートしたが、まずは毎月、いつ送って欲しいかを聞かれる。僕は外出しない休日に届くように日時を伝える。同時に「どんな魚がいいですか」と気を遣って聞いてくれるが、僕は魚の種類に詳しくもないので、お任せにしてもらっている。サンマを食べたければ、サンマを買いに行けばいい。お金を払えば、食べたい魚を手に入れるのは簡単だ。高価な魚を手に入れるのが目的ではないし、自分の知っている範囲で希望を出してもつまらない。海の幸に恵まれた島の人が選んだものを楽しみたい。
そして指定日に魚が届くのだ。この仕組みが最初の想像を超えてはるかに楽しい。
まずは何が届くのかわからないのがワクワクする。文字通り、箱の「蓋を開けてみるまで」わからないのだ。
毎回送られてくる魚は名前を聞いたこともないものも多い。ある月には、「ボッカ」という魚が届いた。ネットで調べるとカサゴだという。この地方では「ボッカ」と呼ばれるようだった。この白身魚を鍋料理にしたら、身がほくほくしいて本当に美味しかった。漁業は天候に大きく左右される。漁に出れない時は、ワカメや魚介類を送ってくれるのだが、これまでに見たこともない大きさのアワビが入っていたこともあった。本当に獲れた魚が少なかったのか、新米が入っていたこともある。
この報酬は、毎月サプライズパーティをしてもらっているような楽しさなのだ。魚と一緒に送られてくるカードがまた楽しく、地元の人の食べ方を知ることができる。ワカメをマヨネーズで和えてご飯に乗せて食べるとか。そんな一言コメントを読んで、作ってみて、へーこんな食べ方があるんだと知る。魚を送ってもらうようになって、訪問できない島の存在が身近に感じられるようになったのだ。「彼らと一緒に仕事をしている」。その感覚も格段に増し、仕事をする上でとてもいい影響を与えている。
さらにいうと、彼らが工夫して選んで送ってくれている気持ちが伝わる。毎回、金曜日の朝に漁港にまで行って魚を選んでくれているそうだ。その魚が翌日の午後2時に東京に着くのだが、貨幣ではありえない、オンリーワンの報酬をもらっている感覚がある。毎月のように、こちらのことを考えた誕生日プレゼントをもらっている心境だ。
交換可能な貨幣ではなく、交換不可能な、自分のために選んでもらった唯一の魚たち。しかもお店で選んだものではなく、地元で獲れたもの。その島の空気を感じ、島の人の気持ちを感じ、大事に料理して噛み締めて食べる特別な土曜日。
これが「報酬は魚」の楽しさの正体である。