昔の国道411号線と柳沢峠の記憶
バブルの頃、オートバイに乗り始めていて奥多摩という場所があると聞いたので、行ってみようということから、国道411号線(以下、R411と略します)の道を走るようになりました。
ここでは、このR411を走ってきた記憶と、変わり続けてきたR411について少しだけ記録を残しておこうと思います。
1.走り出したころ
オートバイの雑誌に、その中で奥多摩有料道路というのが、コーナーが面白いという記事があり興味を持ちました。住み始めた東京の小金井の寮から
奥多摩湖(小河内ダム)へ行き、さらに湖畔を走って奥多摩有料道路へたどり着きました。なんどか奥多摩へ行くと、R411をそのまま先に進むと甲府にでるということがわかり走ってみたのです。 そこは九十九折のタイトなコーナーが多い峠道で、丹波山村を超え、塩山に入り、山を登っていくと峠にたどり着き、そこは柳沢峠というところでした。峠に茶屋がありました。
その後、仕事場所が青梅に移転したので、青梅の寮に住むようになりました。丁度、コミックのバリバリ伝説が連載されている時期も重なり、住んでいた寮にいた会社の先輩と毎週末に柳沢峠まで走るようになったのです。週末1回だけではなく、土日とも、また3連休の時は3回いくこともありました。
青梅から柳沢峠を往復し、周辺も走るとだいたい200km弱あったように思います。毎週走るようになると、コーナー毎のどのあたりに砂があるか、まで正確に覚えていました。
そのころは、奥多摩湖(小河内ダム)の駐在所側の第一駐車場に平屋の食堂があって、その前が定番のバイク置き場でした。コンクリートの塀の上に座って、たくさんのライダーたちと話していました。これが楽しかったです。現在は、円筒形の建物に変わり、同時にバイク置き場もなくなったのでも、大麦駐車場(=第2駐車場)の方にいくようになりました。
2.奥多摩有料道路が無料になった
奥多摩有料が奥多摩周遊という名前に変わって、料金所がなくなってしまいました。奥多摩有料道路は、バイクや車で飛ばすにはちょうどいいコーナーが多くて、走り屋が集まることは当時から有名であり、月夜見第2駐車場などのギャラリーが集まる場所での事故も多かったです。この道路は、少し道幅が広く、コーナーも極端にきつくなく、さらにコーナーにカント、傾斜がついていて、速度が出しやすい道路なのです。観光バスも走れるようにと設計されたと聞いたことがあります。
持論ですが、道路をバスも走れるように幅を広く、コーナを緩く整備すると、便利になりいい事が増える一方、走り屋は、法的制限速度ではなく、精神的限界か、物理的限界速度で走るので、結果、事故を誘発し易くなると思うのです。物理限界速度を下げると一番事故が減るのではないかと思います。そういう意味では、松姫トンネルができる前の超タイトコーナーの松姫峠も、以前の柳沢峠へのタイトコーナーの道も、今も残っている国道299の十国峠への酷道のほうが、速度を上げられないので深刻な事故の発生は少ないように感じます。
3.丹波山村までの道の変化
さて、奥多摩有料への分岐点である深山橋を左にみて、R411をそのまま塩山方面に向かいます。 ここから、奥多摩湖の終端に鴨沢村があり、そこから丹波山村までの間は、人家はなく、山腹の中速コーナーが連続するのですが、路面は荒れています。 丹波山村近くには、キャンプ場の看板が立ち、ガソリンスタンドがあります。現在は、この坂の左側に、道の駅たばやま、と めのこいの湯ができており、休息場として人が立ち寄るよい場所になりました。
4.丹波山村から花魁淵(おいらんぶち)あたりまでの道
丹波山村を過ぎると、道幅が狭くなり、塩山の山中に入っていきます。
丹波山村を過ぎたころ、キノコ売りの店があります。だいぶ前には無かったのだが、小さい店を出していたと思ったら、どんどんガラクタのような機材が道路上に置かれるようになっており、未だに片付ける気配がないですね。
そして以下の写真のゆるい右コーナーがありますが、以前は左の道しかなく、絶壁の直前でフルブレーキングするR20ぐらいのタイトなシケインでした。
この直後左コーナーを超えて、柳沢峠まででもっとも長い平坦な直線がやってきます。バックストレッチと呼んでいる場所です。ここは、春の新緑、夏にはバイクを停めて川に下りると涼むことができ、秋には紅葉が素晴らしい場所でもあります。
バックストレッチの先には、羽根戸トンネル(2002年7月竣工)がありますが、ここも以前はトンネルが無く、絶壁直前を左へ回るシケインでした。その先は山間の緩やかなS字コーナーが続く素晴らしい道でしたが、今は、暗いトンネルになってしまいました。
この2002年以降、新しいトンネルがどんどんつくられ、その度に旧道が閉鎖されてきました。
5.花魁淵(おいらんぶち)について
花魁淵は、調べていただければわかりますが、以下のような記述のある場所です。 Wikipediaより引用 <武田勝頼の死(1582年)による甲州征伐の折、武田氏の隠し金山と言われたこの黒川金山も閉山となった。この時、金山の秘密が漏れることを危惧した金山奉行・依田の主導で、鉱山労働者の相手をするため遊廓にいた55人の遊女と金山に従事した配下の武士を皆殺しにすることを決め、酒宴の興にと称して柳沢川の上に藤蔓で吊った宴台の上で彼女らを舞わせ、舞っている間に蔓を切って宴台もろとも淵に沈めて殺害した。>引用終わり。
この場所を通る旧道が2011年11月に、一ノ瀬高橋トンネルのバイパスに変わりました。この結果、今は花魁淵へはいけなくなってしまいました。 このR411旧道は、花魁淵を左に見ながら、駆け上がるとちょうど一ノ瀬高橋トンネルの塩山側出口の場所がヘアピンカーブになっていて、ここを第一ヘアピンと呼んでいました。
第一ヘアピンを過ぎると今も残る一ノ瀬高原への分岐点と重なる次のヘアピンカーブがあります。ここを第2ヘアピンと呼んでおりました。 この2つのヘアピンは、タイトで180度の旋回をする必要があり、その日のダメさ加減が現れる場所でありました。
6.花魁淵から、落合を経て、柳沢峠へ。
この先、落合の集落まで、狭いタイトコーナーが続く、素晴らしい道です。4輪ではキツめのコーナーがいくつか残っています。何度も書きますが、タイトで荒れたコーナーだと物理的にスピードをだせないから安全だと思っています。
この先、落合の集落のあたりに来ると、道路が整備され、広く、緩やかなコーナーになっております。物理限界速度を試そうとする4輪、2輪がおり危険な匂いがしてきます。
落合の水道局出張所を過ぎると一気に視界が開けてきます。ここまで来るとたぶん海抜1400mぐらいはあると思うのですが、夏は涼しく、秋は早く、12月初旬にはバイクを寄せ付けなくなります。
2023年10月には、この先の道もかなり道路整備が進んで、タイトで狭い旧道が、広く穏やかに改修れてきました。とても広くなった第3ヘアピン、スプーンカーブを超え、柳沢峠に到着します。
7.柳沢峠
柳沢峠の茶屋さんには、長期間お世話になってきました。ある時期は毎週土日に柳沢峠まで走りにいっており、おじさんおばさんに許可をもらって、茶屋の中にカレンダーを貼らせてもらい、茶屋に行くたびにチェックを入れていました。そう、4月上旬から12月上旬までに50数回柳沢峠を訪れていました。いつもおいしいコーヒーをいれてもらい富士山が見える場所で飲んでいたので専用カップも用意いただきました。そのおじさんが数年前に亡くなられ、その翌年にはおばさんも亡くなられてしまいした。今まで無事に往復できたことに感謝いたします。
2023年10月には、第2ヘアピンから、落合のやまめ釣りの間で、大規模な工事が始まりました。詳しい計画を知らないのですが、一ノ瀬高橋トンネルのあとから落合をつなぐトンネルなのかもしれません。かなり標高差があるのでトンネルではないのかもしれません。あと数年でこの道も走れなくなると思います。
8.皆さんへの感謝とともに走り続ける
今もライダーとしてあちこちを走りますが、柳沢峠までの国道411号線、R411を多く走ってきました。この道で危険を感じるようになり筑波サーキットへ場所を移した時代もありました。ここまで大きな事故もなく走れたこと、日夜、道路を維持、整備し、改良してきてくれた皆さん、多くのライダー、お店の皆さんに感謝申し上げます。そして、この素晴らしい自然の中を走ることができていることに感謝しています。
ご安全に!