身の回りの電化製品が輸入品だらけになってしまった原因はなんだろうか、と考えてみる

 私は、子どもの頃から電気機械に興味をもって、小学校入学のころ懐中電灯を分解して組みて立てるところが始まりだったようにぼんやり記憶しています。次に、コイル巻いて電磁石作り、モータを作り、次にスピーカー、ラジオやアンプを作った記憶があります。その結果、電気系の学校に入り、電機系の会社で働くというキャリアを歩んできました。
 我々の生活に不可欠だった日本の電機産業が、1990年代から現在に至るまで、なぜ失われてしまったのか。その背景と原因について、社会的、経済的、そして個人的な視点から整理し考えてみたいと思います。

1990年代からの電機産業の変遷

1990年代までは、日本の家電製品は世界中で高いシェアを誇っていました。テレビ、冷蔵庫、洗濯機といった家庭用電化製品に加えて、ラジカセ、CDプレーヤー、ビデオレコーダー、ウォークマン、フィルムカメラ、電卓、オーディオセット、ナビゲーションシステム、家庭用ゲーム機など、多くの新しい製品が次々と市場に登場し、人々の生活を豊かにしました。しかし、1990年代以降、日本の電機産業は急激な変化を迎え、衰退の道を歩むこととなりました。

その始まりは円高の進行です。円高が進むと、国内での生産コストが上昇し、アジアに生産拠点を移す企業が増えました。日本メーカー製ではあるものの、製造は中国やインドネシアなどアジア諸国に委託されることが一般化し、次第にその製品の中でアジア現地企業の割合が増えていきました。結果として、日本国内での製造業の基盤は次第に失われ、安定した雇用も減少していったのです。

2000年代以降の変化とスマートフォンの台頭

2000年代初頭、日本企業はまだ携帯電話や家庭用ゲーム機市場で存在感を示していました。また、パソコンも国内で設計・生産され、多くの消費者に支持されていました。しかし2010年代に入ると、米国のiPhoneやAndroidスマートフォンが登場し、産業構造は大きく変化しました。スマートフォンは、カメラ、オーディオ機器、携帯電話、そしてPDA(携帯情報端末)といった製品群を一気に統合し、それまで日本が得意としていたこれらの市場は急激に縮小していきました。

特に、スマートフォンの普及に伴うクラウドサービスとの連携やアプリケーションの配信・課金の仕組みを、日本企業はうまく活用できませんでした。これにより、GAFAM(Google、Apple、Facebook、Amazon、Microsoft)のような巨大IT企業が世界を席巻する一方で、日本企業はその流れに乗り遅れ、競争力を大きく失う結果となりました。

原因の深堀り - 思考停止社会の一因

日本の電機産業が衰退した原因として、郷原信郎さんの『思考停止社会』が指摘するように、日本社会全体に「思考停止」が広がっていたことが挙げられます。郷原さんは、現状維持を望む文化や挑戦を恐れる風潮が日本を支配していると述べています。この「思考停止」は、企業経営にも影響を与え、新しいアイデアやビジネスモデルの創出を阻んできました。

例えば、企業の中では、技術の改良やコスト削減には注力するものの、ブレークスルーとなる新技術や、新しいビジネスモデルの開発には消極的でした。これにより、他国企業が新しい分野で先行する中で、日本企業は守りに入ることを優先し、結果的に世界市場での競争力を失ってしまいました。

また、挑戦者を支援し、失敗しても次の挑戦を後押しする社会的な仕組みが不足していたことも大きな問題です。失敗を恐れ、リスクを避ける文化が根付いていたため、革新的な事業への投資や起業家精神の育成が遅れました。その結果、技術革新をリードする企業が育ちにくくなり、日本の電機産業の衰退を加速させたと言えます。

日本の電機産業が抱える課題

  1. 構想力と展開力の欠如
    日本企業は初期のアイデアや技術力は優れているものの、それをグローバル市場に広げるための構想力や展開力が不足していたと思います。世界中で同じ規格の製品を大量に安価に提供する必要がある中で、競争力を失ったのです。

  2. 人材育成の不十分さ
    新たなビジネスや技術を開発し、それを大きな事業に育て上げる人材の育成が不十分でした。特に、アカデミアと産業界の連携が弱く、革新的な技術を持つスタートアップが生まれにくい環境にあったと思います。郷原さんの指摘するように、学術界でも論文を発表することが目的化しており、社会に貢献する技術やビジネスを創出するという視点が欠けていたのです。

  3. 挑戦を支援する文化の欠如
    失敗を許容し、次の挑戦を応援する文化が不足していました。これにより、新しいことに挑戦する意欲がそがれ、結果として新しい技術やビジネスモデルの創出が遅れたと思います。成功者を称えず、足を引っ張るような風潮がある限り、日本が再び技術大国として復活することは難しいでしょう。

  4. 経営の保守化
    企業の経営が、独創的な創業者からサラリーマン経営者に移行する中で、保守的な姿勢が強まったと思います。新しい事業に対するリスクを取らず、従来の事業の延長線上での改良に注力するばかりで、結果的に革新の機会を逃してきたのです。

  5. 厳しい雇用環境と新事業への移行の困難さ
    日本の雇用環境が厳しく、解雇が難しいため、企業が新しい事業に移行するのが困難であることも問題です。新しい事業を立ち上げる際に、不要となる従業員を解雇することが難しいため、リソースの最適化が進まず、結果的に新しい分野へのシフトが進みにくい状況が続いていると思います。

  6. 自立的な起業意識の欠如
    多くの国民が、雇用されることを前提とした教育を受けてきたため、自身が事業を作っていくという選択肢を持たないことも課題です。これにより、独立して新しいビジネスを立ち上げることが少なく、革新的な企業が生まれにくい環境が続いていると感じます。

現状と今後の展望

現在、日本企業が競争力を維持している家電製品は、エアコン、冷蔵庫、洗濯機など、日本の住宅事情や生活様式に適した製品に限られています。それ以外の製品、特に世界中で同じ仕様が求められる製品については、競争力を失い撤退を余儀なくされています。

一方で、中国の深センを中心とする企業は、技術力と品質を急速に高め、家電品や電子機器の分野で世界トップレベルの企業として成長しています。特に中国のAI技術は世界トップレベルに達しており、その分野での競争力は日本をはるかに凌駕していると思います。日本国内で深センのようなエコシステムを再構築することはもはや難しく、技術力と製造能力の低下は経済的な問題だけでなく、安全保障にも関わる重大な課題です。

まとめ

日本の電機産業が衰退した背景には、円高やグローバル競争といった外的要因だけでなく、郷原信郎さんが指摘する「思考停止社会」に象徴されるような、日本社会全体の構造的な問題が深く関わっています。技術革新を生み出すための構想力と展開力の不足、人材育成の遅れ、挑戦を支援する文化の欠如、厳しい雇用環境、そして保守的な経営姿勢が、これらの原因として挙げられます。

これから日本が再び技術立国としての地位を取り戻すためには、新しいアイデアや技術に挑戦し続ける文化を育て、失敗を恐れず挑戦を後押しする社会的な仕組みを構築する必要があると思います。そして、個人の創造力を尊重し、企業や社会全体でその力を最大限に引き出す努力が求められていると感じます。

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