娘がいない世界で

娘が亡くなり病院から自宅まで
娘を毛布に包んで抱っこしたまま車に乗り込みました。
「いっぱい頑張ったね」そう言って
しっかりと抱きしめました。
なくなる数日前から、体に触れると痛がっていたので
娘を抱っこしたのは久しぶりのことでした。

深夜2時、冷たい秋雨が降る中
自宅に戻ったその夜、私たち親子は川の字になって寝ました。
疲れ切っていた私は、すぐに寝てしまったようで
気が付けば朝になっていました。
横には、「ママ、おはよう」そう言って起きてきそうな
娘の姿がありました。
私の目から、涙が溢れて落ちました。

確か、葬儀屋さんが来て
段取りよく準備してくださったと思いますが
娘の葬儀、火葬までの記憶がありません。
ただ「可哀想に」と母や親戚の人たちが口にしているのを聞くと
胸がザワザワしたのを覚えています。

娘の人生を可哀想とタグ付けしても良いのか?
余りにも死に関する様々な情報が社会に散乱してはいないだろうか。
娘のように幼くして亡くなることは不幸なのか。
娘は病気になる人生を選び、私たち親を選んで生まれたのか。
先祖を粗末にすると不幸になるのか。
親が悲しむと、亡くなった人は成仏しないのか。
子どもの病気は母親の影響なのか。
子どもが亡くなるのは親の責任か。
人は修行にために生まれるのか・・・・
まだまだ沢山あります。
これらは全て、私は情報として取り込んでいましたが
腑に落ちませんでした。
けれど、「違う」と言い切ることができなかったのは
心のどこかで信じている部分があったからだと思います。

時を同じくして、初めて入院した病院で同じ部屋だった子の
お母さんから葉書が届きました。
そこには、お子さんが亡くなった事が書かれてあり
最後には「自慢の息子です」と書かれてありました。
その言葉に私は衝撃を受け
何かとても大切なことが私には見えていないんじゃないか
そのような気持ちが湧いてきました。
確かなものは何もなかったけれど
このままでは前に進めない
この先、私が娘のいない世界で生きていくために必要な
「何かがきっと有るはずだ」という直感を信じて
探し始めるのでした。




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としみ
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