KIKIAU KOTONO ENERUGII #37
私はこうして不登校になった
42年前、中学一年生の私は朝からお腹が痛かった。
母に「トイレに行っといで!治るから」と言われたが
治るとは思わなかったけれど、言い返す言葉もだるいほど
私は心も、体も重かった。
私の両親は、お見合い結婚でした。
母の口癖は「好きじゃなかったけど、そうするしかなかったの」だった。
父は大工で、無口で、家を立てる技術と心意気は素晴らしかった。
でも、母はインテリな人が好きだったらしく
夫婦喧嘩が起こると、漢字が読めないことを罵り
父は、言い返す代わりに母に平手打ちを食らわした。
物心がついた時から、家には暴力が溢れていた。
小学校になる頃には、「離婚」と「不倫」という
私には理解できない問題が起こった。
家庭内に言ってはいけない秘密ができた。
知らないおじさんと、水族館に行ったり、ドライブに行って
美味しいものを食べても、父の前では何もなかったように振る舞った。
母に口止めされてはいないけど
言ってはいけないことぐらいは理解できた。
そして、家族が仲良く暮らしていくために
その為に、私は黙っていた。
学校が終わって、校門を出ると
すぐそこにある歩道橋に母が立っていた。
初めは嬉しかったけれど
2回、3回と繰り返されるうちに、憂鬱になった。
母が歩道橋で待っている日は
離婚の意思を固めた母が、家出をし
親戚の家に行くという意味だから。
お世話になる親戚のうちでは
私たち親子は歓迎されてはいなかった。
3日ほど後に、父が謝りに来て、一緒に帰る。
それが、小学校6年生まで何度も続いた。
小学生の私にとって、これらの事実を
それに伴う情報の数々を理解できたかといえば
それなりに理解できていた、けれども
矛盾も多かったし、処理しきれないことだらけで
知らず知らずのうちに、蓄積されていった。
中学校に入った私は
高校進学、就職など次々に決めなくてはいけないこと
友達作り、宿題、定期テストなどの
実際にやらなくてはいけないことの多さに驚いた。
更には、何故だか分からないが
いじめの対象になってしまった。
かと思えば、恋愛とか付き合うとかの話も始まった。
そんなこんなで、中学に入って、処理できないことがまた増えた。
ある日、二者面談で担任の先生から
「あなたの小学校の成績、一体なんなの!?
あなた、小学校で何やってたの」と言われた。
そのことが、きっかけとなり
つもりに積もった未消化物によって
私の体は悲鳴をあげた。
私は、どうして良いか分からなくなったり
焦ったり、びっくりしたりすると
思考も体も動けなくなってしまう体質だった。
だから、家から出られなくなった。
学校に行けなくなった。
ただひたすら、じっとしているしかなかった。
それしか、方法が見つからなかった。
結果、私は不登校になったのでした。