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子どもを亡くした私が承認欲求を手放す①

単刀直入に言って、私は承認欲求の塊だと思います。
それには、そうなる理由があるのですが
理由はともかくとして、承認欲求の塊であるとかなり生きづらいです。

最近もかなり落ち込んでいて
それも、かなりの期間苦しんでいました。

私は生まれた時から病弱であり、存在そのものが承認されたことがありません。
子どもを亡くした親は、承認してもらえません。
健在する二人の息子は不登校でしたが
この状況にある親もまた、承認を得るのが難しいと思います。

それでも、子どもの頃は生きていくために
承認される手段を考えて、優しい子、大人しい子を生きてきました。
お陰で、今日まで生きてきました。

でも、でも・・・。
演じて生きる必要がなくなったにも関わらず
悲しいかな今持って、演じることをやめられないのです。
そして、「誰か私を認めて〜!!」と思い
承認されることに飢えて、苦しんでいます。

そして、そんな私のところに生まれてきた3人の子どもたち
見事に病気で亡くなったり、学校に行かなくなったり
考えようによっては、私を承認欲求から解放するために
存在していると言っても良いのではないだろうかと気がついたのです。

つづきは看護師であり子どもを亡くした親としての視点で
考えを綴ってみたいと思います。





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としみ
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