レッテルが私になった ②
死んでしまったと思われた私は3日後母の元に
連れていかれました。
母は私が「自分の子どもではない」と疑っていました。
母は、医師が貼ったレッテルを完全に信じていました。
自然分娩であれば、母か子どもどちらかが死ぬと言ったので
自分が生きているとすれば、子どもは死んでいるはずです。
更に、当時は産院で赤ちゃんの入れ違い事件も起こっていました。
3日後に「お子さんですよ」と連れて来られても
母は疑いしか感じられなかったのでした。
母は「子どもが亡くなったと言えば医療事故になる
それを隠そうとして別の子どもを充てがった」
そこまで思っていたようでした。
産後間もなく私は高熱を出しました。
そこで、母は医師に
「赤ちゃんは普通、母親の免疫が残っているので高熱を出すことは
とても珍しいことです、この赤ちゃんは長生きしないと思います」
そう告げられたのでした。
こうして、私は「長生きしない身体が弱い子」の
レッテルを貼られてしまったのでした。
私は何度となく高熱を出すようになりました。
私が元気で少しでも長生きできるようにとの思いで
母は私の全てを管理しました。
私はどんなに高熱が出ても、必ず復活し
元気になっていました。
それでも母は、元気になっている私を見ることができず
熱が出るたびに「長生きしない身体が弱い子」と確信をしていったのでした。
雨の日は外に出ることはできませんでした。
体を冷やさないために冷たいものを食べさせては貰えませんでした。
小さい時から体に良い不味い煎じ茶を飲まされていました。
食が細いので食事中は怒られてばかりいました。
冬はダルマのように着膨れになりました。
そんな幼少期を送るうちに、私はいつしか「長生きしない身体が弱い子」に
なっていったのでした。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・続く
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