子どもを亡くした私が承認欲求を手放す②
私は小児専門の看護師をやっていたことがあります。
妊娠、分娩での問題で長くは生きられない子どもに携わってきて
思うことがありました。
それは「なんで生まれてきたのだろうか」ということです。
私の娘にも同じことを思ったことがありました。
私は生まれて来てくれて本当に嬉しかった。
ですが、生まれて1年で病気になって
治療や検査で病院の中で生活し、痛みや苦しさを定期的に経験し
5年という短い人生を送る。
「娘はなんで生まれてきたのだろう」と。
よく「安産」とか「難産」とか言いますが
どのお産も奇跡の連続だと思います。
どのお産も命懸けだと私は実際のお産を見てきて思います。
命の誕生は奇跡そのものです。
命をかけてまで産まれたにも関わらず
苦しい時間しか経験できない、短い時間しか生きられない
それが、ただの偶然だとしたら
運が悪いか良いかだけだとしたら
私には全くつじつまが合わないのです。
その生命に、存在に意味があるとしか思えないのです。
尊い命が、承認されるだけのために存在するぅ???
ありえない!!
これが私の答えです。
少なくとも私が生まれた理由ではないことだけは確かですし
娘の5年間の生き様を振り返っても違うと言えます
ハッキリ言って私、なんで承認欲求に拘ってたんだろうと
思ってしまいました。(それなりの理由はあるのですが)
じゃあ、承認欲求を満たすために生きるのではなく何の為に生きるのか・・・・
私という人間の成長、自分の可能の実現の為に生きるのだと思います。
そう考えると、子どもたちには感謝しかないし私の人生は順調だと言えます。
だって、承認欲求に気がつき、更にそれを手放そうとする
苦しい立場に置かれなければ、一生気づくことも無く
私は「誰か承認して〜!!」って、餓鬼状態で生きていかなければ
ならなかったと考えれば、本当に生きているとは言えなかったでしょう。
ここ数週間の苦しみすらも感謝しかない気持ちになりました。