北海道道「GLAY 30年の軌跡」

NHK北海道の番組『北海道道』のGLAY特集での、TAKUROさんのコメントが実に良かったので、備忘録としてメモしておきます。
NHKプラスで見たのですが、永久保存版として録画しておきたかった。。個人的には、HOWEVERの話と30年経っての話が、特に沁みました。

※書き起こしは私個人がまとめているため、実際の発言との相違等があり得ますこと、ご了承ください。

ーHOWEVERについて
「原題はHARMONYだったが、HOWEVER(しかしながら)に変えた。着想はダスティン・ホフマンの映画『卒業』から。ハッピーエンドに思えるけど、若い2人にはこれから長い人生が待っている。君たちこれからどうするの?という問いかけ。」

ーデビュー・上京について
「あの頃のGLAYに人生賭ける方がどうかしている。」
「札幌にでる選択肢もあったが、札幌は住み易すぎる。夢を叶えるなら、もっと厳しい状況に身を置かないと、駄目だと思った。人の優しさに溺れてしまう。」

ー4人でいることについて
「90年代の音楽業界の狂乱は人を狂わせる。俺たちは正気。」
「自分たちを見失わないように4人で話し合う。移動も話し合いも4人で。移動の時も隣の席で。言葉を交わさなくても、その時読んでる本などでメンバーの考えを感じ取れる。」
「一回止まりたいという感覚をメンバーみんなで感じながら。一番足が遅いメンバーに合わせていこう。」
「売れるとは、成功とは、幸せとはなんなのか。そこでメンバーの価値観がバラバラだと今のGLAYはない。GLAYにとって何が幸せか。」

ー北海道・函館について
「誇りを持って函館出身、北海道出身だと言えた。空港に降りた瞬間から気持ちが洗浄される。ざらついた気持ちが元に戻る。」

ー2001年石狩ライブについて
「あの1日があったおかげで今もやれている。北海道でGLAYの音楽を鳴らすのが一番正しいやり方だと感じられた。」
「ファンという括りではなく、一人一人が集まったのだと認識。みんな今の時代を一生懸命生きて、たまたま同じ場所に集まった。こんなに幸せな音楽人生はない。これからの指針になった。」

ーFMいるかについて
「ロスでも聴いている。国道5号線の情報をロスで知る。」

ー函館での曲作りについて
「どんな場面でも、僕たちには北海道の曲があるから怖くない。曲が引っ張ってくれる、書いた言葉たちが生き生きする。」
「30年やってきたので技術はある。言葉に感謝される感覚は、北海道にいないと生まれない。」

ー『さよならはやさしく』について
「僕らの原風景は80年代の函館。東京で夢を叶えて、また北海道に心を寄せている。この繋がりが次の自分を作ってくれる。この曲が30周年に北海道で流れているということだけで、これからやっていける。」

ーこれからのGLAYについて
「だいたいTERUの無茶振りから始まる。」
「30年経って、GLAYはGLAYになった。それまでは、GLAYという得体の知れないものに、どうして良いか分からなかった。」

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