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目の不自由なホームレスと発信

 目の不自由なホームレスが

「私は目が見えません。だから助けてください」

と書かれた段ボールと空き缶を置いて路上に座っていました。


しかし人々は、前を行き交うだけでお金を恵んでくれません。
そこにある人が、こう書き直してしばらく様子を見ていました。

「こんな素敵な1日だけど私は見られないのです」

するとどうでしょう。
どんどんお金を入れてくれる人が増えたのです。


自分ごとと思わせる

 この違いは、相手に「自分ごと」と思わせる一文を加えたことにあります。最初の文は、ホームレスの目が見えようが見えまいが、通り行く人々には関係のないことです。残酷だけれども「だから、なに?」と思われて通り過ぎます。

言葉が伝える共感とは

 書き直した文章にはホームレスの生活を「自分ごと」にするキラーワードが含まれています。それは「こんな素敵な1日だけど」という所。道行く人の中で、素敵な一日を過ごした人は、目の前のホームレスに気を留めます。「今日、私にはステキなことがあったけど、このホームレスさんはとても気の毒だ」と、哀れみの感情が沸き上がります。

言葉が伝える価値とは

 さらに、「自分がとても恵まれていること」に気づかされ、感謝の気持ちが湧き上がるのです。
ここでポイントは、潜在的に漂っていた感情が表に顕在化したことです。「だれでもステキな一日を過ごせるとは限らない。なんて自分は幸せなんだ」と気づかせてくれたことなのです。

共感と価値がだいじ

 空き缶にどんどんお金が貯まっていった理由は、共感と価値にあります。琴線に触れる言葉によって自分の感情が揺れます。その感情に気づかせてくれたホームレスの文章は、日常の当たり前の幸せを気づかせてくれた「価値」なのです。

この価値に通りすがりの通行人がお金を投じたのです。

SNSも共感と価値がだいじ

 SNSも同じですよね。読者の方に「共感」と「価値」をお届けする。これができれば発信者としてつねに求められる存在になると思うのです。


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