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ニューヨーク大停電~それは、20年前の今日8月14日に発生した~

2003年8月14日。
私はニューヨークのマンハッタンにいました。

ニューヨーク マンハッタン

ニューヨーク大停電の瞬間

ホームステイをしながら語学学校に通っていたのです。

学校まで電車で1時間の距離。

それが起こったのは、午後4時30分ぐらいだったと記憶しています。
急に教室の電気が消え、空調がストップ。

2003年のノースイースト大停電の始まりでした。


 直後は、停電だとは思ったものの、またすぐに復旧するだろうと気楽に考えていました。

この部屋だけかな?フロワー全体かな?

最初は事態が正確に把握できませんでした。

先生は少しパニックっていたけどね。

でもなにやら外が騒がしい。どうやらこの近隣一帯が停電らしいのです。

しばらくして、先生が教室から出ていきました。職員が集まって緊急会議だそうです。

そして、教室に戻ってきて先生が言いました。

「授業はここでおしまいです。停電が復旧するまで休校になります」

29時間続いたこの停電は、結局ニューヨーク全体とアメリカ北東部と中西部の一部、さらにはカナダのオンタリオ州にまたがるに及ぶ大規模なトラブルでした。

ニューヨークの街に放り出された

「このビルもクローズします。生徒、教員、スタッフを含め速やかに退場してください。」
外に放り出されました。

日本人の生徒4人がビルの前に集まり、さてどうしようか、となりました。

なぜなら、電車もストップ。いまから宿泊できるホテルもなし。

だんだん夜も更けてくる。

今置かれている状況に徐々に不安が募ります。

当時は携帯電話もなく、ホームステイ先のママとも連絡をつけることができません。

みんなそれぞれマンハッタンから遠くの場所にホームステイしていました。

とりあえず、一緒にタクシーに乗って各ホームを回ってもらおうということになりました。

ところがこのタクシー。

なかなかつかまりません。

街のタクシーは、流しが少ないうえ、すでに送迎中、または拾えても行き先を伝えると首を横に振ります。

実は、後で知ったことなんですが、ガソリンの給油も電気を使っているのです。

タクシーの運転手は、往復で無給油で行くことのできる場所までしか客を運べません。

かならずしも意地悪で拒否したのではなかったのです。

それだけ私たちのホームは遠方にあったのです。

知らない国でのトラブルほど、不安にさいなまれることはありません。

なによりここは犯罪率の高いニューヨークマンハッタン。

どこかで誰かの騒ぎ声も聞こえだします。

一台のタクシーを拾った

みんなで手分けしてタクシーを探し回っていた時、ある人がタクシーを拾うことに成功しました。行き先を告げても乗車させてくれるらしい。

ニューヨークのタクシー

運転手は南アメリカのプエルトルコとかメキシコ系の人でした(たぶんですが)。

「ラッキー!とりあえず、ホームに帰れる」と安堵しました。

ちょっと心配なのはタクシー代。

なにせホームからは電車で1時間の距離。相場も分かりません。

とにかく、ずっと乗車拒否に合ってようやく見つかった1台。

学校から近い所に住んでいる人の行き先を告げ乗り込むことに。

マンハッタンを抜ける

いつもなら光り輝いているはずの真っ暗なマンハッタンを抜け、
郊外をひた走ります。そのうち森のような場所に

30分ドライブしたころでしょうか。

運転手が信じられないことを行ってきました。

「この先いけない」

え~。
どうやらガソリンの消耗が思ったより速く、というか見込みを間違っていたとしか思えないのですが、帰りのガソリンがないから先に行けないと言い出しました。

 ここから先に進んでしまうと、私たちを下した後に帰れない、行った先で宿泊費がいる、食費がいる、停電が解消するまで何日留め置きされるか分からない、とか言い出して降ろされてしまったのです。

知らない郊外の町で降ろされた

ニューヨークから車で30分の郊外

しかも、しっかりここまでのタクシー代(200ドルくらい)を要求してです。

「なんと理不尽な、そんなことならマンハッタンで言ってよ~」
と思いましたが、ここはすでに車で30分の距離。

おまけにここがどこかの検討も尽きません。

2003年当時は、ナビなような便利なツールもなく、まさに絶対絶命のピンチです。

 気持ちだけの街灯が照らすほぼ真っ暗な場所。住宅の明かりさえ近くに見えません。

親切なご夫婦との出会い

行く当てもなくたたずんでいると、暗闇から白人のカップル。40代ぐらいでしょうか。
とても紳士的な旦那様と優し気なご婦人でした。

散歩中のご夫婦に出会う

後から聞くと夜の散歩中とのことでした。

 藁にも縋る思いで、私たちは今の状況を伝え、マンハッタンからここまでたどり着いたけど、まだホームに帰れないことを伝えました。

 暫らく私たちのつたない英語を聞いていた旦那様は、一人一人ホームの住所を聞いた後、自家用車で送ってあげると言ってくれました。

何と言う幸運。

 聞けば、旦那様は私たちが日本人であることが直感的にわかったそうなのです。
 なぜなら、旦那様のお仕事の関係でクライアントが日本人。そしてその日の日中も日本人と接待ゴルフを楽しんでいたそうなのです。

 とても親切なご夫婦にめぐり合い、旦那様が日本人とのお付き合いがある方という偶然が重なり、私達全員を送り届けてくれることになったのです。
それも、車で30分以上の距離です。

留学で勉強したこと

 ホームについたのは夜の21時頃。
最後は、しっかり握手をしてお別れしました。
 こんな遅くまで街で見かけた知らない外国人を安全にホームまで送迎してくれたご夫婦には感謝しかありません。

 お互い連絡先も交換しなかったので、今となっては、どこの誰だか、会うことも叶いません。

 けれども、その時に感じた感謝といまここで何ごともなく生活できている自分の幸運を感じるたびにあのご夫婦のことを思い出します。

留学で多くのことを学びましたが、あの日のあの経験ほど、後の人生に役に立ったことはありませんでした。

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