君はもう一人で飛べる
いかした奴らの話をしよう。つまり、KMNZとMarprilの話だ。
KMNはSTREETに実在する
またしても見出しで結論を述べてしまった。
REALITY株式会社がプロデュースするバーチャルガールズユニットKMNZ、MC LITA&MC LIZ
その1st ONEMAN LIVE「REPEZEN KMNSTREET」が昨年12月17日、池袋harevutaiにて開催された。
誰もが待ちに待っていたKMNZのリアルワンマン。その現場は間違いなくKMNZ3年間の歴史の結実であった。
順をおって話していこうと思うが、先に結論を述べてしまうなら……あの日手を伸ばしたのは正解だったということである。
KMNの流儀
あれからKMNZのオリジナル曲は格段に増えた。フルアルバム2枚、feat参加も多く、数多のトラックメイカー達と共に数々の名曲を制作してきた。
KMNZのフロウの乗り方は変幻自在だ。Vの中で、とかいう話ではなく純粋にアーティストの中でもトップレベルのヴァリエーションを持つと言っていい段階にもはや到達しつつある。時にはワイルドに、時にはキュートに。フットワーク鋭くビートのキレも七色に変わる。そもそもKMNZの楽曲自体がオールスタイルだ。フューチャー・テクノにギターロック、ワールドミュージックからシティポップ、R&B、そしてオールドスクール。チルもファンクもトラップもバウンスもお手の物だ。これほど幅広い曲調を自在に歌いこなす力をKMNZはどこで身に着けたのか、その答えは明白だろう。
かつて私はKMNZのcoverについて「自分のルーツに根を張った『好き』を表明することにこそ、その人の価値観やセンスが色濃く表れ、やがてはそれがその人自身のスタイルになっていく」と述べたが、ほかならぬKMNZがそれを証明してくれる形になったわけだ。
先人たちの培ってきた表現は、ただ表層をなぞるだけでは身につかない。自らの血肉とするためには、食らわなければダメだ。意味を汲み取り、構造を分析し、深く理解すること。表現したいものは何か、取り組むべき課題は何なのか、じっくり自分と向き合うこと。そして自分の中に息づくようになるまで繰り返し実践すること。即ち必要だったのは……三年間のPRACTICE。
そして今KMNZのスタイルは、紛れもないKMNZだけのオリジナルだ。
これが正式なオリジナリティの作り方だ。どんなクリエイションも決してゼロからは生まれない、必ず一から生まれるのだし、その一は自分が生きてきた中で誰かから受け取ったものだ、というのが私の持論であるが、まさにKMNZは”一から”他の誰でもないKMNZの表現を確立したのだ。
KMNの流儀として。
KMNのSTREETはどこにある?
REPEZEN KMNSTREETは大所帯だった。
これまでKMNZと共に楽曲を制作してきたトラックメイカーたちがこの祝宴に駆け付け、熱いプレイで会場を沸かせてくれた。
ワンマンにゲストを大勢呼ぶ、といったことについていろいろ意見もあるだろうが、個人的には今回の、REPEZEN KMNSTREETに関してはこれが正解だったと思う。
KMNSTREETとは何か。KMNの街は、どこにあるのか。
KMNZはストリートに実在する。ではそのストリートはどこなのか、という問いに対して私がかつて出した答えはKMNHZSTORYTだった。次元の壁を越えて、二つの世界を地続きにするアプローチ。KMNZが(そしてKMNHZが)ストリートカルチャーに存在するうえでこの街の果たした役割は非常に重要だった。
しかし今いるのはKMNSTREETだ。
ストリートには音楽とファッションがある。KMNSTREETにあるのは、KMNZの音楽とKMNZのファッションだ。KMNZの音楽とKMNZのファッションでできた街、それがKMNSTREETだ。
もはやKMNZの音楽だけで、KMNZのファッションだけで、街が成立するようになったのだ。三年間の年月が、その中で織られた人と人の関係が、街としての存在感を単独で持てるほどの具体的なヴィジョンを確立した。すなわち、リアリティ。
だから全員を呼ぶ必要があったのだ。KMNZの音楽は、彼らと作り上げた音楽だから。
だから現地ライブをやる必要があった。私たちには同じ服を着て集まる場所が必要だから。あの日種族も次元の壁も超えて繋がった私達が、今こそ集うための場所が。
あの日のharevutaiには必要な全部があった。KMNZの音楽とKMNZのファッション、そしてその価値観を共有する私たち。バーチャルとリアルが同じカルチャーでつながる場所。KMNの集う路。
音楽とファッションが交差するとき、そこには文化が生まれる。
今ここにKMNSTREETは具現化した。あの晩、私たちはみんな「KMN」だったのだ。
KMNHZSTORYTはある意味、KMNSTREETの一画に吸収されたのだろう。バーチャルとリアルは緩衝地帯をもはや必要とすることなく、自力でつながれるようになった以上、KMNHZSTORYTの役目はもはや果たされたのかもしれない。寂しいような気もするが、それもまたSTREETのさだめのようなものだ。STREETは人と人が集まり、交差し、別れていく場所だ。いつまでも隣にいると思っていた人が、いつの間にか違う道を行っていたり、あるいは離別したはずの人と不意にまた出くわして肩を並べて歩いたり、そういう思いがけないことが起こるものだ。
街は有機的に動く。ヴァーチャルな街だってそれは変わらない。そこを構成する人々が有機的に動くものである以上。
KMNSTREETは実在する。そして私たちはKMNSTREETに実在する。
ライブの最後はKMNSUPPLYの新作コレクションと新譜の告知で幕引きとなった。musicとfashion、やはりこの二つがKMNZのマストだということだ。自分たちのスタイルを確立し、「地元」となる街を確固たるものとしたKMNZはもはやHIPHOPアーティストとして一人前の存在になった。そんなKMNZのこれまでの3年間の集大成としても、スタートを切るこれからの所信表明としても「レペゼンを掲げる」というのはこれ以上ないほどふさわしい舞台であったと思う。
KMNSTREETは、KMNZのホームはここに確かにある。帰る場所があるから旅に出られる。二人ならどこまでも行ける。
KMNZはこれからも旅を続けるだろう。次はどこへ行こうか。どんな街へ。
大人になる君たちへ
いいから俺に「今一番イケてるフィメールラッパーは誰か」と聞くんだ。俺はMarprilと答えるから。
岩本町芸能社所属のバーチャル・デュオ・アーティストMarpril、谷田透佳と立花鈴。
「とりま踊ろ」を合言葉に快進撃を続けてきたMarprilは、3月1日にめでたく3周年を迎え、3月26日に谷田は19歳、4月1日に立花は20歳になった。そんな彼女たちの辿ってきた足跡を紐解いてみよう。
文脈の子
2019年3月1日。電撃的に発表された岩本町芸能社新タレント谷田透佳、立花鈴のデビュー。岩本町芸能社には既にVRアイドルえのぐと天才俳優馬越健太郎が所属しており、その後輩にあたるユニットとして早くも注目を集めた。事務所でタコパしたりTwitterでポヒ~とか言ってる二人を見ながら、どんな活動をしていくのかと心待ちにする日々、そして本格的な活動始動の日、谷田と立花、二人のユニットMarpleは高らかに宣言する。
ダンスと歌、そして溢れ出るこのタレント性で世界を獲ると宣言したMarpleが一体どんな活動を見せてくれるのか、わくわくしながら迎えた、その日。
コンセプトとビジョンは明確だった。エレクトロ、クラブサウンド、ダンサブル、そしてURBAN。COOLな電気羊がそこにいた。私達は痺れるニューカマーの誕生に、彼女たちがこれから見せてくれるであろう活躍に大いに期待した。
そして訪れるMarpril 1st live「sheep in the night」
会場は秋葉原エンタスだった。
当時のMarprilの規模ですら、どう考えてもエンタスのキャパでは不足だった。実際競争率は非常に高く、現地チケットは瞬殺だった。
それでも、彼らが1stの会場にエンタスを選んだのには理由がある。
Marprilは文脈の中に生まれた子だ。
Marprilは始めからクラブカルチャーへのフォーカスをコンセプトにして生まれたユニットだった。そのためにMarprilオリジナル楽曲の公募リミックスコンテストを行い、クラブカルチャーの住人であるトラックメイカーとの繋がりを作り、彼らの中に存在感を示した。
また、「靴」をマストとするファッション・モードは、HIPHOPの重要なコードの一つであるし何より「ファッションによって帰属を示す」ことそれ自体がHIPHOPカルチャーの「やり方」である。
こうしてMarprilはHIPHOP・クラブカルチャーへの帰属を明確なものにした。その一方でMarprilは「バーチャルYouTuber」でもある。
いわゆるVtuber的な界隈の潮流から少し外れたところに陣をとったえのぐや馬越健太郎と異なり、Marprilは運営方針として明確にバーチャルYouTuberでもあろうとした。最初の自己紹介動画でもバーチャルYouTuberを名乗り、音楽活動と並行してYouTubeに動画をアップして、Vtuberとしても活動を続けてきた。苦手なTwitterも頑張って、等身大の彼女たち自身を発信してきた。
その中で他のVtuberとも交流を深め、sheep in the lightのMV公開とVティーク掲載の際には多くのVtuberから祝福のメッセージが寄せられた。こうしてMarprilは、いわゆるV界隈の中にも居場所を確保した。
Marprilはクラブカルチャーとバーチャル・カルチャーの、両方の文脈の中に生まれた存在だ。だからこそ、ファーストライブは現場のあるリアルライブであり、そしてエンタスである必要があったのだ。Vクラブカルチャーの始まりの地であり、そして彼女たち自身の生誕の地でもあるバーチャフリークと同じフロアに立つことが。
秋葉原エンタスで開催されたsheep in the nightは、MarprilがVカルチャーとクラブカルチャーの両方の文脈を引くサラブレッドであることを示した。これによってMarprilはVクラブカルチャーの中心的存在となる血統的正当性を獲得した。
Marprilのライブが明確に現場ライブ的性格を有するにもかかわらず、配信でもその盛り上がりが衰えないのは、彼女たちのこうしたカルチャー的出自と生育環境によるところが大きいだろう。
Marprilは生まれた時からバーチャルとリアル二つの文脈の中心にいたのだ。
そしてMarprilにこれらの文脈を用意したのが、プロデューサーであるエハラミオリだった。
バーチャフリークvol.2で自身の出演中に彼女たちのデビューとプロデューサー就任を電撃発表したエハラミオリは、その後も数々のクラブイベントにDJとして出演し、Marprilの曲でフロアを沸かせていった。
クラブシーンで信頼を置かれているトラックメイカーに作曲を依頼し、実績のある映像作家がMVを手掛けたMarprilの楽曲は、V楽曲大賞で三年連続ランクインを果たし、V楽曲ファンの中に確かな存在感を刻んできた。
その一方で、同じくエハラミオリがプロデュースする斗和キセキ、アオノユウキ、ヨシナたちとも交友を深めた。所縁あって仲良くなった柚子花はMarprilのライブにゲスト出演して、3人で歌い踊った。ラップ&ボーカルアーティストの先輩であるMONSTERZ MATEとはMarprilデビュー直後からコラボを重ね、ライブでも幾度となく共演してきた。これらの縁を繋いだのも、エハラミオリだった。
クラブカルチャーとVtuberカルチャー、そしてエハラミオリ自身の文脈と人脈が、Marprilを生まれたときから取り巻いていた。生まれながらに文脈の渦に守られ、カルチャーの中で育まれてきたのだ。その意味でMarprilは「エハラの子」という文脈で見られることも多かった。
それを象徴するものが、hackedだった。
エハラミオリのFruity LuvをYACAがBeatJackして生まれたJacked Fruity Luv、それをさらにコーサカとMarprilがhackして生まれたHacked Fruity Luvはエハラミオリにまつわる文脈の集積であり、Vクラブシーンの辿ってきた歴史そのものだ。
hackedは「TUBEOUT!SESSIONS Vol.2」でコーサカfeat.Marprilとして初披露された。
エンタスで開催されたsheep in the nightでは、アンコールにコーサカが登場してhackedが歌われた。
柚子花がゲスト出演したDo the city hopでは、アンコールでのRemixメドレーでhackedがかけられ、全員で「大好き」を唱和した。
様々なイベントでhackedは、Vクラブシーンへ向けた巨大なLuvのアンセムとなった。
Fruity Luvはエハラミオリから始まり、エハラミオリにまつわる人々の間で紡がれてきた。その意味ではこの曲はあくまでも「エハラミオリの文脈」の延長にあって、その文脈の上にMarprilも乗っているという構図だった。
そのhackedが3rdライブ「Electric Sheep Club」で、Marprilだけで歌われたというのは、象徴的な出来事であったと思う。
「エハラミオリの文脈」のもとで生まれたhackedを、さらにhackして自分たちの言葉で、自分たちの思いであらためて歌いなおす。「エハラミオリの文脈」から「Marprilの文脈」へと、HackedをHackする。それはある意味で、Marprilを取り巻く文脈の保護からの脱却であった。これまでMarprilを支えてきた文脈の補助輪を外し、自分だけの力で漕ぎ出す。その瞬間に、Marprilはエハラミオリの文脈から「自立」したのだ。
Electric Sheep ClubはMarprilにとって、一種の通過儀礼だったのだろう。
過去と未来
Marprilは絶妙なチームだ。
Marprilの谷田と立花はデビュー当時16歳と17歳になったばかりの少女だった。若く、フレッシュで、ピュアな、勢いよくホップしていく生命力に溢れている。やたちばなは明らかに「未来」に向かおうとするエネルギーだ。
一方でエハラミオリの楽曲は、感傷が基底にある。過ぎ行く時の中で失われるイノセントな存在への思慕と、それを振り切って先に進むことへの後ろめたさが核にある。光を見上げながら、見上げる光に照らされる自己を描く。そこにあるのは「過去」を志向するエモーションだ。
未来と過去、この相反するベクトルは一つの楽曲になった時、ギャップとして機能する。未来に向かっていく若さそのものであるMarprilが、過去へのセンチメンタルを歌うことで、ある種の「完全な少女性」を楽曲の中にパッケージングすることができる。
この構図が最も表出していたのが、ブレーカーシティとナミダアーカイブだ。
ブレーカーシティとナミダアーカイブ、この2つは失恋の歌だ。かつてあった、今はもうないものへ向けた、追憶と回顧の歌だ。この2曲は容易に接続することができる。
その一方で、壊れた想いの破片を集めて、消せない記憶を紐づけて、未来への祈りを捧げている。確かな足取りで進む、否応なしに訪れる「明日」とも違う、もっと漠然とした「いつか」へと、自分の手から離れた遠い未来へと投げかけた、純粋な祈り。
その「いつか」が何時なのかは、おそらく彼ら自身にも分からなかったのだと思う。
根底にあったのは「不安」だったのだろう。
未来は分からない。それは誰にとってもそうかもしれない。ただ、この業界における「未来」は、あまりにも不確かだ。砂のように崩れ落ちていく実体の無い足場を必死に走り抜ける日々。そしていつか全てが白昼夢のように消え失せるかもしれない。そんな儚い世界に、あまりにも若い人生を賭けさせてしまっているという咎が、ずっと心に突き刺さっている。
来たるべき日が来た時に、何を遺せているだろうという怖さを、彼らは始まりの日からずっと抱えてきたのだと思うし、その不安はこれからも消えなくて、消せないのだと思う。
自分の手の届く範囲に、確かな約束はできない。だからこそ、自分の手の届かない未来を祈ったのではないか。
3rdライブ「Electric Sheep Club」にて、谷田と立花の「夢」の話からブレーカーシティ、ナミダアーカイブが歌われた。そしてそれに続いたのは、キミエモーションだった。
ライブの瞬間の中に永遠を見た。
未来は不確かだ。過去は過ぎ去った。
「在る」のは今ここだけだ。現に生きているわたしたちの命があるのは、今この瞬間だけだ。常に移り変わり続ける私たちの命は、すべてが唯一一回きりの、二度とない瞬間。瞬く間に生まれ消える刹那の中に、わたしたちの生の全てがある。すなわち、リアリティ。
過ぎ去る過去のベクトルと来たる未来のベクトルの交点、その無限に小さな瞬間の中に生じる奇跡。それがわたしたちの生(LIFE)だ。
そしてわたしたちの生が偶然にも重なり合った瞬間に光のように閃く生の遂行こそが生(LIVE)だ。
それは時間にして刹那、しかしその瞬間わたしたちはあらゆる障壁を越えて繋がり合える。いつか必ず訪れる運命すらも超越する歓喜……否。”今ここ”で遂行される生の「凄み」に、ただ直面する。視線が合う。
その美しさに恋をする。
もちろんこれはもっと「現実的」な明日の問題に対する解法ではないし、負わなければならなかった責任への免罪にもならない。
ただ、ブレーカーシティとナミダアーカイブの「先」にキミエモーションをもたらしたElectric Sheep Clubのセトリは、彼女たちが何かひとつ答えを見出すことができた兆しのように感じた。
永遠はない。ないったらない。では永遠はどこにあるのか。
全ての芸術(アート)が追い求めるこの命題の一端を、彼女たちはきっと掴んだのだろう。
過ぎ去った過去を肯定し、不確かな未来を直視し、刻一刻と変わりゆく在りのままの自分という現実を受け止め、そして今この瞬間の中に全てがあると知った時、少女は未来に進むことができる。
Marprilは大人になっていく。
旅する獣、夢見る羊
Marprilに託されていたものは「恋」だったように思う。
かつてカルチャーに恋をし、カルチャーの落とし子であるMarprilの可能性を信じてその背中を押してきた大人たちの手があった。そして彼らは、Marprilの翼に十分な揚力が溜まってきたのを見計らって、一人ずつ手を放していった。彼女たちが自分の力で、自由に飛べるように。
それは決して寂しいことではないと思う。Marprilをこれまで育んできたカルチャーは血肉として身についているし、これまで育んできた先人たちとは同じカルチャーに生きる仲間として、きっとこれからもどこかで線を交えていくのだろう。奇しくもそれをまさに証明してくれたものたちがいる。
アーティストとして一人立ちしたMarprilはもう、自分の力で飛べる。果てしない未来を、自分たちの力で切り拓いていくことができる。
谷田透佳と立花鈴、君たち二人なら、どこまでも行ける。
大人になる君たちへ、おめでとう。