仕事が嫌になる時

仕事が嫌になることが勤めて数年間で数回ある。初めて会ったのは九州での地震。
大変なことが起こっていて、知り合いも被災した。
だけれども自分の仕事では売り上げが上がった。
人が悲しんでいる中利益が出ることが正しいのか悩んだ。
何人かの先輩に話した結果、それは使うものだから仕方がないし、むしろ次はもっと人を救えるのだと思い直すとやる気につながった。
だからこそ、特に救難関係機器は本業と離れていようとも豊かな社会の実現を少しでも見える化できると考えて非常に熱を入れた。

そして今回。
改めて自分の扱う機器の危なさを知った。
起こらないと想定している軍事衝突が起こり、我々の関与する製品群も多々使われたであろう。
そして今後、今回の事象を引き金に新たな商機も生まれる。
この時に忘れてはならないのは、何のために働くか。
利益を上げるためというのはあるのかもしれないが、本当にこの業界でなければやっていけないのだろうかと疑問をもつ。
人を守るためなのだ、傷つけられないためなのだ。
たしかにそれは正しい。
正しいが自分は本当にそう思えるのか。
この映像ニュースを見て、本当に人生の大半の時間を費やしたいと思えるのか。

少なくとも、この業界に携わるならば本気でなければいけない。
覚悟を持たなくてはいけない。
ただの甘い楽しい世界ではない。
生と死を分けるビジネスなのだ。
誇りも持ち、自分のいる意味を固めてからではないと、少しやっていけないかもしれない。
この3日間で強く感じている。

心から戦争の終結を望む。
一方で平和とは何か考える。
この侵攻の結果もたらされる平和とは何か。
報道によれば民間人も犠牲になっているが、兵士はもっと犠牲になっている。
兵士にも家族がいる。
失った家族は戻らない。
だから恨む。憎悪の対象となる。
憎悪はまた、争いを生む。
実はこの事態を招いたのは世界情勢でもある。
自分たちは関係ないと思ってしまいたくなるが、無関心であることが罪なのだ。
関心を持ち、社会に影響を与える判断に対しては何事も自らの責任を感じて行動しなくてはならない。

いずれにせよ、これ以上人が無責任な人々の判断により、生きる時間を無くしてしまうことが起こらないことを願う。

ここまできてしまえば、どちらかが殲滅されるまで争いは続く。
火炎瓶を談笑しながらつくる映像を見た時の異常さは人生で初めて感じるものだった。

誰か知らない人が命じた結果、他人が自分を殺す。
実はその命じた人を動かしたのは自分かもしれない。

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