てるてる坊主
昔むかし、とある山の勝地に寺があった。
「今日も今日とて玄関掃除」
小さく呟いて、かの小僧は倉庫に並木のように並ぶ竹箒の中から比較的コシの柔らかそうなものを選んで持ち出した。箒選びも玄関掃除のうちというのが、かの小僧の了見である。
よちよち幼い頃に両親らに連れられこの山の麓にやってきた小僧は、目の前に自分の山が出来たことに喜んだ。まだ何もかもが新しく、しょっちゅう山に登りざわわと茂る音に囲まれ、幹や木の葉の裏で隠れん坊をしている虫などを見つけてはツンツンと自分の存在を伝えて遊んでいた。寺のあるのは麓から見えていたので、毎日その寺を目指して山に入ったものだった。当初は全くたどり着けぬうちに太陽が山をおりてしまったし、兎を追っかけるばかりに山道から逸れて逸れて迷子になってしまった日もあった。しかし子どもは諦めなかった。
日に日に山は小さくなっていった。
とうとう小僧は寺に辿り着いた。屋根がつんと尖り、静かだった。しかし、その景色は想像していたよりもずっとちんまりとして見えた。聞いた話によると、この寺は押し込めるように建てられた癖に妙に広く出来ていて逆に周りの木々や山を押しのけるような雰囲気、のはずなのだが、こんな寺だったらぐるりと一周ゆっくりゆっくり歩いて回っても、すぐに歩き終わっちまうだろうと小僧は思ったのであった。
しかしどうも近頃、この寺の中で小僧がせっせせっせと箒で落ち葉を掃いていると何だか庭の広さが二倍三倍に広げられたように感ぜられてきた。掃いている葉っぱたちは一向まとまる気配がない。時間がかかるかかる。まず玄関から始まり、入り組んだ墓場、広いばかりの庭、全てを掃き終える頃には腕がへろへろに疲れてしまう。そんでも、まだ雑巾掛けと畳拭きが残っていて、どうやらもしかしたらこれは噂通りの大寺かもなと小僧は見直した。
その寺はもう二週間以上もねずみ色のどっしりした雲で陰って居た。おかげで外の竿に掛けっぱなした服たちはいつ確かめてみてもじとりと手にまとわり付くもんで、とてもじゃないが着られそうには無く、このような天気が明日も続くようならもうそろそろ和尚さまの着替えがなくなるやも知れぬ、いやそれどころでなく寺中が黴びだらけになってしまうのではないだろうか、さすれば掃除がもっと困難となって、今でさえヘロヘロの腕がぽとりと取れてしまう…。ふとそう思いつくと、恐ろしくゾッとして、小僧はなんだかこの陰鬱な空模様、いや、模様もつかぬ程に染まりきったねずみ色が疎ましくなって、ええいッ、っと、思わず手にしていた箒をブンと振り上げ、その空を二度三度と思い切り仰いでやった。
すると、まさか、どういうわけか、その箒の先から雲が払われ細かく群れをなしてするすると移動してゆくではないか。空はねずみから淡青に色を変えて、太陽だって二週間ぶりであろう姿を現した。周りの土地を一望できるこの寺は、こんな晴れの時には陽の光を一身に浴びる事が出来、あたたかな光にあたって気持の良いことこの上ないようであった。太陽が遠い西に落っこちていく頃には屋根の瓦もだいぶぷっくりと艶も取り戻したように見え、小僧はよくよく満足し、服も明日には乾くだろうと、その晩は得意げにぐうぐういびきかいてやった。
明くる日、小僧は服を取り込んでやろうかと意気揚々外へ出た。
「むむ、何でこうなってしまうのだ」
全く、空はねずみ色に逆戻りしており、付け加え今にも降りだしてきてしまいそうなひんやりした風さえ吹いている始末だった。干しっぱなしの服たちは二週間ぶんの湿気を嫌味たらしく溜め込んでいたため、昨日の蒸栗色の太陽ではまだまだしっかりと乾くはずもなく、もし雨でも降ろうもんならばいよいよまずいと、小僧はヨシと意気込み、倉庫から箒を取り出して昨日と同じように空に押し付けて掃いてやった。だが、今度は何も起こらなかった。あわててもう一度、大きく箒を振るも、なんにも起こらない。心なしか風がピューピューと笑っているようだった。小僧は慌てて、倉庫から順番に箒を取り出しブンブン振りまくった。昨日はまぐれか夢かと泣きそうになりながら、ようよう八本目で雲は散り散り青い空が顔を出したが、どうやら少し力強く掃き過ぎてしまったのか、雲が去っていった空には白く擦ったような跡が出来てしまった。それでも空の晴れ姿は快活で気持ちよかった。
擦り跡の残っているのは庭掃除を終えて白砂に箒目を付けてるあいだもずっと気になって仕方がなかったが、太陽の沈む頃には少し小さくなっているように見えた。小僧は、ウムム、とちょっと唸ってみたが、空は擦れたままだった。明日には元通りになっているといいのだけれど。
そういえば小僧は、明日もこの箒でないとなるまいなと留意した。目印に烏瓜のつるを取手に巻きつけておいた。
してまたも朝は来るが、やはり今度も元通りのどんより空だった。こうもなってくると、小僧もこの寺の空は自分が晴れさせるしかないのだと思えて来て、烏瓜の巻きつけられた箒を持ち上げてシャッシャッと掃いてやり、すれば雲はするすると吹かれて行き、蒸栗の湯気が寺を包んだ。空の傷も見当たらない。寺が輝くとき、自分の気持ちも一段と高揚した。
小僧は起きしなにいつも今日の天気はどうだろうと思うようになった。太陽が隠れていれば、すぐに箒で雲をシャッシャッシャと掃いてやり空に浮かぶ友達に笑いかけた。
しかし、あんまりにもめげずにどんより空が続くので、小僧はある日とうとう大掃除を決意した。今までは寺からだけ雲を掃いていたが、今度は山じゅうの隅々から掃いてやろうと思ったのである。
和尚さまに休みをもらって箒を持ちだし山を駆けずり回った。こんなに山のそっちこっちまで来たのはいつぶりだったっけ。ひどく懐かしい気持ちになった。そのすべてが友達だった。椛や銀杏やツツジが紙吹雪よろしく小僧との再会を祝った。
小僧は一日かけて山のてっぺんから裏側から空を掃いた。空がぐんと高くなって、懐かしい気持ちがした。あたたかな光が山を散策するように照らし尽くした。
すっきりと晴れ渡った空が次の日もその次の日もそのまた次の日も続いたもんで小僧は大満足だった。少しねずみ色の雲がちょっと気になれば、すぐにシャッシャッと掃いてやった。外掃除の場所が玄関と墓と庭の三箇所から四箇所に増えたことなどちっとも気にならなかった。
和尚には、そんな小僧の姿がぱっと目についていた。
最初のうちは何とも気にかけなかったが、小僧が空を仰ぐ回数が日に日に増えてきたり休日に箒を持ち出すのを見かねてとうとう問いかけた。
「おまえは掃除をしてるのか祈ってるのかわからないですね。何か心配事でもあるのですか」
「いいえ和尚さま、心配事を追いやっているのです」
「まじないか何かでしょうか?箒を空に向けるのは、あまり褒められたことではないと思います」
「和尚さま!違うのです、実は、このところの晴れは私のせいなのですよ」
小僧は箒で空を掃くことができるのだと教えてやった。和尚は目をぱちぱちさせて、
「ははあ、いやはや、恐れ入った」
と頷いた。そして少し考えたあとに、
「やや、では暫く、北の方へ行ってもらえませんか」
と閃いたように言った。
「北にある私のふるさとがずっと嵐に見舞われて居り、作物がやられておるのです」
少し語気の弱いその言葉を聞いた小僧は、私で良ければお助けに参ります。そうスパリと和尚に告げ、すぐにれいの箒を持って北へ向かった。道中、稲がばったり倒れてしまっている田んぼがいくつもあった。
小僧はぐぐっと思案した。
いやはや、僧侶なんて生き物はまるで人間の鏡かのように高尚ぶっているが、本当に困って居る人の前ではからッきし駄目じゃないか。教えを説いてみても、自然には敵わないんだから。毎日しみじみ掃除していてもおよそ自分のために過ぎないし、墓の管理だって…。死んだ人間も大切だが、まずは生きている人間だ。ウン。ちゃんと現実として、いよいよ私は人を救うのだ。
小僧は幾つかの夜を跨いで和尚のふるさとの村にようやっと到着した。冷たい風が吹き、嵐がまたいつ来るかも分からないように思われた。はじめて箒を振るった時のように意気込んで村長のところへ会いに行った。
「和尚さまから言われてきました。遅くなってどうもすみません、でももう安心なすって下さい」
小僧がきっぱりそういうと、村長がほっと安堵した。
「はい、数日前から台風が止んでおります。すこし自然に任せてみましょう」
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昏夫
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