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金木犀の咲くノート


 アスファルトをぎらぎら睨む太陽のさなか、フッと色のない風がすり抜けていく瞬間がある。あっ、と瞬きをすると、風はたちまち金木犀のかおりに染められ、サッサッと音色を立てていた靴がいつの間にかパリパリと言い出している。
 秋の声だ。四季の中で一番豊かで、短い。ひょっこり現れて、さっと消えていくのが奴の性格だ。逃すまい、逃すまい。触り心地の良い風を感じた次の日から私は途端に早起きになり、大根の種を蒔き巖雲を写真に収め十六夜に団子を食べ親戚のこどもの運動会に遊びにいきコオロギを捕まえ、秋をひとつ残らず刈り取る勢いで満喫する。
 その日は六時半に起きた。私は散歩に見せかけ、うろうろと秋をストーカーしていた。こまごまとした建物の中から小さな公園を見つけ出した。三本ほど植えられた金木犀にブランコが閉じ込められてしまったような作りになっている。お気に入りの清涼飲料水を自動販売機で買ってベンチに腰掛け、ノートパソコンをそっと立ち上げる。溜まったメールは確認しない。お気に入りのアイドルの画像フォルダも今日はスルーする。インターネットに接続し、とあるサイトを開く。

 第三十五回ノート文学大賞、という文字が画面に浮かんだ。
 ノート、というウェブサイトに初めて辿り着いたのは、小学校四年生の遠足日、何故か気が乗らず、当時唯一自信を持っていた腹痛という嘘をついて部屋に引きこもり、パソコンで適当な調べ物をしている時だった。そのサイトはアカウントを作ると自分のノートを持つことができ、そこで、日記はもちろん小説や詩、写真や漫画を他の利用者に公開することができる、というものだった。ノート文学大賞は当時、そのサイトを利用する人の有志の資金で開催される小ぢんまりとしたイベントに過ぎなかったが、今やスポンサーもついて三十五年目になる。初期に比べれば規模は段違いに大きくなったが、その内容は一貫して変わらない。
 応募作品は小説部門と詩部門に分けられ、それぞれで大賞、ゲスト審査賞、コメント最多賞、スキ最多賞という四つの部門で選りすぐりの作品が賞を受ける。この最多賞は、読者からのコメント、スキの多さでそれぞれ受賞者が決められる。読者はお気に入りのノート作家にコメントを入れ応援することができる。投稿した本人が別のアカウントから自分でスキを押しまくったりコメントを入れまくれば獲得出来る賞でもある。努力の仕方は人それぞれなので否定はしないが、まあそんな事をしている人間は全然居なくて、少しでもスキやコメントを貰う時間を延ばすために始まって直ぐ投稿する程度の者が殆どである。そう考えると、普段から読者の多い社交的な作者が有利なのかもしれないが、私なら例え親友が書いたものでも面白くなければ絶対にスキを押したりはしない。文筆家にはそういった信念を持った人は少なくはないだろうと思う。嫌いの一言にも敬意の念で。
 ノートは新しいものから順に表示されていくので、より多くの目につくように一番最後の投稿を狙う者もいる。期間中何度でも添削を入れる事ができる特性を利用して、一日に数行ずつ更新してゆき最終日に内容が完成する作品もあれば、途中で作品そのものが差し替えられたりもする。投稿作品は主催者への提出が必須となっているが、最終日まで提出を延期しておけば問題ない。それぞれの賞が発表されたあとに、自分の気に入っていた作品が入賞していなかったりして、面白かったし確かに支持されていたのにそんな筈はないだろうと思って確認してみたら、参加はするけど応募はしませんでしたとか呟かれていたりして、そんなスタンスの人間も居るんだから面白い。
 こうして見るとかなり乱暴なルールのようにも思えるが、ノート文学大賞はアイディア勝負でもある。大賞を獲りたいなら正攻法が一番かもしれない、しかし最初からゲスト審査賞を狙っている者も居るし、読者の量に関しては一般文学賞の比ではない、新聞社のイメージやコンビニエンスストアの販売戦略も関係ない、その中では投稿スタイルさえ自分の作品の一部となるのだ。
 夏の暑さに秋風を一本通すように、凝り固まった文壇に自由な風を吹かせる。私は、ノート文学大賞のこのシステムが何となく好きで、あの遠足日から毎年小説を書いて参加している。賞をとったことがあるかって?それは内緒だ。
 そして、公募期間は一年間のうち十月いっぱい、たったの一ヶ月。しかしその一ヶ月の間に、どの文芸雑誌の賞よりも多い参加を受けるのが、このノート文学大賞なのだ。理由はごく単純、五千字以内であればどんなものでも応募可能、他の文学賞のように文字数で篩に掛けられることはなく、携帯から隙間時間でさっと書いてそのまま投稿したって構わない。通勤時間のサラリーマン、退屈な授業をぼんやりすごしている中学生、入院中のおばあちゃん、待機中に営業メールを贈るキャバクラの女の子、長編の苦手なぺーぺーの若手作家、はたまた人工知能。
 ありとあらゆる者が文筆家となる一ヶ月、小さなお話たちが金木犀を模すように咲きこぼれ、ノートに秋が訪れる。

 今年のノート文学大賞はとっくに幕を開けていた。絢爛なロゴの下で今年の審査員の名前が踊るように連ねられている。何年か前に直木賞を獲った作家を筆頭に、他は二科会出身者や、元雑誌編集者、早稲田大学教授、文学系アイドル、過去二年の大賞受賞者、そして最後に付け加えられた、and you.の文字。
 清涼飲料水を片手に、投稿されている作品を片っ端から読んでいく。どんなに長くても五千字ぴったりで原稿用紙十二枚半、文庫本に換算しても十頁を超える事はない。読んでいる時間より、画面を更新している時間の方が長いかもしれない。たまにスキを付けたりコメントを入れたりしながら、ちゃくちゃくと読み進めていく。どうして投稿したのか分からないようなものもあれば、なぜ無名に甘んじているのかというほどに面白いものもある。句読点や改行の癖、言葉に込める意味、言い回しや文章に作者の性格や歴史がまざまざと浮かび上がってくる。書いている景色さえ見えてくる場合すらある。交流や会話が苦手だとしても、他人と繋がることができる、確かに触れた、そう感じる一瞬が読書にはある。
 それにしても今年のノート文学大賞は例年になく盛り上がっている。受賞者作品の書籍化について出版社どうしで揉めているとの噂もあるくらいだ。誰かが見つけたものに乗っかり横から分捕って行く大人のスタイルにはもうずっと前から辟易しっぱなしだ。ひょっこり現れて、さっと消えていく。その性格は秋と同じなのに、どうしてこうももたらすものが違ってくるのだろうか。そんな事を考えている間にも、新しい作品が投稿される。既読と未読がごっちゃに混ざっていく。まあ、さすがに全ていっきに読むなんて事は不可能だ。ざっと百くらい読んだだろうかというところで、思わずふうっと大きな溜息が出ると、首と背中の痛みに気付く。背中で指を組み、ぐぐぐっと背伸びをした。これでもかと体を伸ばしきり、ぱっと目を開けると、金木犀の花がめいめいに咲いた。
「うん、わたしも負けていられないな」


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昏夫

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