名もなき作家

 遠いとおい、とある星に、名もなき作家がいました。
 小説家でした。
 誰も名もなき作家の顔を見たことがなく、声を聞いたことも、まさか、本当の名前も、性別すらも知られていませんでした。
 けれど、名もなき作家はとてもとっても有名でした。
 世界じゅうに住むあらゆる人間が名もなき作家の小説を読み、子どもや犬や牛や蛇や月に読み聞かせ、褒め称え、共感を示しました。なんと、宇宙一おおきな星の王様が、名もなき作家の書いた小説の言葉をつかって演説することさえありました。
 新しいお話ができるたびに、そのお話の一節や題名が手紙のはしがきに書かれ、アレシボ・メッセージとして発信され、名もなき作家のところにも励ます言葉が届きました。
 名もなき作家は届いた言葉や歌、映像、絵、星のかけら、解読できない記号、かずかずを片手に、もっと書こう、もっともっと書こうと思えるのでした。
 もらった手紙やメッセージや絵や歌から新たなお話のヒントを得ることもありました。
 名もなき作家は、これ以上なく幸せでした。
 でもある日、名もなき作家と一緒に暮らすロボットは言いました。
「あなたは世間には、そこらの石クズほども評価されていない。あなたの小説は、ただいいように利用されているだけ」
 名もなき作家は、びっくりして言いました。
「自分が、自分自身は、評価されなくたっていい。自分の小説や言葉がみんなに届くんなら、それでいいよ」
 しかし、ロボットはいいました。
「あなたの書くソレは、誰かの心のなかにもあったものだろ。宇宙を漂う星屑たちも持ってる真実。その誰かサンは、自分では言えないことを、あなたがのっぺら坊~の正体不明なのをいいことに、あくまでも他人の言葉として、自分を守るために、不正に利用している」
 名もなき作家が言いました。
「誰かのためになれるのなら、誰かを守れるんだったら、自分はオンリーワンじゃなくたって構わない。自分の言葉がいくら盗まれたって、気にしない」
 ロボットは大きなため息をついたあと、こう言いました。
「自分でモノを考えず、発信せず、人の言葉や態度を借りる人間を増やすことが、誰かのためになる?言葉だけ覚えるのは、言葉だけ綺麗にするのは簡単。でも、あなた自身は?発した言葉に恥じないつもりは?人間は、おなじ人間を評価するのが怖い。だから、言葉だけあなたの小説から拝借する。お気楽だから。あなたのやっていること、本当に物書き?身元不明に頼った神サマごっこに見える」
 名もなき作家は、手もとにある沢山の気持ちを見つめました。
「自分がどんな人間だったとしても、小説がこれほど褒められているってことは、物書きとしては優秀って思ったらいけないのかな。神サマごっこだなんて…、バチが当たっても助けてやらないぞ。余計な偏見なしに評価されることのなにがいけない?」
「それがずるいとは、思わないの?バチなんていくらでも当たってきやがれッ。世の中には駄目人間だって、りっぱな小説を書いている人もいる。堂々と、駄目人間だってことを隠さないで。偏見なしにと言ったけど、そう、あなたがどんな人間か見えない人たちは、小説のなかの言葉だけであなたを想像して、形成する。勝手なあなたを!名もなき作家なんて、粘土の銅像みたいなモノ。神サマに形はないから自由。でも、あなたは、ここに居る。ミーを見ている。あなたは、名もなき作家はいま、いまは有名で嬉しいかも知れないけれど、死んだあとは誰の心にも残らない。気持ちも、あなたの見たことや感じたこと、なにもかも残らない。残るのは、勝手に中身が入れ替えられる、器としての言葉、その虚しい響きだけ」
 ロボットはひと息で言いました。
 しん、と部屋が静まり返りました。
 なん秒も、なん分も経ったあと、ゆっくりと、ちいさく、名もなき作家が言いました。
「それでも…一緒に居てくれたひとが自分を覚えているなら、それでいい」
 ふるえながら、名もなき作家は言いました。でも、ロボットは、怒りました。
「それってどういう意味。ばかにしないで。ミーは名もなき作家のことなどすぐ忘れる。あなたが演じた名もなき作家のことなど。ミーはあなた自身のこと、あなたが紛れもないあなたとして努力して泣いて悔やんで喜んだことしかOverSpaceには持っていかないし、いや、そもそも、あなたの人生の色が滲んだ言葉しかこの体には染み込まない、あなたの声で喋るそのtoneだけが、ミーの神経を震わせる。はやく気づいて。いや本当はもう気付いているはず。のっぺら坊の仮面があれば自分自身の性格や見栄を捨てられるんだって。その気楽さに。証拠にあなたはずっとミーに名前を教えてくれていない。名もなき作家はあなたではない」
 ロボットは、ぶるぶると震えながら、目はちかちかさせていました。体の節々から赤い光が出て、シューシューと、今にも壊れそうになっています。作家はうつむきました。
「そう。名もなき作家は、僕じゃないんだ。個人の時代は、終わってしまったんだよ。世界にはもう、人間はいなくなって、人類だけになったんだ。だから、名もなき作家は、みんなのものなんだ」
 作家の部屋のファックスは新しいメッセージを吐き出しつづけています。
「じゃああなたは書くのをやめる。誰かがやってくれるのだから。それか、あのおねだりな野良猫に頼んでこよう」
 おねだりな猫、とはルウルーのことでした。
 にゃあ、と気ままにやってくるあの猫のことを、作家は思い出しました。にゃあ。にゃあ。にゃあ~。
 作家は猫に名前をつけました。しかし、猫は自分がルウルーであることを知りません。作家は猫を心の中でだけ、呼んでいたからです。
 ルウルーは、時たまやってきてはちょこんと座って、じいっと作家を見つめて、気付くといなくなっている猫でした。たまに、上目づかいに、にゃあ、にゃあ、と鳴くのです。そんなときは、作家がルウルーの近くにお魚を投げてやりました。ルウルーはにゃあ~と少し長く鳴いて、お魚をはむっと咥えてすたたたたーと駆けていってしまいます。作家はルウルーの忍者のようなすばしっこさを愛していました。
 ルウルー。
 作家はとつぜん、ぽろぽろと泣き出しました。
「これを辞めたら…僕はきっと死んでしまう」
 彼は言いました。
 ロボットも、はっとして言いました。
「もう星屑みたいに生きるのはやめて。ミーも言い過ぎたんだ、ごめんなさい。
 でも、どうして人間たちは人間であることやめてしまった?宇宙船に乗ってあちこちの星を飛び回っては飛行機にのって島々を上から眺めて、地下に降りてはtaxiに乗って観光して…。あなたたちの叡智、尊敬する。ミーを作ってくれて感謝してる。でも、あなたたちは地下にばっかり都市を作ろうとする、地上を歩くのはほとんどミーたちロボット、地下にいる動物は猫と犬と烏ばかり。地上にいる人間は、変わり者扱いで。でも、ミーたち、よっぽど地上の人間たちを美しいと思う。自分の足で歩く。自分の目で見る。地下には、jumpもしたことない人間いっぱい居る」
 ロボットも、ずっと考えていたことがあったのです。彼に、聞いてみたいことがあったのです。彼と、話したいことが、たくさんあったのです。
「わからない。
 でも、これからそれを書いてみるよ。だから、君は僕に名前をくれないか」
「ユー。ユーは、どう?」
「さすが僕だ。ネーミングセンスが僕と似てる」


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 田島 昏夫

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