2019
2000年生まれが来年にはハタチだってさ。時の流れって早いもんで。
2019年が終わろうとしている。どこか駆け足な生き急いだ雰囲気が漂う12月のカレンダー。
私はもう一年を振り返らない。全ては終わったこと、過ぎ去った、形を変えた。いつしか過去に想いを馳せたりしなくなった。懐かしくなくなってしまった。紙吹雪みたいに散り散りになってばら撒かれて飛んで行ってしまう。時間なんてものはない、というのは私が常に言っていることで。芽吹き花が咲き実り枯れるのは時間のせいじゃなくて全て生命の、細胞のせいだ。細胞が別の形になってしまうから。生まれ変わるから。そういえば人の生まれ変わり、あれってあると思う。自分を形成していた細胞や菌がある程度集えば、ちっちゃな記憶たちが繋がれてゆけば、他人でも同じ記憶を持っていてもおかしくない気がしない?だから何年前かなんて関係ない。生きた化石みたいに長生きしただけ。衰えなかっただけ。時間は何も殺せやしない。私は私の細胞たちにまた集まって欲しいなんて思わない。色んなところに行こうね。
地球が自転するのも月が満ち欠けするのも時間のせいじゃない。人が事故死したり自死したり殺害されたりするのも全てが動いているからで、時間のせいじゃない。すべて変わるのは時間のせいじゃなくて各々の働きのせいだ。時間はそこに横たわっているように見せかけて、本当は、存在しない。存在しないのに可視化され、具現され、信じられている。神様みたいだね。
“ゆく川の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人と住みかと、またかくのごとし。”
“河は善くも悪くも流れている。河のオリジナルは存在しない。”
人間にも動物にも植物にも、地球にも宇宙にも言えること。環境の維持とか絶滅危惧種の保護だとかやってるけどさ、どうして今がいちばん良いみたいな前提で動いているの。何もかも変わるんだよ。何もかもをコントロールしようとするな。エゴだ。受け入れていけばいいのに。死んで、形を変え続けることが、この世界で生きていくこと。
常に世界はおニューだ。日々は続かない。瞬間々々を愛しなおす。新たな自分で持って。