日記2023/08/04 諸々

 更新がたいへん滞った。最近あったことをまとめて書く。
 Twitterがいかれたのでnoteでの日記を始めたのだったが、Twitterが比較的安定してきたので、頭に浮かんだことを浮かんだ順に書き込んで即座に公開できる環境にまた浸ってしまっていた。

 前々から言っていた試験が終わって完全フリータイムの夏休みに突入したからというのも大きい。とはいえ、8月中に2つの〆切を抱えていて、うちひとつは自分で設定した日付なのだから、そんなにノンビリもしていられない現状である。

 眠くなったら寝て目が覚めたら起きる日常だが、社会の方はそんな生活をする人間向けにできていない。深夜の3時にはどんな正気の飲食店も閉まっているし大学図書館も閉まってるし映画館も閉まっている。だから、とりあえずアマプラやネトフリやyoutubeを眺める以外の娯楽を享受しようと思ったら生活習慣を建て直す必要がある。
 というわけなので今日は意地でも23時までは寝ないし23時になったら寝る。クソ昼間の現在ですでにめっちゃ眠いが、まあなんとかなるだろう。ならなかったらならなかったでどうにかすればよい。
 ポケモンスリープとかいう睡眠アプリも流行っている。こういうのも使うべきなのだろうか。でも「初めてのポケモンはポケモンスリープです」とか言うと馬鹿にされるかもしれない。されないか。
 とにかく長期休暇に入った瞬間に生活習慣が吹っ飛んでいくのは大学生になって3度目なのだから、今度こそ早期に復旧しないとどうにもならない。

 しかし、日頃の勉強を怠って期末試験直前に焦り倒した挙句全然解けずに終了、みたいなことは既に3度繰り返してしまった。三度目の正直はなかったのであり、かなしみしかない。というか今回が一番ひどい。
 実家にいた頃は親に尻を蹴られてウスウスと勉強していて、それでなんとなく好成績をとってなるほど俺は神かと思っていたわけだが、いまとなっては崩れかけの自尊心をぎりぎりでつなぎとめるお題目として「私は神だ」と唱えるばかりの異常成人男性になってしまっている。よくない。コミュ障で運動音痴なんだからせめて学問くらいできたらどうなんだ。
 おそらく今回の敗因は、演習問題を解くときに資料を参照しすぎたことにある。試験では何も見られないのだから演習でも何も見ずに解くことを強く意識すべきだった。少しでも詰まったらすぐに資料をちらちら観に行っているようでは「身についた」とは言えない。
 知性のアウトソーシングは害悪だとサークルの先輩も言っていた。私は既に漢字を手書きできなくなりつつある。Twitterだって、鉛筆で手書きしなければ投稿できませんとなればやめてしまうかもしれない。手書きには漢字変換機能がないので。
 「暗記に頼らない」とか「思考力を鍛える」とかいうことはもてはやされるし私も大いにもてはやしてきたが、最後にものを言うのは引き出しの多さなのだ。思考するには思考のやり方を脊髄に刻み込まなくてはどうしようもないし、未知に見える問題を前にしてどの枠組みを用いればよいか判定するにはすべての事項が完璧に暗記されていることが必須である。
 「数学ができないから文系に行った」という人間をバカにする風潮は強いが、おれは「社会科ができないから理系に行った」人間である。バカである。バカにしてもらってかまわない。

 teardownのキャンペーンモードをクリアした。あとは放置していた一部のサイドミッションを制覇したり、取りこぼしのあるミッションをちまちまと埋めていったりして100%の制覇を目指すという段階だ。
 「Truely Interacrtive」な破壊が持ち味のゲームだが、ストーリーも(特に終盤において)手に汗握る展開となり楽しかった。プレイヤーは依頼さえあればどんなところにでも乗り込んでいって破壊工作を行う激ヤバの傭兵みたいなムーヴをすることになるわけだが、そのような挙動が自らの危機を招くことになる。詳しくは自分でプレイして確かめてみてほしいのだが、メールの受信ボックスとテレビの報道画面でしかストーリーがわからないのにこれだけの演出ができるのかと驚いた。でも英語だから追いかけるの正直ダルかった。日本語化MODが欲しいな。自分で作るか?
 それはそれとしてサンドボックスモードでひたすら爆弾を設置しまくって遊ぶのが楽しい。マイクラで村にマグマを流して遊ぶ小学生と何が違うんだと言われれば反論できない。それでも村にマグマを流すのは楽しいのだからしょうがない。
 ロボットを倒すミッションで「これを使え!」とばかりに置いてあった戦車に乗り込んで意気揚々と突撃したら普通にロケットランチャー2発で殺されたときは閉口した(戦車じたいの防御力は尋常でなく高いのだが、載っている人間が弱く、そしてロボットは搭乗者を正確に狙った攻撃を仕掛けてくる)(実際の戦車でもロケットランチャー2発喰らったらやられるんだろうか? よくわからない)。結局、戦車を使って戦うには正面を見せずにバックで轢き倒してそのまま海に引きずり落すのが安全な攻略法だと気が付いた。戦車の本当の脅威とは「頭から爆弾を投射してくる」ことよりむしろ「めちゃくちゃ硬くて馬力のある車が突っ込んでくる」ことにあるのかもしれないと思った。軍事には暗いのでどうだか知らない。このゲームにおける戦車で正確な狙いをつけるのはムチャクチャ難しいのでそれが悪いのかもしれない。
 ちなみに、一番効率よく安全にロボットを倒す方法は、車に乗らずにちょこまかと飛び跳ねながら、隙をついてロケットランチャーやパイプ爆弾で転ばし、そのまま素手で海に突き落す、というものである。車に乗っているとロボットが狙うべき位置(つまりプレイヤーの位置)が固定されてしまい、一瞬で殺される。戦車なんか要らん。小回りが正義。

 映画「君たちはどう生きるか」を観てきた。説教臭い内容だろうなと思ったらそうでもなかった。かといって娯楽大作かといわれれば違う。ある種の難解さがもつ快感も特になく、行き当たりばったりに展開してノリと勢いで終わってしまったという印象が強い。もうちょっとダイナミックな身体運動も観たかった。ネットでの評価を見ると宮崎駿個人に結び付けた評論が多かったが、おれは宮崎駿に詳しくないのでピンとこない。話のメインは後半に異世界で冒険を繰り広げるところなのだろうが、そこに至るまでの現実世界の描写のほうが好きだったな。矢をDIYするところなんかは童心に還ってワクワクしたが、いつの間にかロストしていた。
 とはいえ、嫌いではない。屋敷のお婆ちゃん衆やアオサギ男、ペリカン、ワラワラ、インコ、インコ大王などの怪異(おばあちゃんは怪異ではない!)が群れをなしててんでばらばらに蠢く様子は見ていて思わず笑みが浮かぶカワイサである。
 ところで、今作において監督の名義が今までの「宮駿」ではなく「宮駿」になっているという話を聞いた。確かめてみると確かにそうだった。つまり、いままで娯楽大作を多く世に送り出してきた商業アニメ作家・宮駿が、今作を機に、新人インディーアニメ監督・宮駿として生まれ変わったということか。たしか宮﨑駿はいま82歳だった。あと15年はやれる。健康に気を使いつつ、ぜひやってほしい。

 映画「山女」を観てきた。「ミスミソウ」での山田杏奈の演技が印象に残ったので、主演作がちょうど劇場でやっているということを知り、ヨタヨタと観に行った次第である。
  画面のムチャクチャな暗さに驚かされた。あまりに何も見えないので最近の栄養失調がたたって重度の鳥目になってしまったのかと心配になった。しかし、18世紀後半の東北の寒村で夜が明るいわけがないし、その暗さによって醸し出される閉塞感のようなものは作品全体の雰囲気を引き締めていたような気もする。
 例によって山田杏奈の演技はかなり良かった。罪人の家系に生まれた女ということで二重の差別を受ける身であり、そのことで赤ん坊の死体処理という「ケガレ」た仕事をさせられている。あまり趣味のいいもの言いではなくなるが、山に入って「山男」と交流するうちにみせるようになったわずかな笑顔と対比してより一層、作品のほぼ全体を占める諦観に満ちた無表情や絶望の叫びが強調されるようだった。これは「ミスミソウ」でも同じだ。
 「山男」を演じる森山未來も良かった。人間でありながら人間ならざる者であることをセリフどころかうめき声すら発さずに立ち振る舞いだけで納得させる身体表現はやっぱり圧巻だ。
 方言が強すぎて何を言っているのか全然わからないシーンがちらほらあった。これに限らず、映画を観ていて日本語の聞き取りに苦労する場面が割と多いので配信などで観るときは字幕を付けることが多いのだが、これも上の方に書いた資料の参照という文脈であまりいいことではないのかもしれない。自分の耳で声を聞き分ける能力さえ自分から手放してしまうというのはちょっと困る。

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