特別寄稿エッセイ「生は変わり、記憶は変わり、〈今〉は永遠に失われる」 by(ただの爺こと)リース・モートン
四元康祐の詩を訳していると、2012年の詩集『日本語の虜囚』の「あとがき」が目に留まった。そこでその一部を最近出版した四元康祐・水無田気流・宋左近の訳詩集に引用することにした。水無田気流はまだ若い書き手なので(少なくとも私にとってはそうである。私は老人で、好きな日本語で云えば「ただの爺」に過ぎないのだから)、彼女の詩のこれからの変化を予想することは難しい。宋左近は長めの詩から短めの詩へと変わってゆく点が特徴的だが、全体として長い日本の歴史における最大の悲劇、すなわち第二次世界大戦の影響を引きずっている詩人という印象が、ほとんどすべての作品を覆っている。「河童」から「縄文」に到るまで、作品の形の変化に拘らずそうなのだ。
四元はいくつもの領域にわたって詩を書いてきた。日本の政治もあれば、個人的な体験もある。だが私の関心を惹いたのは、彼の詩がナラティヴな作品から語り手を持たない「言語的な詩」へと変化してきたことに対して、彼自身が述べていることがらだった。
考えてみれば「現代詩手帖」の誌上で、谷川俊太郎が平出隆や稲川方人と「言語詩」をめぐる論争を繰り広げてからもう四半世紀が経つ。そのもっと前の1967年には、鈴木志郎康の傑作「私小説的プアプア」が発表されたことも思い出される。あの作品のナンセンスは、恐らくは1960年代を象徴するものであっただろうが、評論家の小海英二は後にその詩を「言葉、言葉、言葉」と評したものだった。ここに種村季弘の重要な作品『ナンセンス詩人の肖像』をもうひとつの例として加えることもできるだろう。この作品は1968年から69年にかけて「現代詩手帖」に連載された。
つまり鈴木志郎康やそれに続く、たとえばねじめ正一のような詩人が言語詩への運動を始めたとするならば、ほぼ半世紀に渡ってそれは日本の詩人たちの関心を占めてきたことになる。さらに遡れば、第一次世界大戦後の日本にはモダニスト派の詩人がいたし、1930年代には高橋新吉のように完成度の高いナンセンスポエムを執拗に書き続けた一群の詩人たちもいたのである(新吉の「発狂詩」はジェラード・マンリ・ホプキンズに似ていて、忘れられない)。
四元の例に見られるように、この問題はいつまでもなくならない。なぜか?詩は言葉で書かれているからだ。詩とは結局のところ紙の上のインクに過ぎない。今日ではデジタル化されたテキストであるかもしれないが、それだって紙の上のインクの一種に過ぎない。詩をチェスに喩えることもできるだろう。詩とはゲームであり、想像力の戯れに他ならないと。かつてある連歌の達人から聞いたのだが、彼によれば連歌とは(男色の)恋人を悦ばせるためのゲームに過ぎないのだそうだ。少なくとも中世においてはそうだった。今日では連歌は大学教授の暇つぶしか、一昔前に大岡信が流行らせたものという位置づけだが。
ということで話は現在へと到る。もっとも「現在」なんて幻想なのかもしれない。あてにならない記憶によってしか捉えられないのだから。違うだろうか?アーカイブがあるじゃないか、古文書であれ、eBookであれ、あの立派な青空文庫だってあるじゃないと、おっしゃるだろうか。だがそれらは本当に「現在」なのか。そう思っているだけで、実際には記憶のなかの遺跡を見つけたと思った途端、それもまた別の幻想のひとひらと化すのである。エゴと虚栄と欲望と野心、そして夢によって織りなされた記憶へと。よろしいか、私たちが忘却したとき(私たちは始終忘れ続けているではないか)、記憶は消滅するのだ。
現代の詩人たちについてあれこれコメントするのは気が引ける。若い詩人に対してはなおさらだ。何故かって?詩を書くなどという大それたことをやってのける人に対して深い尊敬と賞賛の念を抱いているから(どうか真面目に受け取らないでほしい。私だって詩人なのだし、もっと悪いことには翻訳者――イタリア人に言わせるならば、嘘つき――なのだから)。そしてまた詩人というものは、多かれ少なかれ、脆くて傷つきやすい心の持ち主だから。詩人は小説か広告コピーか学究か俳優(それも売れっ子の)にでも転向しない限り、お金だって稼げない。とかくこの世は詩人にとって住み辛い。
だからどうなんだ、とあなたは云うだろうか。いや、まったく同感。おまけに私はこの11年間、通算すると20年にわたって、住んできた日本を引き払ったばかりだ。私にとっての「現在」は夢のなか。日本贔屓の、詩の愛好家の、年金暮らしの、孫たちにとってお祖父ちゃんの、川のほとりを散歩するひとりの男の夢のうちそと。四元はドイツ語が覚えられないことをぼやき、私は日本語を忘れることをぼやいている……「現在」とやらはどこにいるのか。犬みたいに首輪で繋いでおくことはできないものか。「現在」はひたすら大きくのしかかってくるばかりなり。
現代詩人でもっと読みたいと思う人の名前ならば挙げることができる。っていうか、みんな読んでみたいのだ。先週滋賀のジュンク堂(いい本屋だ)で、最果タヒと米屋猛の詩集を買った。あと峠三吉の詩の研究書も。ひとりを除いてこれらの詩人は若くも(そして生きてさえ)いないが、私にとっては彼らは現在ただ今だ。死んで久しい我が友草野心平も、親友の谷川俊太郎も(私は彼らの英訳本を出してきた)。現代詩人は鈴木志郎康のように言語の問題に悩んでいるか?当たり前だ!現代詩人は石垣りん(素晴らしい詩人だ、残念ながらもう亡くなったが。私は彼女の詩も一冊の本に訳した)のごとく巧みに詩的自我を構築しているだろうか?もちろん!どんな自我だって自らが作り上げたもの以外ではあり得ない。このことの例証となるべき素晴らしい作品は、日本の詩人たちによってたくさん書かれているが、きっと皆さんもご存知であろうから繰り返すには及ぶまい。小池昌代の詩のもっとも美しい点のひとつは、彼女の手にかかると記憶が現在となり現在が記憶に入れ替わってしまうことだろう。読者は自分がどこにいるのか分からなくなってしまう。その点では水無田気流の詩におけるデジタル・ゲームに似ていなくもない。
あなたは自分がどこにいるか分かっているだろうか。あなたは私の生―記憶のなかにいるのか、それとも私の膨大な日本の詩の蔵書のなかにいるのか?私とはどこにいるのだろう。私は蔵書の外側にいるのではない。私が蔵書なのだ。
(翻訳:四元康祐)
著者について(アマゾンからの転載):Leith Morton was born in Sydney, Australia, in 1951. He graduated from Sydney University after obtaining a PhD in Japanese literature, and was soon appointed to a lectureship and senior lectureship in Japanese at his alma mater. He subsequently held professorships in Japanese at Newcastle University (Australia) and in comparative literature at the Tokyo Institute of Technology, where he currently teaches. He began writing poetry (and playing football) as a teenager and his first books were all poetry collections. Since then he has also written books on Japanese literature and culture in both English and Japanese, as well as translating into English a number of volumes (poetry and prose) from Japanese. For a full list of his books, at present numbering over 20 volumes, see his website at the Tokyo Institute of Technology. His latest book of poetry is called 'Tokyo: A Poem in Four Chapters' (2006). He is currently translating the tanka poetry of Samio Maekawa (1903-90), a pioneer modernist tanka poet, and has written a book in Japanese on Akiko Yosano (1878-1942), the greatest woman poet of 20th century Japan. Apart from his family, he has two great loves: poetry and football--difficult to combine together--and he is the first foreign soccer player to represent a Japanese city (Sakai) in the amateur intercity league. He supports Everton in the English Premier League, Newcastle in the Australian A League and Tokyo FC in the J League.
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