森山至貴 x 四元康祐 往復書簡「詩と音楽と社会的現実と」:第四回
vol.7 from Y to M:
なんだか難しい話になってきたなあ。
現代詩における詩と散文と、現代音楽における言葉と音楽。それぞれの分離と融解。
僕は難しく考えるのは詩人の特権で、音楽家はもっと感覚に身を委ねて、それこそ歌うようにおおらかに生きているのかと思っていましたが、どうやら十九世紀的な時代錯誤の誤解だったようです。「旗」のなかに「長7度の擬態」が隠されていたとは! 森山さんは僕なんかよりもずっと緻密に、深慮遠謀を張り巡らせながら音を積み上げてゆかれるのですね。
もっともそういう僕にしても、詩人のなかでは比較的「頭で書くタイプ」だという自覚があって、そのことにコンプレックスを抱いてもいるのです。中也や賢治を読んでいると「無意識即」という感じが圧倒的で、左脳的な作業――シュペルヴィエルの言葉を使うならば「明るい方のペダル」――の出る余地はなさそうですものね。彼らの世界に触れるたびに、本なんか読まずに山篭りでもして、瞑想に耽った方がいいんじゃないかという反省に駆られます。
もう少し丁寧に言うと、僕が一所懸命左脳を絞るのは、作品集全体のコンセプトや構成を考える段階ではないかと思います。たとえば『小説』という詩集の場合、まず「詩で小説論を書いてみたらどうだろう?」という発想があって、そこから「文体」や「命名」や「細部」といった各論のテーマが導き出される。理論だけではつまらないので、実践篇も入れてみようとか。あの詩集、もともとは「小説」のパートだけで終わるつもりだったんです。ところが編集者に原稿を預けてから出版までに何年も経ってしまったので、その間に「詩人たちよ!」という「詩による詩人論」や、「イマジスト達の浴室」という前言語的な意識のあり方を探るパートができて、最終的にその三つを一冊に束ねた次第。まあ、このあたりには偶然の要素もありますが、霊感に導かれてというよりは、コント作家が脚本を書くように(これもシュペルヴィエルが「明るい方のペダル」に関連して使った喩えです)組み立てていったというのが正直なところです。リルケがドゥイノのお城で天使たちの啓示を受けて、一気呵成に悲歌を書き上げたというのとは正反対ですね。
でもいったんそうやって枠組みが決まって方向性が定まると、つまり容器が設定されると、あとはそこに地面の下からどんな水が湧き出してきて溜まってくれるかをひたすら待ちわびることになります。これはむしろ右脳的な作業で、「暗い方のペダル」の出番でしょうね。なにが出てくるか分からないけれど、枠に収まっている限りなら、できるだけ意外な、驚きに満ちたものであって欲しい。
谷川俊太郎さんはパソコンの前に座って息を鎮めると、一瞬にして深層意識への回路が開き、そこから詩の最初の一行を汲みだすことができるそうですが、これは至難の業。僕にはとうていできません(連詩の座では衆人環視のなかでこれを行うことが求められるわけですが)。
そこで僕が編み出した苦心の策は「睡眠」です。長く、深い一夜の熟睡。眠る前に器の形を思い浮かべておくんです。そこにどんな水が溜まるだろうかと楽しみにしながら、けれども具体的な発想は固く禁じて、眠りへ堕ちてゆく。翌朝目を覚まし、寝ぼけ頭で机の前に座ると、あら不思議、夜の間に溜まっていた水が指先から滴り落ちてくる・・・・・・。もちろんうまくいかないこともしばしばですが、運がよければ思いがけない書き出しを与えられることがあります。きっと夜通し夢の中で「暗い方のペダル」を踏んでいたのでしょう。
ただしそれはあくまでも書き出しの話です。最初の一行が文字に書き記されるやいなや、「明るいペダル」が動き始める。コント作家の自分が、その謎めいた言葉の意味を推し量り、次の展開を検討するのです。だから二行目以降はまさに森山さんが前便でお書きになっていた「思いついて吟味して取捨選択するというプロセス」が前面に出てきます。でもそこに「陶酔」や「暗い方のペダル」がないかというと、そうでもない。「吟味して取捨選択する」部分はたしかに「明るい方のペダル」によって「計量したり数えたり」しているわけですが、その手前の「思いついて」という段階では再び器の中を覗きこみ、自分にとっても未知で新鮮な言葉を待ち受けているのです。つまり一篇の詩を書いているあいだ、僕は一行ごとにふたつのペダルを交互に踏み続けているのかもしれません。森山さんにしても、出来上がった曲に「どこか一箇所でも自分で涙ぐむポイント」のあることを課している以上、「暗い方のペダル」を手放すわけにはいかないでしょう?
実はこの「二つのペダルの踏み分け」、どうやら僕は一篇の詩のなかだけではなく、詩集ごとにも繰り返しているようなのです。さっき書いたように、ある詩集を作るに際して、「コント作家」としての僕は方針を定め構成や題材を決めてゆきます。その時点で頭の中には出来上がった詩集の幻影がおぼろに浮かんでいるわけです。ところが実際にその企画に沿って一篇ずつ書き出しているうちに(毎晩眠る前に次の朝の枠を思い浮かべ、夜明け前に目覚めては夢うつつに溜まり水をすくい取り・・・・・・)、あるときふっと当初の想定からかけ離れたものが飛び出してくることがあります。あたかも枠の底のほうには巨大な水脈が横たわっていて、地上では別々に見えるいろんな枠を結び付けているかのように。地上ではたどり着くことのできない場所にも、地下水脈を辿ってならさまよい出ることができるのかもしれません。
そんな風にして、僕は一冊の詩集から次の詩集へと移り渡ってきた気がします。経済や企業活動を主題とした『笑うバグ』から中年男の日常を異化した『世界中年会議』、芸術家に託して詩を書く主体について考え始めた『噤みの午後』、言語実験的な『言語ジャック』や『日本語の虜囚』、そして社会批評を中心にすえた最近作にいたるまで、一冊ごとに異なった題材を扱いながら、その実、作者本人にとっては芋づる式に繋がっているというのが実感なのです。けれどもその繋がりようは「暗い方のペダル」がもたらしたものなので、僕自身にとってもどこでどう繋がっているのかを説明することができない・・・・・・。
ここでちょっとお休みします。今日日本は終戦記念日ですね。こっちは(ドイツの中でも南部のバイエルン州だけですが)、「聖母昇天」の祭日です。パン屋も閉まって町中しずまりかえっているので、昨日の買い置きのパンで朝食をとることにいたしましょう。(2017.8.15)
あれから妻と娘が日本へ旅立ったり、僕もヘルシンキまで行ってきたりしているうちに、はや週末。今は土曜日の早朝です。夜中に降り始めたすさまじい雷雨は収まりましたが、空はまだ雨雲に覆われています。
先を続けましょう。もうひとつ質問がありましたね。「詩人にとって、自らが詩人であるがゆえに恥ずかしい行為」とは?こちらは即答できます。
ナマの〈私〉をさらけだすこと。
書かれた詩のなかに、その詩を書いている自分の姿が、地のまま写りこんでしまうこと。
詩は当然自分を潜り抜けてくるわけですが、いったん出てしまったら、それは剃刀一枚で自分と(できればその自分が棲息している現実の世界もろとも)切れているものであって欲しい。それがうまくいかなくて、つまり糞切れが悪く、未消化の自分の切れ端が残っていたりすると目も当てられない。恥ずかしさに身を捩ることになります。
これは詩の中にフィクションを盛り込むとか、日常的なことを書かない、ということではありません。たとえ事実をありのままに書いたとしても、その詩の中の〈私〉は生身の私とは別の次元に属するものであって欲しいのです。でなければ詩を書く意味がない。僕はベタの現実、ナマの自分から抜け出すためにこそ詩を書いているのだから。
僕が詩を書き始めたころはまだワープロがなかったでしょう?当然手書きになるわけですが、そうするとその字面にいやおうなく自分の生理が滲み出てしまって、肌に纏わりつくような不快さを覚えたものです。初めてパーソナル・ワープロを手に入れて、自分の詩がよそよそしい明朝体で現れたときには感動しました。実際僕が旺盛に詩を書き始めた理由のひとつはそれだったのではないかと思っています。その結果が『笑うバグ』なのですが。
あと僕は写真を撮るのが好きなんですが、ビデオを撮影するのは苦手なんです。撮っているときは楽しいんだけど、後で観るとなんとなく居心地が悪い。これもビデオの画面の動きのなかに、それを撮っている自分の気配が感じられるからなんだと思います。スティル・フォトの場合だとシャッターを切るのは1/250秒とかの一瞬だから、ナマの自分が紛れ込む余地がない。
僕が小説を書けない理由もこのあたりにあるのかもしれませんね。僕にとって詩は写真(ブレッソンの「決定的瞬間」的な)で、小説はビデオの長回し。小説の場合は下手にナマの自分を隠そうとせず、むしろ積極的にさらけだした方が書きやすいのかもしれません。だから『偽詩人』は比較的楽に書けたのかな。
自分の才能のなさを棚に上げて言わせてもらえば、こういう現象は僕に限ったものではなく、ある種の詩人に共通する資質ではないかと思っています。たとえば、たまたま昨日読んでいた新川和江さんのエッセイ集『詩が生まれるとき』に、こんな一節がありました。
自分の生活体験を材料にして心境をのべる所謂「私小説」が、日本文学の流れの中では今でも命脈を保っているが、詩のほうでも「私詩」を書く詩人が大勢を占める。私の身辺に起こる出来事など、とるに足らぬ退屈なもので、ひと様に読んで貰おうとするのは一種の傲慢ではないか、という考えが私にはあった。私にとって詩を書く事は(中略)、至高のもの、深遠なもの、あこがれて止まないものに、少しでも近づこうとする行為であって、日常臭が芬芬の小さな屋根の下からは、出ていかねばならいないものであった。(「ふだん着の私」より)
ここで新川さんが「小さな屋根」とおっしゃっているものを、僕は「小さな自我」と読み替えてしまうわけです。あるいはまた、
個人的な傷や不幸を、抱えていないわけではなかったが、長じて詩を書くようになってからも、その傷口を自分からあばいて衆目に晒すことを、潔しとしなかった。役者でもないのに、ひとつの詩をひとつの舞台と見立てているところがあった。私ひとりの悲哀や苦悩を、読んでくださる方に押しつけるのは、無礼であり不様でもある。社会的な事象をテーマにした作品であっても、直接傷を剔るのではなく、その傷口に貼るチドメグサを探しに行くのが、私の性分に合った〈詩の仕事〉だという思いがあった。 (「〈葉の緑〉とそこへの〈道のり〉」より)
こういう文章を読むと、わが意を得たりという気がするのですが、伊藤比呂美さんや谷川俊太郎さんにも同じ傾向があるのではないでしょうか。谷川さんなんかははっきりと「(自分にとって)下手な詩とは、〈ナマの私〉が出ている詩だ」とおっしゃっていましたからね。だからこそ、そのものずばり『私』という詩集を出されたりもしたのでしょうが。あそこに収められた詩のなかからも、見事に〈ナマの私〉は消されてしまっていますけれども。
伊藤さんも一度小説の方へいってから改めて詩(それも散文による長編詩)を書き始められたわけですが、その詩の特徴は徹底的に〈私〉に拘り〈私〉をさらけだすことによって〈私〉を解脱し、「自我を越えた普遍、神話的な原型」にたどり着くというものです。
前便で森山さんはそのような普遍や原型に「そもそも自分の意志でたどり着くことができるのか」と問いかけていらっしゃいますね。伊藤さんの場合がまさにそうではないでしょうか。強靭な意志と、緻密な計算としたたかな戦略、そして古典の勉強を含む膨大な準備作業。そのような「明るい方のペダル」を踏み切った果てに、彼女独特の野性と宗教性を併せ持った「暗いペダル」が待ち受けている・・・・・・。
いったん止んだはずの雨が、書いているうちに激しく降り始め、いままた小降りになってきました。どうやら今日は降ったり止んだりの土曜日になりそうです。
次のお便りでは、言葉と格闘(それとも戯れ?)しながら音楽を作っている森山さんの、社会学者としての声もお聞かせください。ご専門はクイア・スタディーズということですね。音楽の仕事と社会学の仕事にはどんな接点があるのでしょうか?これまでの手紙のやり取りのなかで触れられた「擬態」「批評」「芸術と社会的現実の串刺し」「他者との交わりと真空」といった言葉を、社会学の側から語りなおすならば、いったいどんな光景が浮かび上がるのか、ぜひお聞きしてみたいと思います。2017年8月19日
PS 前便ではラップの話も出ましたが、実は僕の息子、Edgar Wasser という名前のドイツ語ラッパーなんです。この週末はプラハで公演をしているとか。彼がシンガー・ソングライター MINE (ミーネ)と共作したビデオを貼っておきます。ご笑覧ください。
https://www.youtube.com/watch?v=zeT_5VvGNlM
vol.8 from M to Y:
息子さんの楽曲、YouTubeで拝聴しました。今まで日本語、英語、韓国語のラップくらいしか聞いたことがなかったのですが、ドイツ語のラップもいいですね。ドイツ語特有の子音がそれ自体スクラッチ音のように響いてきて、意味も分からず耳の快楽を感じて楽しみました。
とはいえ、どんなことを歌っているのだろうと気になったので、Google翻訳にドイツ語の歌詞を突っ込んで、ぎくしゃくとした日本語の群れが出力されるのを眺めてみました。そうして理解したところの、排外主義を裏側から撃ち抜く言葉(Schuss?)の数々は、「意味が通らない日本語を『詩的』なものとして解釈してしまう」という私(たち)の悪癖を割り引いたとしてもとても詩的なものに思え、もっとはっきりと言えば四元さんご自身の詩にとてもよく似ていると感じられました。例えばこの歌詞を「『現代ニッポン詩日記』の中の一編をドイツ語に翻訳したもの」として紹介されたら、「ちょっと毛色が違う気もするけれど、確かにそんな詩もあったかもしれない」くらいのことを私は思ってしまったかもしれません。もっとも、親子の間に類似点を見出してしまうのもまた素朴な悪癖ではあると思いますし、そもそも私がドイツ語に不得手であるゆえの乱暴な感想ではあるのですが。
そう言えば、四元さんの詩の英語訳や中国語訳は目にしたことがありますが、ドイツ語訳は目にしたことがないですね。私は学生時代に第二外国語としてドイツ語を学んでいた(にもかかわらず少しでもできるようにならなかった)のですが、もし四元さんの詩のドイツ語訳に授業で触れていたら、もう少しがんばってドイツ語を勉強していたかもしれません。という言い訳はさておき、四元さんの詩、ぜひドイツ語訳でも読んでみたいですし、四元さん自身のドイツ語での朗読も聞いてみたいものです。
そもそも、四元さんはドイツ語 (でなくても日本語以外の言語)で詩を書く、ということはなさらないのでしょうか? あるいは単一言語に限定せず、一つの詩の中で複数の言語を行き来する、そういった詩をお書きになったりはしないのでしょうか?
『日本語の虜囚』の「あとがきに代えて」で四元さんはこうお書きになっています。そもそも私が本格的に詩を書き始めたのは、二十代半ばで日本を離れ、米国はフィラデルフィアで一年ほどを過ごしたあとのこと。そのとき私は戯れに英語で詩のごときものを書き、それからそれを日本語に訳してみたのだった。その一瞬、自分がなにか巨大な体系の一部に触れたような気がしたことを覚えている。
ここには、英語を通じて四元さんのいうところの絶対無分節の深層言語に触れる経験が生々しく描かれているように思います。私の知っている限りにおいても、四元さんの詩にまつわるさまざまな活動は、「日本語の外」としての「外国語」を強く志向しているものにも思えます。にもかかわらず、四元さんがご自身で書かれた「外国語」の詩を私は読んだことがない(ですよね?)。これはわれながらもったいないなあ、と思うのです。私が知らないだけなのか、あるいは四元さんが日本語以外で書くことを禁欲しているのか…。
もう少し四元さんの言葉を正確に読みとく必要がありそうです。四元さんを深層言語の「巨大な体系」に遭遇せしめたのは、日本語以外の(単一の)言語というよりは、翻訳というプロセスといったほうがよいかもしれませんね。翻訳のプロセスにおいて、表層言語のさまざまな要素がさながら憑き物落としを経たかのように削ぎ落とされ、深層言語の佇まいがあらわになる…こう書いていて、そう言えば私が大学生の頃、「翻訳の(不)可能性」に関する論文をたくさん読んだなあということを思い出しました。言語の根源的なはたらき・特徴としての「翻訳」のありようが当時の言語学や言語の哲学の重要なトピックだったようです。もちろん、今でもこのトピックは重要なはずですが。
四元さんの詩作を、「翻訳」という視点から考えてみるのも面白そうですね。私の側の事情になりますが、西洋クラシック音楽に端を発する(日本の)合唱音楽においては「原語至上主義」が幅をきかせています。「外国語」作品の日本語訳に音をつけて作曲された作品もありますが、今度はその日本語の方が音楽作品としての「原語」の位置を占めるようになってしまうので、翻訳というプロセスは忌避されるか、強く不可視化されるのです。その意味で、私のような合唱畑の人間は、ともすると「翻訳をすると作品の大事な要素が決定的に欠けてしまう」というクリシェを疑いもせず信じてしまいます。「翻訳文学としての世界文学」の存在からも明らかなように、翻訳とはもっと多面的な現象であるはずなのに、です。
話が大きくなりすぎました。と言いつつこれまた大雑把な質問にはなりますが、ぜひ四元さんに伺いたいのはこれです。すなわち、四元さんにとって、あるいは四元さんの詩にとって「翻訳」という要素はどのような意味を持つのか。お聞かせいただければ幸いです。
以下余談というかちょっとしたお遊びを。翻訳によって表層言語が削ぎ落とされるという言明を表層的に受け取れば、Google翻訳で2つの言語間でのキャッチボールのような翻訳の反復をしていって、同じループに収束したらそれが、「深層言語」の2ヶ国語表現になるかもしれませんよね(そもそもGoogle翻訳を使ったキャッチボール翻訳について四元さんから教わったのでしたっけ?)ということでやってみました。
「翻訳のプロセスにおいて、表層言語のさまざまな要素がさながら憑き物落としを経たかのように削ぎ落とされ、深層言語の佇まいがあらわになる」 という一文を英語とでキャッチボール翻訳したところ、最終的に
翻訳の過程で、表面言語のさまざまな要素が所有物であるかのように収集され、深い言語の出現が明らかになりますIn the process of translation, the various elements of the surface language are collected as if they were possessions, and the emergence of deep languages is revealed
ドイツ語とだと
翻訳の過程で、表面言語のさまざまな要素が省略されたかのように排除され、深い言語の外観が明らかになりますIn dem Prozess der Übersetzung werden verschiedene Elemente der Oberflächensprache eliminiert, als ob sie weggelassen würden, und das Aussehen der tiefen Sprache wird offenbart
という表現でのループに収束しました。いずれの場合も、「憑物落とし」という表現はまさに「憑き物」としてGoogle翻訳に祓われてしまったようです。これを「深層言語」と呼べるかはかなり怪しいですが、将来的にはGoogle翻訳で他言語を経由させても形が変わらない表現が「わかりやすい、よい表現」くらいのことは言われるようになるかもしれませんね。以上、余談でした。ご飯が炊けるいい匂いがキッチンからしてきたので、夕食を準備して、食べて、それからまた続きを書こうと思います。
夕食をとってきました。お腹がくちくなると睡魔が襲ってきますね。こういう時、家で仕事をする職種でよかったと本当に思います。眠かったらいつベッドで一眠りしても誰にも怒られないのですから(もちろん大学には出勤していますが、授業と会議がなければ研究室で机に突っ伏して寝ても誰にも怒られません)。
睡眠が四元さんの詩作の秘策であると伺い、とても嬉しくなりました。なぜなら私にとっても睡眠は作曲の秘策だからです。とはいえ、私の睡眠活用法は、四元さんのそれとは少し違うようです。
私が睡眠を活用する、というかもっとはっきり言えば睡眠に頼るのは、作曲が行き詰まったときです。次のフレーズ、次の和音が見つからずにっちもさっちも行かなくなると、私は眼鏡を外してベッドに倒れ込みます。そのまま意識が薄れていくのに身体をあずけつつ、行き詰まった箇所の音を頭の中で繰り返し再生して、「正解」となる次のフレーズ、次の和音が到来するのを待つのです。もちろんうっかり眠ってしまうこともあるのですが(いや、その方が多いのですが)、今までまったく思いつかなかった起死回生のアイディアが到来することもけっこう多いのです。思いついた瞬間、完全に目は冴え、飛び起きてピアノに向かい直し、猛然と音符をPCに打ち込みはじめます。
真面目なのか不真面目なのかわからない作曲法でお恥ずかしい限りですが、この方法には一定の合理性があるとも考えています。トライアル&エラーで「正解」を探し出すためには、今探索している範囲の中にそれが埋まっていなければならない。もし「正解」が見つからない場合、それは探索範囲の外に埋まっている。この時一番邪魔になるのは「この範囲を探索せば見つかるはずだ」と思い込んでいる私自身の経験知であり、自己意識です。だから、私自身の意識を希薄化させて、いまだ選択肢ならざる選択肢を思いつく環境を作ってやらなければならない。それが、眠りに落ちる直前の、あのもやもやとした感覚を私が利用する理由なのだ、と言ったら、大げさにすぎるでしょうか?
「『もう何を思いつかない』!とやけになってベッドに突っ伏すと、たまには幸運にも作曲のアイディアを思いつく」というただそれだけの事態をわざわざ理詰めで説明しようとする、その必死さにわれながら苦笑いしてしまいます。四元さんは前便冒頭で「なんだか難しい話になってきたなあ」とお書きになりました。私が日頃から「難しい」ことを考えつつ作曲をしているのかはあやしいですが、自分のやっていることを「難しく」、あるいは「理詰め」で言語化したい、という欲求を持っているのは確かなようです。これが社会学者としての「職業病」である、という自覚もあります。前便で四元さんに投げかけられた、音楽の仕事と社会学の仕事の接点という問いに、どうやらようやく到達したようです。私は学者としては「社会学」「クィア・スタディーズ」の二枚の看板を掲げて仕事をしているので、まずは両者の関係(軋轢?)から書いてみたいと思います。
クィア・スタディーズを一言で説明するのは大変むずかしいのですが、枝葉を思い切り端折って言えば「セクシュアルマイノリティの社会運動などに影響を受けて成立した、性に関する制度や規範を批判的に検討する学問」ということになります。学問領域の制限は特にないので、クィア・スタディーズを専門とする文学者、法学者、社会学者など、さまざまな学者がいます。
ところが、社会学とクィア・スタディーズは、それほど相性がよくありません。このことを、社会学における基本概念である「価値自由」という言葉に即して説明してみます。「価値自由」とはMax Weberが提唱した指針で、社会学者は研究において自らの信念や価値観を研究に混入させず、既存の価値観を一旦括弧に入れた上で客観的な事実を明らかにせねばらない、というものです。社会には何が望ましい・望ましくないという規範が無数に存在しており、社会学者もまた社会の一員としてそれらの規範を内面化しているのだから、気をつけないと真理の名のもとに自らの価値観を押しつけあうイデオロギー闘争をやりかねない、それではまずいよね、というわけです。
しかし、クィア・スタディーズはセクシュアルマイノリティの社会運動に多くを負っていますので、「セクシュアルマイノリティの、あるいはその他の社会的弱者への差別や抑圧はよくない」という絶対に動かせない原則を保持しています(もちろん私もそうです)。この原則に基づく研究は、ある種の社会学者からすると「真理」の名のもとに自らの価値観を押しつける営みとしか判断されないわけです(私自身もそういう批判を何度も受けました)。
それゆえ、私が「クィア・スタディーズ」を看板として掲げ続けながら同時に社会学者であり続けるためには、私の主張には客観的な事実と説得的な論理がしっかりと組み込まれているのだ、と言い続けなければならない。「理詰め」に説明する習い性はこんなところにあるのではないか、と私自身は思っています。
さて、ここで重要なのは、音楽は、あるいは音楽の好みは人それぞれであって「正解」のないものだと思われていることです。言い換えれば、音楽の好みはもっとも素朴で牧歌的な「イデオロギー」だとすら言えるかもしれません。しかしそれが「イデオロギー」であるゆえに、私は「その中には間違っているものもあって、『人それぞれ』と片づけてはならないのではないか」と疑ってしまうのです。多くの作曲家たちが作り上げてきた和声や対位法の体系を、なんの意味もなく侵犯する粗雑な書法の音楽、俗情と結託して刹那的な消費の対象として自己演出する音楽、蠱惑的な力を悪用して世界にある不正から人々の目をそむけさせようとする音楽、誰かを傷つけ排除することを唆す音楽…これらを「間違った」音楽だと言いたい気分が、私にはあります。
私にとって、音楽の仕事と社会学の仕事の接点はここにあります。というよりは、社会学者としての私の仕事のスタイルを音楽にあてはめると、私のような音楽家のスタイルができあがる、といったらよいのかもしれません。私は、事実と論理に基づいて「間違っているものは間違っている」と言いたい。学問であれ音楽であれ、です。
四元さんの問いに答えようとなんとか言葉を組み立ててみて、われながら驚きました。私は他の人ならおそらく「できの悪い音楽」という言葉で言い表すだろう音楽を「間違った音楽」といいあらわしているようです。四元さんは〈ナマの私〉が出る詩を「できが悪い」と評することはありそうですが、「間違った詩」とは言わないような気がします。
でも、事実だとか論理だとか言っている私にとっても、よく書けているなあと思う曲は〈ナマの私〉の出ていない曲です。ここの音がこれでなければならない理由に、書き手だけがそう思っている、以外のものが見つからないとしたら、それは〈ナマの私〉が出ているだけのまさに「恥ずかしい」作品でしかない、という気がするのです。誰もがここの音はこれでなければならないと思えているのに、しかしその音を書けるのがその人しかいない、そんな音楽が(「深層言語」をパラフレーズして言えば)「深層音楽」であり、しかし真に個性的な音楽でもある、そんな気がします。たとえば伊藤比呂美さんの詩が「神話的な原型」たりえているように。普遍的な価値を持ったものだけが個性であるならば、個性とはなんと矛盾に満ちた困難なものなのでしょうか(というまとめ方はなんとも凡庸で没個性的ですが)。
…四元さんの言語論・詩論において個性とはいかなる位置を占める現象なのでしょうか?2017年8月25日という文章を書いて寝かせている間に、四元さんと三宅勇介さんの対談記事を拝読しました。AI(人工知能)とは〈ナマの私〉を消去して機械的に「深層言語」に到達しうる技術にも思えます。裏を返せば、谷川俊太郎さんや伊藤比呂美さんはAI的な詩を書く詩人ということになるのでしょうか…私の感覚ではどちらもとても人間臭い詩を(あるいは、ワープロ派の四元さんに対比させれば、手書き文字のような詩を)書く人だなあ、とも思うのですが。2017年9月4日
森山至貴 1982年生 作曲家、ピアニスト。社会学者としての近著に、『LGBTを読みとく クイア・スタディーズ入門』ちくま新書、2017年