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平出隆『私のティーアガルテン行』を読む(その1)

平出隆という名前はもちろんよく知っていた。雑誌で詩作品を目にしたことはあったし、評論の仕事も耳にしていた。世界的なベストセラーとなった小説『猫の客』には特別な思い出もあった。二年前、病を得て入院していたとき、階下のアパートの住人が英語版を差し入れにくれたのだった。入院する少し前、彼らが家を離れているあいだ、飼い猫の世話を引き受けたことの返礼をかねた気の利いた選択だった。

だが『私のティーアガルテン行』を読むまで、平出隆という詩人が自分にとってどんなに大切な存在なのか、知らないままで来てしまった。忸怩たる思いがするが、同時に、ようやくその時が来たのだとも思う。

一体どんな本なのか。まずは日本経済新聞に書いた書評を再掲しよう。最終的な紙面ではなく、その最終原稿だ。括弧のなかの数字は校正用に記した引用箇所のページナンバーである。

迷宮をさまよう歓び 平出隆著『私のティーアガルテン行』書評

「ティーア」はドイツ語で動物、「ガルテン」は庭園、ふたつ合わせて「動物園」と「猟場」の両方の意味を持つ。著者はこれを「獣苑」と訳し、「私の過去の、次元は異なるが類似した空間、それらを想起の順に打ち重ねたもの」(11)だという。では本書は回想録なのか。たしかにきらめく才能と鋭利な感受性に打ち震える少年期の体験や、編集者として交わった川崎長太郎や澁澤龍彦らのお宝秘話が盛り沢山だが、それら個々の思い出を愉しむだけでは、本書の魅力の半分も味わってはいないといわねばなるまい。

この本の真髄は、回想が回想を呼ぶ意識の流れそのもの、その絶え間ない転調と反復が描き出すレエスか象牙細工のような細密模様に宿っている。そこに感傷や陶酔はなく、むしろ科学する文体のように研ぎ澄まされているが、その筆先に導かれて重なり合う次元の縁を辿って行くうち、いつしか迷路の奥深く引き込まれ、眩い記憶と記憶のあわいの、シナプスの突起の果ての暗がりへ踏み入ってしまう。理や知を超えた野性の気配の立ち込める、そここそが「獣苑」なのだ。

迷宮から戻って来られるように、著者はいくつかの「糸」を用意してくれている。一つは造本という行為。中学生の頃から現在に到るまで、彼は一貫して手製の本を作り続け、紙と版に関する思考を巡らしてきた。もう一つは郵便という概念。言葉に封をして遠い他者に届けるという所作が何度も繰り返される。さらには各章ごとに添えられた私的な写真。半世紀前に撮影された家族写真が、デジタルで再生され、そこにも切手が貼られている。未だ獣苑に棲む著者から投函された二十通(章)の手紙の束。

過去に迷い、現在に戻り、時空を超えた世界をさまよううちに、「初夏の蜂の唸り」(114)のような歌声を持つ黒本君や、「投げやりに水に挿された花のような」(256)水仙先生など、ヴァルター・ベンヤミンが「知り合いの原型(ルビ・ウーア・べカントシャフト19)」と呼ぶ人影が息づき始める。虚構を排し記録に徹した散文から、透明なSchein(反射光71)の滴が滲み出す。本書は「詩のつもりではなく」詩を書き始め、詩を壁から解き放とうと闘ってきた詩人の、生涯を賭した「詩」の結実である。

気合を入れて書いてはみたが、いかんせん与えられた字数が短く、もどかしさが残った。その思いをここで晴らそうという次第である。(次号に続く)

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