エルスース財団記念館

2017年上半期の詩集から:野村喜和夫


ジェフリー・アングルス『わたしの日付変更線』(思潮社)

ジェフリー・アングルスはアメリカ中西部オハイオ州に生まれたアメリカ人である。長じて、日本文学を専攻する研究者となり、さらには、なんと日本語で詩を書くようになった。本書はその第一詩集だが、いきなり読売文学賞の栄誉に輝いた。いかにインパクトのある、かつまた、感動的な詩集であるかがわかろうというものだ。

全体は「西へ」「東へ」「過去へ」「現在へ」「未来へ」という5つのパートに分かれ、前半の「西へ」「東へ」では、おもに地理的言語的な境界を行き来する人の、「翻訳」および「二言語使用」という名の冒険譚が語られる。後半では、詩人に固有の時間的な境界と、そこで生じたいわゆる「出生の秘密」とが、赦しのプロセスのうちに明かされ、静かな感動を呼ぶ。しかもこのふたつの境界は分ちがたく結ばれている。たとえば「産みの母」をめぐる詩は、「親知らず」という日本語の単語を触媒に生成した、というふうに。詩作は、著者自身の言葉を借りれば、「縦横に動く複数の境界線を検討する実験」なのである。これはおそらく彼でなければなしえなかった武勲だろう。

だが、私たちにとっては、ジェフリー・アングルスは「まれびと」でもある。私たちの外からこの地を訪れ、私たちのこの言語が同時に「どこの国でもない言葉」であることを教えてくれた、それこそ稀有な「まれびと」である。「その無国籍の言葉を聞き/追いかけてきた孤独の狼は/門外の闇に消えていく」。

塚原史・後藤美和子編訳『ダダ・シュルレアリスム新訳詩集』(思潮社)

待望のアンソロジーである。いや、思わぬ贈り物のような、というべきか。詩や芸術にかかわる者でダダ・シュルレアリスムに関心を寄せない向きは少ないだろうから、当然この種の訳詩集は日本でもいくつか出ているはずと思っていたら、さにあらず、訳者解説「なぜダダ・シュルレアリスム新訳詩集か?」によれば、60年近くも類書の刊行はなかったのだという。

かくして、「二十世紀以降の文芸に世界規模で決定的なインパクトを与えたダダ・シュルレアリスムに直接あるいは間接にかかわったフランス(語)の詩人三十二人を選び」、本書が編まれた。ブルトン、ツァラ、エリュアール、シャール、セゼール…… 名前を追うだけでわくわくしてくる。特筆すべきは、60年前のアンソロジーに比べて、ペンローズ、カーアンら、女性詩人が大幅に増えていることだ。

本書刊行のもうひとつの理由は、より現代的な問題に応じている。「文化の主要な媒体が旧来の印刷言語から無限に増殖するデータ=イメージへと移行した」現代、ダダ・シュルレアリスムといえば、多くの者がダリやエルンストの絵を思い浮かべるだろう。しかし、この運動はもともと「文学と美術が一体となって展開した」のであり、美術を先取りするように詩がまず衝撃的なイメージを言語として提示した場合も多い。視聴覚文化に覆われた今日、芸術における詩の中核的役割を思い起こすためにも、本書を手に取る意義があるといえよう。

四元康祐『単調にぼたぼたと、がさつで粗暴に』(思潮社)

今年は、口語自由詩を確立した萩原朔太郎の記念碑的な詩集『月に吠える』が刊行されて、ちょうど百年目にあたる。それに合わせるように、四元康祐の『単調にぼたぼたと、がさつで粗暴に』が刊行された。このタイトルは、実は朔太郎が昭和初年代の詩一般を評して嘆いた言葉である。四元はそれを逆手にとって、いいじゃないか、俺たちの現代詩(=口語自由詩)とは、どうせそういうものなんだから、と開き直る。現実の諸相に、もっと奔放に野方図に詩の触手を伸ばすべきではないのか。

その結果現出したのは、巨大な風刺の言語空間である。長い詩が多いので引用は困難だが、四元には、世界の静謐な奥行きを測るような抒情の触手もあるのに、あえてこのような社会批判の詩を全面展開した原動力とはいったい何なのだろう。おそらくは怒りである。時代に対するどうにもならない怒りが、このような傾きを、この本質的にはおおらかに生を肯定する詩人にもたらしたのだ。

その意味で私は、朔太郎のほかに、もうひとりの近代詩の大先達金子光晴を思い浮かべる。光晴はかつて、詩的抵抗の記念碑『鮫』のあとがきに、よほどの怒りが湧かないかぎり自分はもう詩を書かないだろうと宣言している。ときあたかも戦前の雰囲気がただよういま、四元は本気で光晴の衣鉢を継ごうとしているのかもしれない。なお彼は、これもまた人を喰ったような『小説』というタイトルの批評的な詩集を同時刊行している。

河津聖恵『夏の花』(思潮社)

花をモチーフにした詩集。だが、尋常一様の「花を愛でる」的な主体の姿勢はかけらもない。「なおも咲くのか/なぜ咲くのか」という冒頭のページの問いが示すように、花を黙示録的なひろがりや存在論的な深みにおいて捉えようとする重厚かつ稀有な試みである。

表題作の「夏の花」は、福島第一原発のライブカメラが写した、まさに事故現場から咲き出た花に触発されて書き出され、そこに原民喜の「夏の花」からの引用が織り込まれてゆく。こうしてヒロシマとフクシマと、ふたつの破局が重ねられ、そこに咲く花の意味が問われるのである。それは「世界の苦い泥についに生まれた/反世界の小さな裸形の花」であり、しかし同時に、「花という極小の/世界の追憶、追悼の祈りのすがた」へと反転する。「祈り」が河津の詩の鍵語のひとつであることを思えば、河津にとって花は、メタレベル的に、詩の言葉そのものをも暗にさしているといえよう。

「夏の花」につづく諸篇では、沖縄や朝鮮半島といった歴史の捩じれの地への旅が詩作の起点となり、そこに咲く花=詩のはたらきを通して、他者の魂と触れあい共振する場の現出が希求されている。そう、この詩集は、河津のふたつの詩論集『パルレシア』『ルリアンス』の副題を借りて言えば、「震災以後、詩とは何か」への真摯な回答であり、「他者と共にある詩」の身を挺した実践であって、それゆえ、読者に深い共感的感動を呼び起こさずにはおかない。

若松英輔『見えない涙』(亜紀書房)

著者は『叡智の詩学 小林秀雄と井筒俊彦』などの著作をもつ気鋭の評論家である。そんな人が詩集を出したのだから、それだけでも驚きだ。あとがきによると、詩を書くようになったのは東日本大震災のあとで、そこに個人的な事象が重なったという。それ以上は明かしていないが、宮澤賢治の「無声慟哭」への言及があることなどから、何か測り知れない喪の体験をしたのだろう。本書はそれをくぐって生まれ出た言葉が詩のかたちに結晶したものである。

私はとっさに、「それ、言葉だけが、失われていないものとして残りました、そうです、すべての出来事にもかかわらず」というパウル・ツェランの名高いスピーチの一節を思い出した。そういう言葉はおのずから光を放つという美しい逆説を、本書もまた体現している。

ただ、難解なツェランとちがって、若松の繰り出す言葉はあくまでも平易でシンプルだ。ときに人生訓に流れてしまう甘さもないわけではないが、ストレートに詩と真実を結び合わせようとする発話の姿勢は、それを補ってあまりあるものがあり、現代詩の書法からは久しく失われてしまった何かを反照しているかのようだ。ひとことで言えば「魂」である。死者との対話の場でもある「魂」の在処を、何の衒いもなく指さすことができる若松の精神は、ふつうの詩人以上に詩人的であると言えよう。「コトバ」を定義して若松は言う、「肉眼ではとらえきれないが/どこからか迫りきたって/魂にふれるもの」。

内藤里永子編・訳『わたしには名前がない。あなたはだれ? エミリー・ディキンスン詩集』(KADOKAWA)


19世紀アメリカの詩人エミリー・ディキンスン。生前は世に知られることもなくひっそりと暮らし、ある時期からは屋敷の外に出ることさえなかったという。ところが、遺された1700篇あまりの詩稿が発見されるに及んで注目を浴びはじめ、いまやアメリカが生んだもっともすぐれた詩人のひとりに数えられる。文学史上の奇跡といわれるゆえんである。

その訳詩集が、あらたな訳者を得て刊行された。翻訳によって詩人は何度でも生まれ変わる。内藤里永子による新訳は清新で読みやすく、構成にも工夫が凝らされ、まるでディキンスンが、いまここに甦って、現代日本語による詩の束を届けてくれたかのようだ。それだけ彼女の詩は、時代を越え文化を越えてひろがる普遍性をもつということでもあるだろう。

その普遍性とは、こまやかな自然との交感であり、またその交感を通しての魂の探求であり、とりわけ、死を介した神秘的な生の変容の感覚である。生のなかには死が、死のなかには生が隠れていて、両者はひそかに交流し、私たちに、逆説的にある種のエクスタシーをもたらしうるということ。常人にはなかなか感得できないことだが、彼女の詩を通すと、ごく自然に、ひとつの真実としての輝きと強さを帯びるのである。代表的傑作から引こう。「「死」のために 立ち止まらなかったわたしに/「死」がわたしのところに立ち寄った/迎えの馬車に「死」とわたしは乗った/そして 不滅のいのちも乗った」。

(上記の文章は、公明新聞「今月の詩集」に掲載されたものを、野村喜和夫さんの了承のもとに転載したものです。)

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