森山至貴 x 四元康祐 往復書簡 「詩と音楽と社会的現実と」: 最終回 コロスとコーラス、「炊飯器」、「A Freedom Song」、まだ歌われない歌
From M to Y
お返事を書かねば書かねばといっているうちに日本は10連休におよぶゴールデンウィークに突入してしまいました。例年では、左右をちらちらと見ながら「いっせいのせ」でないと休むこともできない、と人々が我が身を嘆く古典的で日本人らしい自虐を耳にし、私としてはその陳腐さに鼻白むことも多いのですが、今年は少し様子が違うようです。
ご存知の通り、5月1日から新しい天皇が即位し元号が変わります。日本はどこもかしこも「平成最後の〜」と銘打ったあれこれに満ちており、数日すれば「令和最初の〜」と銘打ったあれこれに満ちることになるのでしょう。昭和から平成に変わった時の自粛ムードとはうってかわって、「誰も死なずに元号が変わるのはめでたい」とばかりに誰もかれもが妙に浮足立っているのを見ると、私としてはやはり少し鼻白むところもあります。この往復書簡でも何度も天皇制は話題になりましたが、意識するにせよしないにせよ、日本社会にとって、あるいは日本人にとって天皇は「空虚な中心」として今も奇妙な機能を果たしているようです。私個人としては、元号をめぐる狂騒曲には巻き込まれず、この連休もいつもどおり自分らしいペースで働いたり休んだりできれば、と思っています。
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もうすっかり昔のことになってしまいましたが、「群読版ロレンス」とギリシャ悲劇の関係性についての四元さんの質問に答えたいと思います。答えから言ってしまうと、考えてはいたのですが、実際の演出に反映されているとまでは言えないだろう、というものになります。
わたしはそれほどギリシャ悲劇について詳しくないのですが、コロスの役割については大学生の頃哲学の授業で話題になったことを覚えています。その哲学教師いわく、コロスは、観客の感情を観客に変わって表出する(そしてそのことによって上演を活性化する)役割を担っているのだそうです。したがって、コロスのコロスとしての役割は、コロスとは別に劇を演じる役者が存在する必要がある。
しかしコロスの遠い子孫であるコーラス=合唱は、自身が舞台の主役です。オリジナルの『さよなら、ロレンス』では、歌い手は預言者にも勇者にも悲劇のヒロインにもなりながら、音楽の中でその存在感を発揮します。あまり物語っぽくはしたくなかった、とこの往復書簡では書きましたが、それでもやはりこの作品の中にはストーリー性がある。この作品の中ではコーラスはコロスではなく、役者の役割を担うのです。
他方、群読版では合唱団とは別に役者陣がいますので、合唱団はコロスとしての役割を十全に発揮することができる。そのことによって、同じテキストを歌ってもよりストーリーから遠ざかった表現ができるのではと思っていました。ですが、これもすでにこの往復書簡で書いたとおり、実際には合唱団が群読版でもかなり「演技」をしました。ですから、コーラスすなわちコロス、とはいかなかったようです。ただし、群読版に参加した合唱団員の人にとっては、歌っているだけ、といういつもの形とは違う形の経験をしてもらえたわけで、それはそれで面白がってももらえてよかったのかな、とも思っています。意図通りにならないことの面白さ、を体験することができた点で、群読版ロレンスという共同制作は私にとっても貴重な経験となりました。
と言いつつも、語りと歌をもっとシームレスに融合させ、合唱団員にとって無理のない形での舞台作品を作ってみたいという思いもありました。そこでできあがったのが、これまたすでにこの往復書簡で話題にあがっていた私の新作、「炊飯器」です。詩は大崎清夏さんによるものです。
大崎清夏さんについて四元さんが評した言葉に「叙情ではなく叙事の詩人」といったものがあったかと思います(間違っていたらごめんなさい)。この言葉が作曲時の私の支えになりました。大崎さんの言葉をストレートに伝えるために、拙作「炊飯器」は現代音楽テイストをかなり抑え、複雑ではありつつも一貫して甘やかな和声感を湛えた曲として書こうと考えました。しかし、だからといって俗情と結託するものにはしたくない。わたしは叙事詩の解釈に取り組んでいるのだ、という柱が自分の中に一本立つことで、当事者でありながら俯瞰的でもある不思議な視点を歌い手に担ってもらうことに成功したのではないか、と自分では考えています。
初演は、言葉の強度と音の圧力で聞かせる、言い換えればストーリーで観客の同情を引こうとしない、素晴らしいものでした。音楽と語りの絡み方も、私がすべて楽譜に書き込み、楽譜の読める合唱団員が語りを担当するという態勢によって、かなり緻密なものができたのではないかと思います。唯一の誤算は、歌う際はかなり声量のある歌い手でも(本職の役者とは違って)語りになるとかなり声が小さくなってしまうことでした。語りの背後で合唱が鳴ると語りはかなりかき消されてしまう。でもこれは私の書法で処理できる軽微な問題です。手応えは感じたので、来年3月の「炊飯器」を含む組曲の全曲初演まで、さらに楽しみながら作曲することができそうです。
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「詩と散文」「歌と言葉」「声と文字」「個人と社会」「無意識と意識」、そして「自と他」。私たちの往復書簡は、これらの二項対立を並べたり組み合わせたりひっくり返したりしながら、それらをまるごとむんずとこの手で掴まえるための手がかりを互いの言葉から探す試みだったのではないでしょうか。それゆえにこの試みは、私たちが同じ何かをつかもうと格闘しているという確信と同時に、互いの考え方が違うところにこそこの難題に取り組む際の活路があるとの確信にも満ちていたようにも思います。もっともこれは、前便でも話題になったように「他」を根源的な希望とみなす私のバイアスがかかった見方かもしれませんが。
では結局、この難題を私たちは解決しえたのでしょうか。いやいや、そう簡単な問題にわれわれは取り組んでいたわけではないと四元さんはおっしゃるでしょう。私もそう思います。また、答えはそれぞれの実作で示していけばよいのでは、とも思います。四元さんもそう思われるのではないでしょうか。
では結局私たちはどこへもたどり着かなかったのか、と言われれば、そうではない、と答えたい気分も、私にはあります。この往復書簡の中で、私たちは問うべき問いが何かを上手に見つけた気がするのです。この言い方はあまりうまくないかもしれません。問うべき問いにたしかに存在するはずの質量を、きっちりと測定し体感した、という表現はどうでしょうか。ふわふわとした問いを言葉でつなぎとめようとする間に、私たちは問いの形と重さくらいは確かめられたような気がします。そしてさらに言ってしまえば、この往復書簡を読んでいる人にもその問いの形と重さを感じてもらえたのではないか。こうして文字にしてみるとあまりにてらいのない手前味噌でわれながら面食らってしまいますが、そのくらいのことは言ってしまってもよいのかな、という気がします。
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この往復書簡の最後に「自由」というキーワードが浮上しました。本当に偶然なのですが、ついこの間「A Freedom Song」という私の新作が初演されたので、その曲について最後に紹介させてください。
2019年4月19日に、Hand in Handというアジア太平洋地域のLGBT+の合唱団が集まる音楽祭が東京で行われました。その合同合唱で、テーマ曲の”Hand in Hand”とともに演奏されたのが「A Freedom Song」です。初の英語詩(タゴールのテキストを用いました)、自作初演をはじめて指揮者としておこなったこと、合唱団員がなんと500人もいたこと、など私にとっては異例のことづくしで、一生の思い出になる得難い素晴らしい経験をしました。
作曲自体はかなりスムーズに進んだのをよく覚えています。イベントに参加したオーストラリアの団体の指揮者とこんな会話をしました。「私は日本語話者なので日本語を歌うのは楽だが、作曲をするなら英語の方がずっと楽だった」と彼女に言ったところ、彼女は深くうなずき、作曲者の第一言語だからといって作曲しやすいわけではない、英語のリズムや発音のあり方が作曲を容易にするのだと思う、と応答しました。たしかに、するすると進む作曲中の狐につままれたような不思議な感覚を、今でも覚えています。ということで、今後の私は作曲、それも日本語以外の言語への作曲を通じて自らの言葉に対する向き合い方を探っていく、ということになりそうです。
「A Freedom Song」はこんなふうにはじまります。
The song that I came to sing remains unsung to this day.
The time has not come true, the words have not been rightly set.
くしくも、まだ歌われない歌をつかまえようと私は曲を書き、正しい居場所を見つけられない言葉と格闘しながら四元さんは詩をお書きになるのではないでしょうか。…ずいぶん湿っぽい言葉になってしまったかもしれません。前便で書いたように「人間臭さを排した曲」に私が憧れるのは、だれよりも「人間臭い」のは私自身だからなのかもしれません。
またメールで、あるいは実際にお会いしてお話することもあるかと思います。ミュンヘンへ伺うという約束もまだ果たせていませんね。往復書簡はここで終わりとなりますが、さらなる対話が続いていくことを、強く、強く、願っています。
2019年4月27日
東京レインボープライドのパレードが雨に降られないことを祈りながら、
「炊飯器」の演奏はこちらから↓
https://youtu.be/i3skU9yjcek
「A Freedom Song」はこちらから↓