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森山至貴x四元康祐 往復書簡「詩と音楽と社会的現実と」:第1回

from 四元康祐 to 森山至貴、

森山至貴さま、

先日は新詩集の刊行記念イベントに駆けつけていただき、ありがとうございました。久しぶりにお会いできて嬉しかったです。その前にお会いしたのはたしか川崎駅の近くでしたね。暑い夏の午後だったことを覚えています。あれは森山さんが僕の詩集『笑うバグ』の中の数編に曲をつけていただく前の、その相談だったのか、それとも出来上がった「混声合唱とピアノのための『さよなら、ロレンス』」が見事朝日作曲賞を射止めた後だったか。記憶が定かではないのですが、いずれにせよ2012年頃、つまりもう5年も前のことなのですね。

『笑うバグ』の詩に曲をつけたいというお申し出を最初にメールで頂いたときは、正直びっくりしました。経済やビジネスを題材として取り扱った詩が合唱曲になるとは想像もできなかったからです。森山さんにはお気の毒だけれど、作曲賞なんてとうてい無理だろうと思っていました。

実際にお会いしてみると、もっと驚くべきことが!森山さんは作曲家であると同時に社会学者であり、クイア・スタディーズの研究をなさっていること、作曲はもっぱら自宅でピアノを弾きながら独学で身につけたこと、そして何よりも、ぱっと見には学生と見紛うような若者であったということです。

そういう話を伺ってみると、森山さんがあの詩集に興味を持ち、それに曲を付けてみようと思い立ったことも、なんとなく納得できるような。日本では合唱がけっこう盛んで、作曲家達は歌にするための面白い日本語を鵜の目鷹の目で探していること、結果として彼らは現代詩の熱心な(そして希少なる)読者であるということも、僕にとっては新しい発見でした。

合唱曲「さよなら、ロレンス」は、美しさと不気味さが入り混じった不思議な作品、言葉の本来の意味での queer (odd, strange, unusual, funny, peculiar, curious, bizarre, weird etc)な代物でした。僕はいただいたCDをi Phoneに入れていたので、シャッフルされたその曲が時折不意に聴こえてきて、思わず耳を澄ましながらも、どこか自分自身の素顔に直面したような面映さを感じるのでした。

3年ほど前だったかな、詩の朗読に訪れたスペインの田舎町で、同じステージに立った土地のミュージシャンと打ち上げの後、静まり返った真夜中の路地を歩きながら、あの曲を聴かせてあげたことがありました。iPhoneを耳に押し付けた彼は、感想らしい感想を述べるでもなく、それでいていつまでも離そうとせず、不思議な微笑を浮かべたまま結局4曲とも組曲全部を聴いてしまったのです。あの時、日本語の分からない彼の頭のなかでどんな世界が広がっていたのだろうと、未だに思い出しては想像を巡らせています。

いま改めて聴きなおしてみると、当時は気づかなかったことに思いあたります。たとえば元の詩が持っている社会批評性が、合唱曲の(合唱だから当然といえば当然ですが)多声性によって、劇のような効果を授かっているということ。彼らの歌声はまるでギリシャ悲劇におけるコロスのようです。つまり詩ではモノローグだったものが、三次元的な演劇空間へと展開されている感じ。

と同時にその「悲劇」自体が、僕が元の詩を書いた1980年代後半と、東日本大震災前後の日本とを繋いで、連続と変化の中から浮かび上がってくるようでもあります。たとえば「市場崩壊」に登場する「洪水」はバブル経済後期の消費と投機と欲望の氾濫でしたが、合唱曲のなかで聴く「洪水」は3.11の津波を想像させずにはいられません。それでいてそこには、私たちの社会の根底を流れるひとつの本質的な傾向(ある種のvulnerability?)が貫かれているような気もするのです。

その三十年近い歳月はまた、僕自身の詩にも大きな変化をもたらしました。「さよなら、ロレンス」を聴いていると、その歩みを辿らずにはいられません。すごくざっくりと言うと、『笑うバグ』を書いた頃の僕は、現実的で日常的な出来事のなかに詩を見つけ、それを指差すことによって世界を丸ごと捉えるという野望に駆られていました。その後僕は長い間そういう詩を書く自分とは何者なのかという、いささか倫理的な問題に拘っていました。『噤みの午後』からその問いは始まり、小池昌代さんと交わした『対詩・詩と生活』のあたりでは、相当煮詰まっていたのだと思います。仕事を辞めて、世界各地の詩祭を巡り歩いていたのもその一端だったのかもしれません。

川崎の駅前で森山さんとお会いしたのは、ようやくその時期を脱し、『谷川俊太郎学』を経て『言語ジャック』を書き上げた頃、詩を書く主体を「私」から「言語そのもの」に委託するような、いわば汎言語主義的な世界に入っていった時期でした。『笑うバグ』では外側から描いていた世界に、言語という回路を介して、不意に内側からさまよい出たような感覚。「さよなら、ロレンス」の歌声は、長い漂流の旅から帰ってきた自分を迎えてくれるコロスのようにも聴こえてきます 。

そして今年の初め、森山さんからまた新しい音楽の贈物が届きました。『現代ニッポン詩日記』に収めた詩「旗」の合唱曲!でもこれについては次の手紙に譲ることにしましょう。まずは「さよなら、ロレンス」をめぐって、現代詩と音楽、芸術と社会的現実、そしてそれらと自分との関係について、森山さんがどんなことを、どんな風にお考えになっているのか、お聞かせいただければ嬉しいです。

PS .いまロッテルダムに来ています。毎年恒例の国際詩祭の今日はもう最終日。そろそろクロージングセレモニーが始まる頃です。この詩祭でも詩と音楽はすごく仲がいいですよ。昨晩は吉増剛造さんの朗読劇に三人のミュージシャンが加わって、迫力満点のパフォーマンスでした。夏至を控えた北国なので、舞台が終わって11時近くになってもまだ空が仄かに明るいんです。だからそこからまたお喋り(とビール)が弾んで、連日の夜更かしです。その模様もいずれまた。お元気で。

2017年6月3日 ロッテルダムにて 四元康祐


from 森山至貴 to 四元康祐、

四元康祐様、

先日は新詩集の刊行記念イベントにお誘いいただき、ありがとうございました。議論を噛み砕いて整理し一つの絵柄を描こうとする四元さんと、こぼれ落ちた破片から異なる絵柄を復元しようとする蜂飼さん、ただ泰然と自らの紋様であろうとする藤井さんのやりとりを、お三方の詩の印象と重ね合わせながら楽しく拝聴しました。

手紙の冒頭から記憶違いの訂正になってしまい申し訳ないのですが、その前にお会いしたのは川崎ではなく神保町で、これまた新詩集、三カ国語連詩の刊行イベントでしたね。夏の午後にお会いしたのは川崎ではなく横浜のホテルのバーだったと思います。四元さんが日本にいらした際に、『さよなら、ロレンス』の朝日作曲賞受賞のお祝いをしていただいたのでした。

とはいえ、その夏の午後のことはたったひとつのやりとりを除いて私もはっきりとは覚えていない、というのが正直なところです。はじめてお会いする四元さんに祝っていただくということで舞い上がっていたせいもありますが、それ以上に、言葉のプロである四元さんに私の言葉遣いの貧相さを見透かされないかと怯えていたからでもあったと思います。

はじめてお会いした四元さんはとても気さくな方でしたが、一度だけ「やっぱり詩人は怖いな」と思う瞬間がありました。それこそ私がはっきりと覚えている「たったひとつのやりとり」です。四元さんはおもむろに私にこう訊いたのでした。「音楽は言語だと森山さんは思いますか?」虚を突かれた私は、なぜそうと言えるかもわからぬまま、しかし確信を持って、咄嗟に「はい」と答えたのでした。覚えていらっしゃいますか?

四元さんの手紙を読んで、あの時なぜ四元さんが私にこの質問をしたのか、少し分かった気がします。その問いの鋭さは、私に向けられたというよりもむしろ当時四元さんが格闘していた言語の方に向けられていたものだった。四元さんは、言語の臨界を測定する営為の中で音楽に興味を持たれ、あのような質問をなさったのではないでしょうか。もしそうだとすれば、その営為がむしろ言語のローカリティに着地点を見出し『日本語の虜囚』という詩集を生み出したこと、私にはとても興味深く思われます。周縁に着目し言語の領野を拡大するのではなく、四元さんは言語の中心に自らを追い込み、そのままそこで「虜囚」となったわけですから。その先に三カ国語連詩があり、小説との異種格闘技戦である『小説』があり、現代詩と四つに組んだ『単ぼた』があるとすると、一度圧縮された四元さんの詩的言語の領域はふたたび膨らみはじめているようにも思えます。『言語ジャック』以降の四元さんの言語観の変遷についても、ぜひ四元さん自身の言葉によって伺いたいですね。

思い出話に乗じて厚かましくも先走ったお願いをしてしまいました。まだ四元さんからの質問に答えていませんでしたね。四元さんの詩論・言語論についてはこの往復書簡の中で少しずつ明らかになっていくことを期待しつつ、今度は『さよなら、ロレンス』をめぐる思い出話を少しさせてください。そのことによって、四元さんからいただいた質問にお答えすることになるはずです。

『さよなら、ロレンス』は、私の朝日作曲賞の13回目の応募作でした。12回、落選したんです。とりわけ、佳作(2位)は受賞しても大賞を獲れない後半の5年ほどがつらかったですね。その時期の私の応募作は、砂糖で毒薬をコーティングするかのように、爽やかさや切なさの奥に批評精神を封じ込めるようなものばかりでした。合唱界ではここのところ爽やかさと切なさが大人気で、爽やかさと切なさの専制に抵抗したい私は、擬態によって批評という要素を曲に加えるという戦略をとっていたからです。でも大賞は獲れなかった。擬態に疲れてしまった私は、もっと直接的で挑発的な曲を書きたいと思ったのです。だから『笑うバグ』から、消費資本主義批判とも言える詩を選んで『さよなら、ロレンス』を書きました。

正直なところ、受賞できるか私自身も半信半疑でした。こんな合唱曲らしからぬ合唱曲を審査員が認めるのか、という思いもありました。また、時代とのねじれた符合も受賞を遠ざけるように思われました。2011年3月頭に応募作を提出したすぐあとに東日本大震災が起こり、津波の被害が東北を襲い、当時の石原都知事が「津波は天罰」という発言で大いに批判されました。『ロレンス』の終曲では消費資本主義の担い手たる人びとがそれゆえに「洪水」に流されてしまいます。四元さんと同じく当時の私も「洪水」を津波に結びつけ、それゆえに社会状況を考えると「水による罰」のイメージは敬遠されるだろう、ならば受賞も難しいだろうと思ったのです。

しかし、何の因果か『さよなら、ロレンス』は朝日作曲賞を受賞しました。なぜ受賞することができたのかはわかりません。でも私は、率直に言って勇気づけられました。実作によって批評や批判をすることができるのだと。そして、その批評や批判とは、社会的現実に対するものであると同時に、合唱界のあり方に対するものでもあってもよいのだと。

ようやく四元さんの質問に一つだけ答えることができる地点までたどり着きました。「芸術と社会的現実、そしてそれらと自分との関係」について、私はこう思っています。芸術のあり方と社会的現実を実作によって串刺しにし、それらを同時に批評し批判することが当の芸術には可能であり、可能であるならば私はそれをやってみたい、なぜならそれが「怒れる者」に残された方策なのだから、と。芸術と世界を野蛮にも重ね合わせることが許されるのならば、私はその野蛮さを引き受けたい。四元さんの『現代ニッポン詩日記』や『単ぼた』からも私は同じスピリットを感じます。気のせいでしょうか?

ずいぶん肩に力が入った文章を書いてしまいました。それに「現代詩と音楽」の関係については全くお答えできませんでした。次の手紙で書ければと思っています。

私なりの考えを言語化する手がかりにしたいので、一つ質問をさせてください。そもそも、詩人は「歌」をどのように聞くのでしょうか?「言葉で十分、メロディは邪魔だ」などと思わないのでしょうか。ぜひ率直なご意見をお聞かせ願えれば幸いです。

2017年6月10日 絵に描いたような「梅雨の晴れ間」の東京にて

森山 至貴(もりやま のりたか、1982年 - )社会学者、早稲田大学専任講師。専攻はクィア・スタディーズ。著書に、「ゲイコミュニティ」の社会学(勁草書房、2012年)『LGBTを読みとく クイア・スタディーズ入門』(ちくま新書、2017年)など。

合唱曲の作曲家、ピアニストとしても活動していて、2002年無伴奏混声合唱のための「青空について」で第13回朝日作曲賞佳作。2007年無伴奏混声合唱のための「たべもののうた?」で第18回朝日作曲賞佳作。2009年男声合唱とピアノのための「どうぶつのうた?」で第20回朝日作曲賞佳作。2011年混声合唱とピアノのための「さよなら、ロレンス」で第22回朝日作曲賞入賞。

http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480069436/


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