ポーランドから帰ってくると、海が。

金曜日の夜ワルシャワから帰ってくると、郵便受けに大小二つの封筒が。大きな封筒からは、高橋順子さんの詩集『海へ』が出てきた。ブルーのグラデーションがとても美しい装丁だ。

その前に贈っていただいた御本は『海へびのぬけがら』だった。こちらは子供でも読める平易な言葉で書かれた短編集。

高橋さんの最初の詩集は『海まで』。海のほとりで生まれ育ったひとだから、海への思いも人一倍深い。それだけに、3.11の津波で故郷の町が流され、大勢の犠牲者を出したことは、高橋さんを根底から揺るがしたようだ。

詩集『海へ』の後半部分と、『海へびのぬけがら』の最後に収められた話は、あの津波のことが直接の題材になっている。

   海

いつも海が寄せているのです
波ではなくて 海が
私の目の裏に
でも海は 好きなことばではなくなった

海 を呼ばないので
海 は答えない
そのほうがいい
白い月が出たら
ごうごうとお話ししていてください
海 を呼んでも


もうひとつの、小さな封筒は、新川和江さんからのお手紙だった。新川さんは水の詩人だ。火と、土の詩人でもあるけれど。その水はときに海であり、ときに雨や霧や雪であり、涙であり、そしてもちろん川である。


   今はもう
         わたしの目のうしろには海がある
         わたしはそれを全部泣いてしまわなければならない
         ――エルゼ・ラスカー・シューラー

わたしの目のうしろの海は
悲しみのあまりに沖まで引いてしまった

今はもう かもめもとばない
さかなは目をみひらいたまま 干涸びて死んでいる

海は 戻ってこないだろう
かなたで苦い塩の岩となりはてるだろう

あのひとが来てかつての渚に
はだしで 足あとをつけてくださなければ

くちづけで溶かし
涙で うすめてくださらなければ

                 新川和江『千度呼べば』より

「もちろん」というのは、新川和江という名前のなかにふたつの川が流れているからで、それを指摘したのは高橋順子さんだ。その高橋さんの名前にも川があって、こちらには橋がかかっている。

オーストラリア・シドニーのリース・モートン先生は、いま3.11に関連する詩の本を書かれているとのこと。もうご存知だとは思うけれど、念のためにメールを書いて、『海へ』のことをご連絡しておこう。

(↑この本の挿画は高橋順子さんご本人)


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