ファシズムの夏:その2 秋山清 ニヒルから溢れ出るもの
『ぼくの兄の場合』(ウーヴェ・ティム著 松永美穂訳 白水社)を携えての日本滞在中、もう二冊どこへ行くにも持ち歩いていた本があった。いずれも秋山清の著作で、『現代詩文庫 秋山清詩集』(思潮社)と『ニヒルとテロル』(平凡社ライブラリー)である。
詩の雑誌「びーぐる」は、四人の編集同人が毎回交替で特集企画を組んでゆくのだが、最新号の特集は細見和之さんの番で、彼は秋山清を取り上げることにしたのだった。
恥ずかしながら、僕はそれまで秋山清の、名前だけは聞いたことがあったが、著作を読んだことはなかった。だから今回は出番がないかと思っていたのだが、細見さんが事前資料として送ってくれた年譜と代表作の詩のいくつかを読んで心が動いた。そこに『ぼくの兄の場合』にも通じる「抵抗の精神」を読み取ることができたからだ。
元帥国葬の日に
私は辞書を引いていた。
南方樹種の名称と学名と用途。
ニューギニアの
モロべ高原には
松林が繁茂するという。
その針葉樹をせんさくしながら
南の島々と
その空とぶ飛行機が脳裏を去来した。
風やみ
竿頭黒布垂れた弔旗を
麦畑のむこうにみた。
「国葬」という詩の全文である。書かれたのは昭和十九年、太平洋戦争末期。そんな時勢にあって、樹のことなんて考えているのは、彼が木材会社に勤めていたからである。でももちろんそれだけじゃないだろう。その前年の年譜には「すすめられても文学報国会に入らず」と記されている。
秋山清が戦争中こつこつと書き付けていた詩には、この「国葬」同様、作者の感情や主張が表に出ない。ただ淡々と事物を描写するだけだ。身辺を対象とした私的叙事詩とでも言えようか。どことなく漢詩風でもある。
以前『詩人たちよ!』という評論集の刊行記念イベントで谷川俊太郎さんと対談したとき、僕は「もしもこのまま日本が右傾化を続けて、言論統制とか敷かれたとしたら、自分がどんな詩を書くと思われますか?」と訊いて、呆れられたことがあった。「世界中がネットで繋がれて、SNSもあるこの時代に、言論を統制することなんてできると思う?」と彼は答えたが、僕は臆病者のペシミストなのである。国家がネットの言論を統制している例は今だってあるし、日本の場合はそれ以前に、書き手の方から自主規制、自主検閲を始めてしまいかねないだろう。
もしもそんな時代がやってきたとしたら、自分はどんな詩を書くだろう?秋山清の詩は、その疑問に対する解答のひとつかもしれない。たんたんと事物を描写することに徹しながら、その事物をして語らしめる書き方。
秋山清の叙事からは、ときに怒りが、ときに悲しみが、ときに優しさが滲み出て来るのだが、僕が一番気に入ったのは「夾竹桃」という作品から迸る、哀しいエロスの滴である。
オギノ式って知ってる。
知ってると思ったわ。
知らないのかしら。
三日か四日の自由、ということを
そんな風には知らなかった。
ももいろの夾竹桃は
窓に残暑のほこりをかぶる。
着ているものを脱ぎ去って
創痕を見よ、という。
蝉が鳴いていた。
背の丈ほどの手術の痕。
かなしと言うべきか。
遠いものを見たと思った。
ふり向いて言葉なし。
青じろい肌をおさえつつ。
秋山清は詩を書く一方で、社会主義思想に関する批評も多く書いている。『ニヒルとテロル』はその代表作だが、日本に戻ってきて、新宿の紀伊国屋で手にしたときには、思わずハッとした。帯に「いまの日本に『否定する自由』はあるか?」とあったからだ。実はその時点で、『ぼくの兄の場合』の書評には「ノーと言える自由」という表題をつけようと決めていたからだ。ページを開いてもう一度びっくり。なんと細見さんが解説を書いているではないか。符合というのは重なるものである。
こちらも旅のまにまに読み終えたが、そしてそれは重い手応えのあるものだったが、最後までニヒルとテロルの違いはよく分からなかった。思想そのものよりも、思想を熱く、烈しく語る人がふと漏らす、材木の香りや、夾竹桃の匂いの方に惹かれてしまう。逆に言えば、そういう匂いのしない思想はどこか信用できない。
「びーぐる」の秋山清特集には、やはりミュンヘンに帰ってから、短い感想文を寄せた。ちょうど昨日あたり、日本で刊行されているはずである。