佐野洋子未公開書簡集『親愛なるミスタ崔』その3:出版秘話と『日中韓三ヶ国語連詩』
この日記で先週『親愛なるミスタ崔』を取り上げたところ、吉川凪さんからさっそく速報メールが届いた。吉川さんは韓国文学の翻訳者で、この本の巻末に付けられた「ミスタ崔」の回想エッセイも彼女の日本語訳によるものだ。
『親愛なるミスタ崔』の版元であるクオンの若き女社長金承福さんが、その直営ブックカフェ「チェッコリ」で打ち上げパーティを開いた『日中韓三ヶ国語連詩』に韓国から参加した詩人金恵順さんの、大学での教え子であったことは前号に書いた通り。イッツ・ア・スモール・ワールド!とびっくりしたのだが、吉川さんによればもっとその先があるとのこと。
『三ヶ国語連詩』には国家を超越した宇宙人枠として谷川俊太郎氏をお招きしたのだが、彼はそのちょっと前に韓国の詩人申庚林氏と連詩ならぬ一対一の対詩を行っていた。僕達の連詩がちょうど折り返し地点をすぎた頃、ふたりの対詩は『酔うために飲むのではないからマッコリはゆっくり味わう』として日本と韓国で同時に出版され、ソウルで刊行記念イベントが開かれた。
なんとミスタ崔はそのイベントを知らせる新聞記事を見て、谷川さんがソウルにいることを知り、彼に会いたいと連絡してきたのだそうだ。それが本書『親愛なるミスタ崔』の生誕秘話である。でも偶然の符合はもっとあって、そのミスタ崔とは、20年前に吉川さんが延世大学に留学していたときの新聞放送学科の教授であり、このふたりもまた教師と教え子の関係だったのだ。
ところでこのソウルの対詩出版記念イベントには『三ヶ国語連詩』も意外な形で関わることになった。
日中韓の詩人たちで連詩を巻くにあたって、僕はひとつの仕掛けを講じた。通常連詩は予め筋道やテーマを決めず、行き当たりばったり気の向くままに、参加者の連想だけに沿って展開してゆく。ただそれだとやっている当人は面白いのだが、読むほうは詩人たちが舞台裏を明かしてひとつの詩から次の詩へどのように繋いだかを解説してくれない限り、いまいちよく分からない。面白くない。つまりReadabilityに欠ける傾向がある。この点で、連詩は現代詩全般のあり方を反映しているとも言えるだろう。
そこで今回は、日本と中国と韓国の人々が共有するものをテーマとして掲げることにした。全36編を三部に分け、最初のふたつにはそれぞれ僕が「海」(日本海や東シナ海だ)と「米」を選んだ。三つ目のテーマについて中国と韓国の詩人に意見を求めたところ、中国の詩人Mindiは「太陽」がいいと提案した。太陽?僕は日の丸の旗を連想してとっさにいやな予感があったのだが、結局それを採用した。だがいやな予感はすぐに現実になってしまったのだ。
第三部「太陽の巻」の冒頭にあたった谷川俊太郎氏は、次のような五行を書いたのだった。
日本では国旗を日の丸と呼ぶ
白地に真紅の円だけのグッドデザイン
まるで子供が考えたような無邪気さだが
含意は五輪の五色どころではない色々
旗振りなど金輪際したくない
日本語だとここにこめられた皮肉は明らかで、谷川さんの真意は説明すべくもない。だが連詩の進行上はまず僕が英語に訳し、それを米国在住の韓国人詩人が金恵順さんのために韓国語に訳するというプロセスを経た。その過程で微妙なニュアンスが失われてしまったのだ。恵順さんは「自分には谷川さんの意図はよく分かるが、このテキストだけを読むと日の丸に象徴されるかつての軍国主義を賛美する詩であると誤解する人が出てくるのではないか」と心配した。あとで吉川さんに重訳された韓国語のテキストを見てもらうとその懸念はもっともなものだった。最初から彼女に直接韓国語に訳して貰っていればそんな問題は生じなかったのだが、そうすると中国のMindiが置いてきぼりを食らうことになる。英語を介して重訳しながら、そこに生じる「誤訳」を出来る限り正してゆくということが、多言語で連詩を行う場合には必要なのだ。
さてどうしたものか、僕は頭を抱えた。と、谷川さんからメールが届いて、いまソウルにいるというではないか。金恵順さんの教え子だった知人も一緒なので、彼女を介して相談してみるとのこと。あとにして思えばそれがクオンの金承福さんであり、その傍らには吉川凪さんもいたのだった。
ふたりのお陰で翻訳上の問題は無事解決し、連詩はふたたび進み始めた。7月初めには無事仕上がり、月末には詩集の出版も間に合って、僕は8月初旬猛暑の東京を訪れた。羽田に着いたその足で神保町の「チェッコリ」に向かったと思う。吉川さんと会ったのはそれが初めてだった。同じく初対面の金承福さんは、よく冷えたマッコリを出してくれた。酔うためではなかったけれど、僕は一息に飲み干した。
PS. これは東京書店で行った『三ヶ国語連詩』の発表会。谷川俊太郎の代役は野村喜和夫さんが務めてくださった。金恵順さんの傍らには吉川凪さんも。
「チェッコリ」での打ち上げで詩を朗読する金恵順さん。手前にマッコリも見えますね。
『日中韓三ヶ国語連詩』はVagabond出版から発売されています。https://vagabondpress.net/products/trilingual-renshi
谷川俊太郎×申庚林著『酔うために飲むのではないからマッコリはゆっくり味わう』のお求めはクオンまたはチェッコリにて。http://shop.chekccori.tokyo/products/detail/77
同上韓国語版
http://shop.chekccori.tokyo/products/detail/214
吉川凪さんには、こんな刺激的な著作もあります。
『京城のダダ、東京のダダ——高漢容と仲間たち』書評 by いとうせいこう http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2014100500014.html
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