森山至貴x四元康祐 往復書簡 「詩と音楽と社会的現実と」:第2回
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森山至貴さま、
ご返事どうもありがとう。そしてごめんなさい。最初に会った場所も、二度目にイベントへ来てくださったことも、すっかり記憶違いで。僕はよく妻からぼーっとしている、詩のことばかり考えていて現実に注意を払っていないと叱られているのですが、まったくその通りですね。
でも思い出しました。そう、12回も朝日賞に落っこちたってこと。「音楽は言葉だと思いますか?」とお尋ねしたことも、うっすらと。森山さんがお書きになっているように、あの頃の僕は言葉と意識の関係についてずっと考えていたから、いかにも訊きそうなことです。自分ではどう思っていたんでしょうね。
その問いかけが、今度は森山さんからの質問となって返ってきたようです。詩人は歌をどう聴くのか。「言葉で十分、メロディは邪魔だ」などとは思わないのか?
萩原朔太郎という人は、九十年ほど前まさにその問題について正面から取り組んでいます。いわく詩はその発生において歌であった。「詩は昔に於いて音楽と共に――おそらくは尚舞踏と共に――節づけされた手拍子、もしくは楽器に合せて歌われたものである。」そこからメロディが抜け落ちて、詩は音楽から独立する。けれどもリズムはなお言葉とともに残っていて、つまりはそれが韻律であり、韻文であり、定型というものである、と彼は云うのです。
詳説すれば、楽曲的型式に於ける符号でなくして、楽曲の背後にある音楽の根本原理――音の関係に於ける美の根本法則――と、或る本質的なる、大体に於ける一致があるべき筈だ。なぜならば言語の語調や語韻やも、それが「音」として響く限りは、必然に音楽の本質的原理に属するから。そこで「韻文」という言語を、形式定規の窮屈な意味に解しないで、大体としての根本の音楽原理に適っているところの――したがって耳に美しい響を感じさせるところの――一種の節をもった文章と解するならば、その場合にこそ、一切の詩は皆韻文であり、また必然的に韻文でなければならないと言い得るだろう。(『詩の原理』より)
朔太郎って、一般には異常に繊細な感覚の人と思われているようだけど、こういう文章を読んでみると実に生真面目に、理詰めに考える性質だということがよく分かる。あんまり理詰めすぎて、いかなる揺らぎもなく緻密に論理を組み立てようとするあまり、かえって話がひっくり返って、時には「韻文とは散文である!」といった訳の分からない結論に辿りついたりするくらい。本人が大真面目なだけに、なんとも云えない滑稽さが滲み出てくるんです。詩を読むよりも、批評の文章を読むほうが、彼の場合は身近にその人柄を感じることができますね。
それにしても、「一切の詩は皆韻文であり、また必然的に韻文でなければならない」とは、日本近代詩の父と称される萩原朔太郎らしからぬ断言ではないですか。こんな風に言い切ってしまうと、新体詩運動以降せっかく作り上げてきた自由詩が、あっさり文語定型へと戻ってしまう……。そして実際、朔太郎本人に関して言えば、まさにその通りのことが起こりました。この文章を発表してから八年後の一九三四年に、彼は文語定型詩集『氷島』を刊行、そのさらに数年後には『日本への回帰』を宣言し、晩年はもっぱら蕪村や芭蕉などの古典的な伝統詩に戻ってゆくのです。再び、先に引いた『詩の原理』から、
実に驚くべきことは、今日の日本の詩に、一もこの音律美がないということである。その或るものは単調にぼたぼたとし、他の或るものはがさつに粗暴な音声をふり立てている。抒情詩的にも、叙事詩的にも、一も心に浪を起し、真の詩的陶酔を感じさせる自由詩がない。(略)要するに今日の所謂自由詩は、真に詩と言われるべきものでなくして、没音律の散文が行別けの外観でごまかしているところの、一のニセモノの文学であり、食わせものの似而非韻文である。著者はあえて大胆に、正直に、公明正大に――著者自身を含めて――断言しよう。今日ある如き所謂自由詩は詩としての第一条件を欠いている駄文学で、時(タイム)の速い流れと共に、完全に抹殺されるべきものであると。
その後に続く歴史を見れば、自由詩が抹殺されなかったことは明らかだし、朔太郎のこの断言には、滑稽を通り越して憐れみすら感じさせられます。でも同時に、僕には彼の言い分に深く頷くところもあるのです。自由詩を書けば書くほど、そのとりとめのない無定形さに途方に暮れるような気がしてきます。一篇の詩を書くたびに、あるかりそめの形式を打ちたてようとするのですが、それは波打ち際に作った砂のお城のようなもので、潮が満ちれば跡形もなく消えうせてしまう。朔太郎は「自由詩は軟体動物のようなもので、どこにもしっかりした骨組みがなく、柔軟でぐにゃぐにゃしているところの、一の醜劣な蝉虫類にすぎない」とも書いていますが、たしかにそういうカオスと闘っているような、ドンキホーテ的な徒労感を感じるのです。
その一方で、短歌や俳句に触れるたびに、その五七の調べにひそむ魔力が千五百年の時を経てなお生き生きと脈打っていることに驚かされます。そういえば森山さんにも来ていただいた先のイベントの席でも、この話題が出ましたね。いわゆる自由詩のなかにも、日常の散文や喋り言葉のなかにも、気づかずうちにそれが忍びこんでいるということ。それゆえに、口語自由詩もともすれば韻文性を孕んでしまう……。そういう話をしたが最後、藤井貞和さんはご自分の発言や引用する詩句に含まれている五七のリズムが気になって、いちいち立ち止まっては語数を数えてしまわれるので、なかなか話が進まなくなったものでした。
歌は、僕という肉体を通して、僕の書くすべての詩に潜んでいます。たとえどんなに非音楽的な詩を書こうと、歌の響きを完全に取り去ることはできない。なぜならば朔太郎が言うように、詩はその誕生において歌と分かち難いものだったに違いないから。
でもだからこそ、あえて「言葉で十分だ。メロディーはいらない」と歌を突っぱねてみたいという欲望にも駆られます。もちろんそこには、戦後になって、短歌が「奴隷の韻律」と呼ばれ、その韻律にひそむ無批判的な陶酔を非難されたり、四季派の書いた抒情詩にも同様の批判が向けられたというような、歴史的な経緯もあるでしょう。最近政治や言論の世界に跋扈している戦前回帰の復古的な動きを見るにつけても、詩のはらむ音楽性や日本語に内臓された韻律性への警戒心は自ずと高まります。自らの内に深く刻み込まれた五七の韻律と言ったとたん、事は自らの内なる天皇制という厄介な問題とも繋がってゆき、自我の深層精神構造を見直す羽目にもなりそうです。
けれども僕が詩と歌について抱いているアンビバレントな思いは、そういう歴史やイデオロギーとはまた違った、もうすこし根源的なレベルのものではないかと思うのです。
ちょうどいまミュンヘンでは映画祭をやっていましてね、おとといポルトガルの女性監督が撮った『コレスポンデンス』という作品を観たんです。
https://www.filmfest-muenchen.de/en/programm/filme/film/?id=5512
それは二十世紀のポルトガルを代表するふたりの詩人 (Jorge de Sena とSophie de Mello Breyner、Jorgeは独裁政権に追われてブラジルに亡命し、二度と祖国には帰れないままで死んでしまうのですが)の間で交わされた書簡(そう、僕らと同じ往復書簡です!)と詩に映像を添えた、ドキュメンタリー的な映画だったのですが、はっと耳に残る言葉がありました。どちらの詩人の手紙だったのか判然とはしないのですが(またしても記憶の靄……)、次のような趣旨のものです。
詩は真空(Void)と交わり(Communion)という、ふたつの相反する要素を併せ持っている。宇宙の中で絶対的な孤独を夢見る心と、地上で他者との交わりを求める心。そのふたつの配分比率によって、ある詩作品の性格は決まってくる。
Void とCommunion。日本という共同体の外の、言語的な「真空」のなかで、けれどもなお日本語で詩を書くことによって他者との「交わり」を求めている僕にとって、その言葉は深く共感できます。同時にその二つの対立概念を、僕は「覚醒」と「陶酔」という言葉に置き換えたい誘惑に駆られます。僕にとって詩とは、言葉を使って自分という意識の外に出てゆくことだと思うのですが、出て行ったその先にあるものは、限りない覚醒であると同時に、ディオニソス的な祝祭の陶酔でもある。真空の深みに潜ることによって他者との交わりに到ることができるというパラドックス同様、覚醒の果てに陶酔があり、陶酔しながらなお醒め切っているという状態が、詩のひとつの理想としてあるのです。そして話を無理やり元に戻せば、歌は僕を陶酔へと導き、言葉は僕を目覚めさせる……。
森山さんのご質問への答になっているでしょうか?
詩の源にあって、詩人にとっては惹かれながらも同時に警戒すべき対象でもある歌ということを、もう少し別の社会的な方向へ辿ってゆくと、僕が最初の手紙に書いた日本社会の孕むある種の「Vulnerability」という問題とも繋がってくる気がします。そしてそれはまた森山さんからのお手紙にあった、「批評や批判」あるいは「直接的な挑発」という言葉とも響き合ってゆくようです。
「砂糖で毒薬をコーティングするかのように、爽やかさや切なさの奥に批評精神を封じ込めるような」「擬態」とは、実に魅力的な言葉です。「芸術のあり方と社会的現実を実作によって串刺しにし、それらを同時に批評し批判する」という言葉も、お察しの通り『単調にぼたぼたと、がさつで粗暴に』と『小説』を書いたばかりの僕にとっては身に染みます。そしてまた「怒れる者」、さらには「野蛮さ」ということ!
どうやら僕は思っていた以上に森山さんと近い場所にいて、同じ山を(おそらく詩と歌という対極的な場所から)見上げているのかもしれませんね。そういえば Communion には交わりのほかに「共有」という意味もあるようです。次のお手紙では、どうか「現代詩と音楽」というテーマに「社会的現実」という要素も加えて、歌の側からの眺望を伝えてください。そこにはどんな「旗」がはためいているかについても。
2017年6月29日 夏至の直後のミュンヘンより 四元康祐
PS.前回お約束したロッテルダム詩祭の土産話を少し。ポーランド系フランス人で、幼い頃祖父母が喋っていたポーランド語の響きがいまだに(意味は分からないまま)身体の奥に染み付いているというAnne Kawalaは、その記憶のなかの言語を再現して詩を書いているんです。つまりハナモゲラポーランド語ですね。その朗読の様子は、こちらからごらんになれます。
http://www.poetryinternationalweb.net/pi/pif2017/festival/event/288
イギリス人でいまはカナダに移住しているMarrianne Morrisも詩のなかで豊かな音楽性を奏でながら、陶酔の底に覚醒を、そして交わりの中心に真空を感じさせる詩人でした。彼女がレイプについて書いた一篇は特にそうです。言葉はガートルード・スタインばりに脱構築されて過剰な繰り返しや飛躍に満ちていて、文字通り「Song」という語が数え切れぬほど繰り返されるのですが、その底から氷の炎のような「怒り」が噴き出してくるのです。彼女の朗読は、こちらから。
http://www.poetryinternationalweb.net/pi/pif2017/festival/event/311
from M to Y:
ずいぶんと長いこと悩みつつ書き続けていたある器楽曲が、昨日ようやく完成しました。歌詞を伴わない楽曲はいつも書くのにとても苦労します。歌曲や合唱曲を作曲する場合、どんなにとっつきにくい難解な現代詩であろうと、詩自体が道標となってどこへ向かって書いていくべきかを教えてくれるのですが、器楽曲の場合は目的地も経路も自分で決めなければいけないので、私にはとても大変です。
この近況、少しだけ今回の手紙の内容に関係があります。四元さんからの手紙に「『言葉で十分だ。メロディーはいらない』と歌を突っぱねてみたいという欲望」とありました。手厳しいな、と思いつつも、実はその回答にある種の既視感を覚えたのです。というのも、言葉から身を引き剥がそうとする音楽、という構図を完全に反転させた議論が、音楽の分野でもなされたことがあるからです。すなわち、言葉≒歌≒声楽から身を引き剥がそうとする器楽の賛美です。この議論からスタートすることで、四元さんと同じ山を私がどこから見上げているのかを示せそうです。やってみます。
前便で四元さんに投げかけた不躾な質問を、音楽家向けに反転させてみます。音楽があれば十分なんだから、言葉なんて要らないのでは? …この質問に、「そうだ、要らない」と答えてきたのが少なくとも19世紀以降のクラシック音楽の伝統でした。このことを端的に象徴するのが、題名や歌詞などの言葉の助けを必要としない器楽=「絶対音楽」の概念とその賛美です。
しかし、近年の音楽学は、絶対音楽の「起源」にはむしろ声楽があることを明らかにしました。絶対音楽の特徴の一つであるヴィルトゥオージティ(超絶技巧)の賛美は、もともとは17世紀のソプラノ歌手たちの技巧にその端を発するのです。いわば、「起源」の忘却と隠蔽の上に絶対音楽概念は成り立っています。「起源」において「器楽の価値」と「声楽の価値」は混淆しており不可分なのです。
唐突に詩の話題に戻りますが、朔太郎の七転八倒は、この混淆を撹拌分離しいずれかを選択することへの不可能な奮闘にも思えます。全き定型詩韻文と全き自由詩のどちらかのみを選んだ瞬間、詩の根源が忘却されるのではないか、右に落ちるでも左に落ちるでもなく、その境界線上での危うい道行きを独創的なステップに変えることこそ、「起源」の忘却なき詩の営みなのではないか。とは言え、この断言は詩の議論と音楽の議論を拙速に混線させていますね。同じ山を反対側から見ている者として、まずは私自身がいかに音楽家として滑稽にもステップを踏んでいるのかを示す必要がありそうです。ということで、「現代詩と音楽」そして「社会的現実」についての四元さんの問いにも答えてみようと欲張りつつ、ここで拙作「旗」の話をしたいと思います。
前便にも書いた通り、なぜだか私は「音楽は言語である」と思っています。この立場に立てば、歌とは日常言語と音楽という2つの言語を同時に発話する営みです。そこで、「旗」においては2つの言語の内容が「ずれ」ることを利用しようと試みました。単体でも十分に成り立つ詩を音楽と結びつける時、それらを単一の何かにするのではなく、むしろそこにある複数性をむき出しのまま提示したいと思ったのです。絶対音楽をめぐる議論を踏まえてより正確に言えば、日常言語と音楽の撹拌分離可能性というフィクションを逆手にとった作品を作ろうと思った、とも言えるかもしれません。
「群れるな、孤であれ」と語りかける「旗」という詩を集団でしか演奏し得ない合唱曲として提示することは、歌い手にも聴き手にも極度の不安定さを生じさせます。言葉に聞き入れば、詩と逆行するように「集団の美」に酔わせようとする音楽のあり方自体が強烈なノイズとなりますし、和音やメロディ、音色に浸ろうとすれば、「孤」の潔さと清々しさを語る詩の内容が強烈なノイズとなります。その不安定な綱引きそのものを主題化することが「旗」の目論見でした。
この綱引きには二重の意味があります。大勢の人が一定の方向に流(さ)れていく時代状況へプロテストしたい、というのが第一の意味です。望ましくない「社会的現実」に、私は音楽の力で対抗しようとしました。音楽そのものの持つ「うっとりさせる力」が容易に全体主義を帰結してしまうことに対する危機感が、私にこのような曲を書かせたのは間違いありません。
同時に、音楽をめぐる(四元さんの言葉を借りれば)「根源的なレベル」の意味もあると私は考えています。「うっとりさせる力」は、「言葉なんてなくても音楽に感動できる」という形の「起源」の忘却の別名です。ならば「旗」は、音と言葉を反対方向に動かすことによって、「言葉を忘れるな」という教訓を歌い手と聴き手に、そして何より私自身に突きつけるものでもあると思うのです。いわば私は、「音楽そのもの」のあり方と価値をナイーブに信じてしまう人々(と私自身)に、「旗」という楽曲を通じて揺さぶりをかけようとしたのです。「旗」においては、「社会的現実」に対するプロテストと、音楽自体のありようへの考察や批判が同時に遂行されることが目指されています。前便に書いた「串刺し」とは、私にとってたとえばこういう営みのことを指すのかな、と思っています。
またしても「自分語り」になってしまいました。私はインタビューの手法を用いる社会学者なのでどちらかというと聞き上手のつもりでいたのですが、四元さんの方が一枚も二枚も上手のようです。冷や汗をかきつつ「攻守交代」とさせてください。伺いたいのは「覚醒と陶酔」についてです。
「攻守交代」と言いつつまた私自身の経験を語るのですが、私は詩人の自作朗読を聴くのが好きです。詩集は距離をおいてためつすがめつ読むことも多いのですが、自作朗読にはいつもすっかり引き込まれてしまいます。その心理状態をあらわすのにもっとも適切な言葉はまさに「陶酔」。先日お伺いしたイベントでも、蜂飼さん、藤井さん、四元さんの朗読にすっかり魅了されてしまいました。でも、お三方ともどちらかと言うと自作を「醒めた」感じでお読みになっているようにも感じるのです。ご紹介いただいたAnne KawalaとMarrianne Morrisの朗読も視聴したのですが、かなりエキサイトしつつ朗読している場合でも、やっぱり「醒めた」感じの印象を受けます。そして、覚醒が生むある種の余白に誘い込まれそこを自ら満たすような気分になってしまう、言わば「自ら感動させられにいってしまう」感覚を抱くことになるのです。これは私にとっては不思議な体験です(小説家の自作朗読ではほとんど感じないのですが、多和田葉子さんの朗読からは同じような感覚を受けた記憶があります)。真空を通って交わりに到達するという四元さんの実感は、詩の受け手の側からはこのような魔法に見えるのかもしれません。この魔法にはどんなからくりがあるのか、とても気になります。
要点をまとめてしまいます。詩作における「覚醒と陶酔」の往還とは一体どんな(魔術的な?)営みなのか。もう一つ、「詩を書く(=作る)こと」と「詩を(声に出して)読むこと」は詩人の中でどのように重なりどのようにずれるのか(あるいはこのような撹拌分離は「詠む」に復元されるべきなのか)、そこに「覚醒と陶酔」はどのような形で織り込まれるのか。四元さんのさらに踏み込んだお考えをお聞かせ願えれば幸いです。もちろん、私の暴力的な朔太郎理解を正していただくのも大歓迎です。
2017年7月10日 どう考えてももう梅雨が明けているとしか思えない酷暑の東京より 森山至貴
P.S.また肩肘の張った文章になってしまったので、箸休めに予備知識なしでどうぞ。はじめて聴いた時に心底驚き、そして「『旗』と同じだ!」と思った楽曲です。言葉と音の複数性の間隙を突く、鮮やかな批評的試みだと思うのですが、いかがでしょう?
往復書簡第1回はこちらから。
森山至貴(作曲) 四元康祐(詩)の合唱曲「旗」についてはこちらから。