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森山至貴 x 四元康祐 往復書簡「詩と音楽と社会的現実と」:第3回

from Y to M:

日本、とてつもなく暑そうですね。おまけに「五十年に一回の大雨(気象庁の表現、正確を期そうとするあまりか、だんだん文学的になってきます)」、そこへ追い討ちをかけるヒアリ!アジアの夏は過酷です。森山さんもからだに気をつけて無事に乗り切ってくださいね。

ミュンヘンも先週までは不安定な天気が続いていましたが、この週末は爽やかな快晴。市内を流れるイザール川の河畔や、英国式公園の運河で泳ぐ若者たちの姿も見えます。それでいて木陰に入ると涼しくて、朝夕はジャケットがないと肌寒いくらい。夜は十時になっても空の高みに光が残っていて、夕涼みにそぞろ歩く人々の流れや舗道に張り出したカフェの話し声が絶えません。もう休暇に入っている人も多いので、むしろ昼間の方が街は静かで、DHLの宅配便の不在通知の黄色いビラが、アパートの入口にたいていは一枚二枚差し込まれています。

この季節はまた週末ごとに広場や街路でなにかしらイベントが催されます。昨日は夕方街にでかけると、路面におびただしい紙吹雪が落ちていて、全身をレインボーカラーに彩った人たちが歩いていました。忘れてたけれど、Christopher Street Dayのパレードがあったんですね。これ、すごい熱狂とエネルギーですよ。帰りにマクシミリアン橋を渡ると、平和の女神像の足元に職人たちが照明を据えつけていたので、たぶん今日はイザール川沿いの「橋祭り」をやるんじゃないかな。あとオデオン広場で行われる「ミュンヘン在住ギリシャ人祭」とか、そこを本で埋め尽くす「屋外図書館の週末」だとか、いろんな催しが目白押しです。

きっと冬の寒さと暗さが厳しく、長いので、その分短い夏に必死で取り戻そうとしているんだと思います。こっちは春や秋があってなきようなもので、冬からいきなり夏がやってきて、突然あたりが熱と光で満たされ、感覚と官能がかき乱され、それまでずっと押さえこんでいた欲望が一気に迸ったかと思うと、不意にまた冬の暗さに包まれてゆく、という感じですからね。日本のように季節が「巡り移る」というより、闇と光の二項対立というほうが実感に近い。だからこちらの人々が夏を謳歌する姿には、寛いだ幸福感と同時に、どこか切ない、狂おしげなものを感じさせられます。

三年ほど前だったかな、ミュンヘンの最高気温が四十度を越えて、みんなが「もう今日は仕事は無理だ」みたいな感じになって、いたるところで噴水の水は浴びるは、男も女も半裸でぼたぼた滴を垂らしながら市電に乗り込んでくるは、昼間から宮殿の回廊で飲んだくれるはで、日常の秩序が棚上げされて、街全体が解放区のようになったことがありました。例によって英国式公園の運河にも若者たちは我先に飛び込んでいましたが、その急流にあっという間に運び去られてゆく彼らの顔は、官能的な歓びに輝きながらどこか哀しく、儚く、切なくて、僕には若い男がどれもディオニソスの酒神に、そして娘たちの姿が水面のオフィーリアに見えたものです。

長く暗い冬と短くて眩しい夏。その軸を伸ばしてゆくと、沈潜と飛翔だとか、精神と肉体だとか、理性と感覚だとか、あるいは死と生だとかいろんな対立項がありそうだけれど、前回の手紙のやり取りで出てきた「真空と交わり」や「覚醒と陶酔」もそのひとつの気がします。詩に限らず、すべての芸術において、創作者が他者と交わり、特権的な世界を共有するためには、深い孤独のなかで自分自身の深層へと降りてゆくことが必要なのではないか。上から橋を架けるのではなく、地底のトンネルを掘り進むこと。そうすることによってのみ、自我を越えた普遍、神話的な原型へと辿りつくことができる……。

リルケは『若き詩人への手紙』(あ、またしても書簡!)のなかで、こう書いています。

およそ芸術家であることは、計量したり数えたりしないということです。その樹液の流れを無理に追い立てることなく、春の嵐の中に悠々と立って、そのあとの夏がくるかどうかなどという危惧をいだくことのない樹木のように成熟すること。結局夏はくるのです。だが夏は、永遠が何の憂えもなく、静かにひろびろと眼前に横たわっているかのように待つ辛抱強い者にのみくるのです。私はこれを日ごとに学んでいます (高安国世訳 新潮文庫)

長い孤独な沈黙の土壌のなから言葉が芽吹き、ある日一斉に葉を茂らせて世界そのものとなるという詩人像。第一次大戦のあとの激動の世界に背を向けて、ドゥイノの塔やミュゾットの館に閉じこもって詩を書き続けたリルケらしい言葉ですが、その在り方は生前ほとんど作品を公開することのなかったエミリー・ディキンソン(日本で彼女の伝記映画をやってるんですって?)や、都を追放された菅原道真や紀貫之にも通じるのではないでしょうか。この春亡くなった大岡信さんの「孤心と宴」も同じ思想ですね。孤のなかで個を突き詰めた者こそが、共同作業のなかで輝くことができる。逆に言えば他者との交わりを通して、そのひとのもっとも本質的な特徴が(強さであれ弱さであれ)露に暴き出されるという恐ろしさ。

「覚醒と陶酔」という切り口に関しては、ウルグアイ生まれのフランス語詩人シュペルヴィエルの言葉が思い出されます(と引用しようとして、本棚から古い雑誌を引っ張り出してびっくり。この文章の翻訳、なんと大岡さんではないですか!)。

どんな詩的創造にも錯乱の一面はある。しかしこの錯乱は、上澄みをとり、無用または有害な残りかすを捨てさったものでなければならぬ。しかもこの微妙な操作に必要な一切の用心深さをもってしなければならぬ。ぼくの場合、自分の本質的な秘密に近づき、深部のポエジーの上澄みをすくいとることができるのは、もっぱらこの単純さ、透明さのおかげである。超自然的なものが自然的なものになり、おのずと溢れ出る(あるいはそんな風に感じられる)ようにすること。言葉でいいつくせないものが、そのさまざまな驚くべき根をそっくり保ちながら、親しみぶかいものになるようにすること。
  詩人は二つのペダルを自在に使う。明るい方のペダルは詩人を透明さにまで到達させ、暗い方は不透明さにまで行く。(「詩法について考えながら」大岡信訳 ユリイカ1979年6月臨時増刊『世界の詩論』より)

このあたり、僕には腑に落ちるというか、肌で分かるのですが、作曲家としてはどうですか?音楽が相手だと、また違った面があるのかもしれませんね。

いずれにせよ森山さんのご質問「詩作における『覚醒と陶酔』の往還とは一体どんな(魔術的な?)営みなのか」にお答えしようとすると、こんな言葉が思い浮かぶのです。そして二つ目のご質問「『詩を書く(=作る)こと』と『詩を(声に出して)読むこと』は詩人の中でどのように重なりどのようにずれるのか」に対しては、とりあえずこうお答えしたいと思います。

すなわち、詩人が自作を朗読するとき、彼はその一篇を生み出す背景となったすべての歳月と、その一篇が実際に作られた過程における「覚醒と陶酔」の往還、シュペルヴィエルの言う「ふたつのペダル」の使い分けを、再現してみせるのだと。詩人の自作朗読はプロの朗読家のようなニュートラルに「上手な」ものであって欲しくないし、同時にパフォーマンスとして型にはまったものの繰り返しであって欲しくもない。むしろその場一回限りの、詩の誕生の現場の再生であって欲しい。

と、ここまで書いたところで、窓から透明な夏の光が差し込んできて、その向うでは木々の葉が誘うように揺れて、思わず気もそぞろになってきました。朝から続けてきた孤独な宴を、ここでいったんお休みにしましょう。僕もまた光の麻薬に誘われた螻蛄(けら・大岡さんの詩句をお借りしました)のように、生の水渡りに出かけてきます。往復書簡はメールと違って急ぐ必要はないのですからね。リルケさんの言うとおり、悠々と落ち着いてゆきましょう。(7月16日午前10:59)

さて、あらためて。

合唱曲「旗」をめぐる言葉と音楽の攪拌分離、声と楽器による(二重の)綱引きの話、とても面白く拝読しました。「そこにある複数性をむき出しのまま提示」する企み、そして「言葉に聞き入れば、詩と逆行するように『集団の美』に酔わせようとする音楽のあり方自体が強烈なノイズ」となるという戦略は、僕のもとの詩、ひいては『現代ニッポン詩日記』というあの詩集自体に通じるところがあります。もともとあれは新聞に連載したもので、どれも詩の前に散文がついているのですが、その散文というのはいかにも新聞のコラムにありそうな時事的で「良識的」な小文です。僕の企みは、ふだん詩を読み慣れていないひとでも、軽いコラムだと思って読んでいるうちに、気がつけば詩のなかにさまよいこんでいるというものでした。つまり小文は読者を詩へとおびき寄せるための囮であり罠なんです。だから掲載時の紙面では、詩の文字数も、地の文と同じ一行12文字で揃えて、一見そのふたつの区別がつきにくくしています。

小文と詩とは、同じ「集団性と弧」という主題(これもまた真空と交わり、覚醒と熱狂という僕らの話題につながりますね)を取り扱いながらも、微妙に次元が違います。小文の方は社会的な事象を客観的に論評しているのに対して、詩は個人的な思索や祈りになっている。このあたりは森山さんが合唱曲「旗」で示した二重性とは逆になっていますね。合唱曲では、音楽が陶酔へと誘うのに対抗して言葉が覚醒を促す。これに対して僕の作品では、覚めた口調の散文に導かれて詩=うたの調べへと入ってゆく。あの詩はたしかに内容的には「群れるな、弧であれ」と語りかけるものですが、語り口はむしろ音楽的で、どこか陶然したところを秘めていますからね。

その点では、詩と音楽の攪拌分離によって「極度の不安定さを生じさせ」、「音楽のあり方自体が強烈なノイズ」となるという効果を狙うにしては、あの詩はちょっと弱いんじゃないか、音楽の側に寄りすぎているんじゃないか、という気もします。むしろ「笑うバグ」みたいな、詩そのものに散文性や一種のグロテスクさを孕んでいる作品のほうが、音楽との対比が際立つのではないでしょうか?でもすでにそれを実行した森山さんとしては、あえて微妙な濃淡の違いを重ね合わせるような方向へ実験を進めたのかもしれませんね。

ところで僕が『現代ニッポン詩日記』で試みた散文と詩の組み合わせとは、いうまでもなく芭蕉の『奥の細道』をはるかに遡って、中世の『伊勢物語』や『土佐日記』などの、いわゆる「歌物語」の伝統に根ざすものです。本来は静的で絵画的な日本の短詩に、流れと時間、ストーリー性とナラティブを与える仕掛けですね。その意味では「連歌」にも同じような効果があると思います。僕はこういう散文と詩の組み合わせに興味があって、自分なりに実験を繰り返しているんです。そしてその興味の根っこを探ると、自分が書いている「口語自由詩」の出自へと行き当たります。すなわち「口語自由詩」が、書き言葉である文語=文字から解放された話し言葉=声に支えられていると同時に、定型の五・七のリズムという原初的な音楽性を失ってしまったという皮肉な出発点。つまりは(朔太郎の言うとおり)、僕らの「詩」は限りなく散文に近いという事実。にもかかわらず、ある種の「詩」はたとえどんなに散文で書いたとしてもやっぱり「詩」でしかないという不思議……。少なくとも僕にとって、詩とは常にそのような矛盾に満ちた、詩とはなにかという自問を孕んだものだし、だからこそそれは「現代詩」と呼ばれうるのではないか、とも思うのです。

ここでようやく「声」という言葉が出てきました。これに辿りつくのを待っていたんです。前便で森山さんが書かれていた歌と楽曲との対比は、詩の場合だと声と文字の対比に相当するし、詩人の朗読も、文字で書いた詩に声を与える(戻す?)という作業ですからね。実際、自作を朗読していると、文字のなかに閉じ込められていた声をテキストから解放して、はじめて耳にするような感覚を味わうことがあります。その声は自分の声だから、当然文字で書いたときからだの奥のほうで聞こえていた声に限りなく近いのだけれど、でもどこか違う。ちょうど生まれてはじめて自分の声の録音テープを聴いたときのような、気恥ずかしい違和感があるんです。

もっともこれは典型的な現代詩人の場合で、昔の吟遊詩人だとか、現代でも石原吉郎のように第一稿は文字を使わず頭の中だけで(それもずっと歩きながら)書いてしまうという詩人にはあてはまらないかもしれませんが。ちなみに英語だと我々のような詩人をSpoken language poetに対してWritten language poetなどと称することがあります。

それにしても声って野蛮ですね。生臭い息をまとっているし、血みどろの肉のなかから湧いてきて、突き詰めれば獣の叫び声に通じている。なのに音楽に乗って歌い上げれば、時には天使のような、人間離れした美しい響きも放つ。叫び―声―歌―言葉―文字/楽譜/楽器という、獣性から聖性までの両極を、私たちは歌うことで、また書くことで、いったり来たりしているのかもしれません。

ずいぶん長くなってしまいました。あの日曜日の快晴が二日続いて、僕も螻蛄の水渡りを満喫しましたが、昨夜は激しい雨、今朝は灰色の雲に覆われています。

2017年7月19日 ミュンヘンより


from M to Y:

暑くて雨の降らない梅雨が今さらのように明けた、と思っていたらみごとな戻り梅雨がやってきて、涼しくて雨のよく降る日々が続いています。今晩あたりは半袖で外出すると少し肌寒いかもしれません。

熱気と寒々しさの急な入れ替わりは、ちょうどこの時期の私の職場の雰囲気にも似ています。7月末は期末試験やらレポートの提出やらでキャンパスは学生で溢れかえります。それらがすべて終わると蜘蛛の子を散らしたように学生はキャンパスからいなくなり、その後は教師たちが研究室に籠もってひたすら採点をする、不気味な静けさがキャンパスを支配することになるのです。

私は、忙しいながらもこの時期が好きでした。というよりは、期末試験の際に学生たちが答案用紙に向かう、その真剣で凛々しい顔を見るのが好きでした。過去形で書いた、つまり今はそれほど好きではないのには理由があります。まず、学生たちが真剣に解答しなければいけないのは私が単位認定の権限を握っているからであり、真剣さを強いる「権力」の匂いから自分を引き離したいと思ったからです。しかしそれよりもさらに重要なのは、真剣に解答に没頭している学生の答案のできが必ずしもよくはない、ということ気づいてしまったからです。強い表現を使えば、私は急場しのぎの没頭に騙されていただけだったのです。たしかに、注意深く観察すると、事前によく勉強している優秀な学生は、真剣に解答はしているのですが切羽詰まって没頭という感じはなく、余裕が見られます(もっとも、最初から単位を取ることを諦めている学生も余裕があるように見えるのですが)。

こじつけかもしれませんが、私にとってこの経験則は「覚醒と陶酔」をめぐる話ととても近しく思えます。「真剣で凛々しい」没頭(=陶酔?)の形は、肝心の結果を保証してはくれない。むしろ、没頭しなければならない時にいかに覚醒してもいられるかが重要なのだ、という教訓がそこにあるように思えるのです。

四元さんからの手紙では、詩人の朗読は「覚醒と陶酔」「ふたつのペダルの使い分け」の再現だ、とありました。作曲家の場合はどうなのかという四元さんからの問いに、しかし私は作曲家としてではなく演奏者としてまず答えてみます。

作曲家になるよりだいぶ前から、私はいろいろな合唱団で歌ったりピアノを弾いたりしてきたのですが、その際多くの指揮者に「演奏者が陶酔するだけでは聴衆を感動させられない、頭の片隅に冷静な自分がいないと」と異口同音に指導されてきました。聴衆を無視した独りよがりの暑苦しい演奏は、もっとも避けるべきものだからです。だから私には、「ふたつのペダルの使い分け」はまず演奏者として腑に落ちるものです。自作朗読と音楽演奏は、それゆえかなり重なる部分が多いと思います。

では、詩の作成と対応している作曲作業の時はどうかと問われれば、私には「ふたつのペダルを使い分け」ている意識がほとんどありません。多分私は、覚醒のペダルを踏み続けるタイプなのだと思います。理詰めで作曲している、とまでは言えませんが、論文を書くときのように「事務的に」曲を書いている自覚はあります。思いついて吟味して取捨選択するというプロセスに陶酔は必要ないのです。リルケの言葉をそのまま使えば、私は「軽量したり数えたり」しながら作曲しているのかもしれません。

ただ、できあがった曲を世に出してよいか自分で判断するために、いつも確かめていることがひとつあります。曲を通してピアノで爪弾いたり歌ったりしてみて、どこか一箇所でも自分で涙ぐむポイントがあるか、です(これは作品が「現代音楽」的であったとしても変わりません)。一箇所でも涙ぐんだら合格。破綻なく書けても、全曲通してピアノでさらってどこにも感極まらなかったら、何かが間違っていると考えて必ず大きく手を入れることにしています。陶酔の訪れがなければ、やはり作品としては不十分、と考えている節が、たしかに私にもあるのです。

その意味で「ふたつのペダル」は、私にとっては意図的に「使い分け」るというよりは、上手くいっている時に後から使い分けられていると感じるものかもしれません。自転車だって、右と左のペダルの踏み方を学んでから実地訓練、というよりも、走れてしまった時のペダルの踏み方をふりかえって「うまい踏み方」として学習していくものかもしれませんしね。そういえば、片方のペダルだけを何度か繰り返し踏み、勢いがついたらサドルにまたがって反対のペダルを踏んで進みはじめる自転車の乗り方もありました(「ちょんちょん乗り」「つんつん乗り」と言うそうです)。私が作曲する時も、覚醒ペダルを先に踏む「ちょんちょん乗り」をしているのかもしれません。

翻って四元さんにお伺いしたいのは、詩を書く時の「ふたつのペダルの使い分け」は、意図的なものなのか、それとも自転車に乗れる人にとってそうであるように、全く無意識のものなのか、ということです。私はいまだに、自転車に最近乗れるようになった人のようにペダルの踏み方を毎回ぎこちなく探っています。

私たちはたしかに意図的に自転車に乗るのですが、しかしその時意図的にペダルを踏んでいるかというと、そうでない場合も多いようです。四元さんにとって詩作とは、どのような意味で意図的で、どのような意味で無意識的なものなのか、ぜひ伺いたいです。もう少し大掛かりな話にしてしまえば、「自我を越えた普遍、神話的な原型」にそもそも自分の意志でたどり着くことができるのか、という問題になるかもしれませんね。

合唱曲「旗」を「詩と音楽の撹拌分離」の企みとして作ったことに対して、四元さんは「あの詩はちょっと弱いんじゃないか、音楽の側に寄りすぎているんじゃないか」とお書きになりました。「旗」という詩が「音楽の側に寄りすぎて」いる、大胆に言いかえてしまえば「歌い手が好きそうな、歌心を感じる」詩であることを私がずる賢くも利用したのはたしかです。私の好きな言葉を再び使えば、これは擬態なのです。

ただし、擬態でありつつも歌い手に毒がきちんと効くように、音楽的な仕掛けを施しています。実はこの曲、2つのパートで長7度という音程を形成する箇所がかなり多いのです。長7度は1オクターブより半音短い、とても不安定な音程です。発声器官には鍵盤もフレットもないので、2つの音でこの音程を形成しようとすると、かなりの確率でピッチを勝手にずらして1オクターブに「落ち着こう」としてしまいます。したがって、「旗」を聞き手にとって心地よいものとして歌うために、歌い手は「他者(他パート)との居心地の悪い距離を維持する」必要があるのです。ここに「集団と孤」の対立と相克があると言ってもいいかもしれません。もちろん、何もかもを一貫した計算のうちに作曲したとは言えないのですが、とりあえずいろいろなレベルに対立や矛盾を潜ませてみようとした、その結果が合唱曲「旗」である、とは言えると思います。

そして、このいろいろなレベルの対立や矛盾をつなぎとめ、引き裂き、隠蔽し、あらわにするのが「声」というわけなのですね…ということで、私も前便で四元さんが辿り着いた同じ場所になんとか到達しました。しかし、そこで四元さんが問おうとしていることと、私が問おうとしていることが異なるように感じるのです。もっとはっきり言ってしまえば、私がここ何年も解くことができずに悩んでいる問いを、四元さんはあっさりとクリアしているように見えるのです。四元さんの手紙に導かれて考えを巡らせてみます。

四元さんは、「口語自由詩」に端的にあらわれるような散文と詩の皮肉に満ちた関係を、「現代詩」の問うべき問いとしてとりあげ、さまざまに実験しているとおっしゃいます。このことをそのままパラレルに移植するならば、「現代音楽」は言葉と音楽の皮肉に満ちた関係を問わなければならないはずです。しかし現実には、言葉と音楽はぎょっとするほど明確に分離している。もっと率直に言ってしまいます。「散文を書いても詩になってしまう」なんて、なんて羨ましいことだろう。私が言葉を書いても、ちっとも音楽になんかならないのです(この手紙のどこに音楽があると言うのでしょう!)。

アプローチを逆にした方がよいのかもしれません。「散文詩」はあるけど「詩散文」はないのだから、言葉を音楽にしようとするのではなく、音楽の側から言葉にたどり着けるのかもしれません。しかし、これもやってみると無理でした。例えば音楽の中に「朗読」を取り入れると、そこだけが自律した言葉としての「力」を持ってしまい、音楽から離れてしまう。私の感覚ではヒップホップにおけるラップが私の求める「言葉と音楽」の融解のあり方に一番近いのですが、これは楽譜として定着させる形で作曲するのがとてもむずかしいのです。音高を指定しない音符に言葉を当てはめた瞬間に「リズムを持った生きた言葉」ではなく「音楽のできそこない」になってしまう。

「口語自由詩」というものがあり、詩と音楽が韻文を結節点にゆるやかに連鎖しているのなら、「口語自由音楽」があってもよいような気がするのに、実際にはそうもいかないのです。私はときおり、「音楽を脱ぎ捨てたい。言葉だけで音楽をやりたい」という思いにとらわれます。もし、私が自分で言葉を紡げば、それがそのまま音楽となったりするのでしょうか。しかし、詩人でもシンガーソングライターでもない私にとって、音楽であろうとする言葉を紡ぎ出すことには、自らの裸体を晒すような恥ずかしさがあります。もしかしたら、言葉と音楽の融解を希求する私が、誰よりも言葉を「私の領分ではない」と遠ざけているのかもしれません。これが作曲家の業なのでしょうか。

とりとめのない蛇行の末に、四元さんにお伺いしたいもう一つの問いが浮かび上がってきました。詩人にとって、自らが詩人であるがゆえに恥ずかしい行為とはなんでしょうか?たとえば小説を書くことなどがそうだったりするのでしょうか。しかし、『偽詩人の世にも奇妙な栄光』という小説をお書きになり、『小説』という詩集を刊行された四元さんにとって、「小説」は恥ずかしい表現形態ではない気もします。四元さんにとって何が恥ずかしいのか、その答えが四元さんの詩人としての根幹を明らかにするという予感が、私にはあります。ぜひ、回答をお聞かせいただけますか。

2017年8月2日 14階にある研究室から、雨の池袋を見やりながら


「旗」の音源はこちらから:
https://youtu.be/77_wL-zvNTk

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