見出し画像

その人が見えなくなるまで見送る私

今日私の住まいに女性のお客さんが一人訪ねてくれました。
夕刻になり食事をしようということになり、そして食事のあと私たち二人は駅の改札を通り、そしてそれぞれ別々のホームへ向かうところで、「さようなら」です。

私は彼女が階段を下りて駅のホームにたどり着くまでずーっと見送っていました。

ホームに降りた彼女は私の方を振り向くことなく、待っていた電車に乗り込み、そして彼女の姿は見えなくなりました。

その後私は隣のホームの階段を降り、そして向かいのホームにとまっている電車の中に座っている彼女の姿を見つけました。

彼女も私に気づき、線路に挟まれたホームでお互い手を振り、間もなく彼女の電車は出発。

ホームに降りる時彼女は階段の上で「バイバイ」をしたあと、電車に乗り込むまで私の方を振り返ることはなかったので、少しさびしさを覚えましたが、最後にはお互い手を振って別れることができて、救われた気持ちがしました。


私はプライベートで誰かと会って、そして別れ際に見送る時、相手が振り向くことがなくても、姿が見えなくなるまで見送る側だったような気がします。

どうしても、さよならをしたあとにそのまま相手に後姿を向けることができない。

相手に悪いとか、気分を害してしまうのではないか?という気持ちよりも、
何か最後まで見届けないと自分の気持ちが落ち着かないのかもしれませんし、あるいは、最後まで見送られていると相手が気づいた時何か温かさや、やさしさを感じ取ってくれるのではないか?と思うからかもしれません。

もし、自分が見送られて、相手から自分が見えなくなるであろう最後の瞬間に振り返って、例えば改札の向こうに相手の姿がなかったら、がっかりするような気もします。


私が見送られるって、考えてみるとあまりないような気もするのですが、それでも、車で私が相手に背を向ける時など、バックミラーで相手がこちらを見ていることが分かれば、運転席のウィンドウを開け、そしてできる限り手を振ったりしていたと思います。


自分以外の人が別れ際にどんな風にお互い見送っているか今まで無頓着でしたが、今度ちょっと気に留めてみてみようと思います。

「私みたいなタイプはそういない」と思うかもしれませんし、

「なんだ最後まで見送る人って私だけじゃんないんだ」という発見があるかもしれません。


他の人たちが、どんな風に別れ際にお互いを見送っているかが分かったとしても、私の今までのスタイルは変わらないと思います。

相手が見えなくなる最後の最後の瞬間まで見送るという、スタイルは。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?