良い小説

「良い小説」と思う基準はいくつかあって、少なくとも、

・今とは違う時代の空気感が、読んでいて手に取るようにわかる

・世界を変えた

小説は、本当に良い小説だなあと感動してしまう。

今とは違う時代の空気感が読んでいて手に取るようにわかる小説とは、石原慎太郎「太陽の季節」、坂口安吾「白痴」なのですが、二人とも、文壇ではどちらかと言うとイロモノ扱いでウケる。「私は好きだから納得いかない」とかではなく、ウケる。石原慎太郎先生などは一生地下室で、或いは湘南のだだっ広いお屋敷で一人で高度経済成長期のお坊ちゃまのメチャクチャな短編小説のみ書いていて欲しい(主観願望)し、安吾は死んでもなお「文豪」とは認められないアングラで、そのままでいて欲しいのだ。アングラがリアルを語るのが上手い、というのはよく考えれば当たり前のことだけれども、いや地上の人間、もっとリアルを語れよ、何してんだよ馬鹿か、という気持ちである。小林多喜二「蟹工船」もそれっぽいと思われがちだが、プロ文は「リアリティ」という点においては懐疑的な部分がある。わかりやすい、そしてリアリティの無さこそが価値だと思っているからだ。その点「太陽の季節」などは本当にメチャクチャで、意味がわかる人物、出来事が一つも登場しなくて、当時を知らない私にとって、これ以上のリアルがあるか?と読むたびに思う。

世界を変えた小説とは、まあたくさんあるでしょと思いきや、意外と無いのであるが、村田沙耶香「コンビニ人間」は確実だ。村田沙耶香先生は「コンビニ人間」だけでも間違いなく日本を変えた、世界を変えた偉人だ。100年後には一葉同様お札になるだろう。(100年後お札があるか知りませんが)「正常と異常の境界線」という課題に、気付いてもいなかった、もしくは薄々あるかもしれないけど向き合いたくないな〜と思っていた我々に、まずその課題が「ある」ということを突きつけ、更にはそれに立ち向かうヒントまでくれた。小説によって、読んだ人間を正常と異常に二分し、自分を「正常」側と判断して読み進めているとその自己認識が誤りだということに気付かされ、自分を「異常」側だとして読み進めているとこれも又、その自己認識が誤りだということに気付かされ、「えっ、じゃあ自分も、周りの人物も皆、平気な顔して正常では無く、また異常でも無い…?じゃあ、一体、何…?人間って、何…?」という気分になり、どちらにしても心も体も大号泣、これを読み終わり顔を上げた瞬間から世界を見る目が大急変、という、とんでもない小説なのだ。村田沙耶香先生は1番の正常であり、異常であり、人間であり、機械であるという…このことを優しく教えてくれた、この功績、世界を変えた偉人以外の何者ですか?昨日までの世界を変えてしまった、その点はエジソンと同じではないですか…

他にも「良い小説」の定義があればお待ちしています。私も考え続けます。

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