種村有菜論
幼稚園生の頃から種村有菜先生の作品が大大大好きだ。
キラキラ、変身、リボンにレースの少女趣味。その根底にあるダークネス。私だけの王子様との刺激的な恋愛。こういうものを描く天才である。中高生の恋愛に憧れるりぼん読者の心を掴んで離さない作家だった。種村有菜先生の特に大好きな作品について書いていこうと思う。
①神風怪盗ジャンヌ
言わずと知れた初期ありなっちの大人気作品。主人公まろんは普通の高校生だが夜になると巷を騒がす怪盗ジャンヌに変身する。そこに突然現れた謎の怪盗、シンドバッド。そしてまろんの隣の部屋に転校してきた稚空の登場で物語の幕が上がる。という変身モノなのだが、幼ながらに他の変身モノとは違う、というはっきりとした意識を持っていた。変身要素以外のストーリーの要素が濃いからだ。主人公のまろんは常に寂しさを抱え、それを覆うように怪盗をやって学校では気丈に振る舞っている。稚空の、えっちで軽いかと思いきやどんどんまろんに夢中になっていく姿も少女漫画の相手役として100点に近い。「きゅんきゅん」は稚空で覚えた。もう一度言う。「きゅんきゅん」は稚空で覚えた。そして終盤のセカイを賭けた戦い。その前夜の処女喪失。やはり、種村作品の凄いところは、「親の不在」「仲間の裏切り」「生死」「暴漢」等少女には有り余る大変な「現実」を叩きつけ、ここは「現実」なのだと思わせておいてファンタジックな世界の命運を少女に賭け、最後まで少女に一人で戦わせるという点だ。そしてそれを「りぼん」でやるところだ。あくまで相手役の男は少女が強くなるために処女を捧げるサポートメンバーなのだ。だから主人公よりも相手の男の方が主人公のことを愛してなくてはならない。キラキラとしたファンタジーの世界に誘われながらも、少女だった我々は、「現実」とはこういう辛い闇の世界で、戦う時はいつも一人でなくてはならなくて、それでもパートナーとの愛があれば乗り越えられる、かもしれないことを学んだのだ。
②時空異邦人KYOKO
これは私が種村作品・世界観部門で1番好きな作品だ。「ジャンヌ」の次作である。30世紀、地球国の第一王女である主人公響古がボディーガードの氷月と逆滝と共に妹・憂を目覚めさせるため12人の異邦人(ストレンジャー)を探すという話。やはり能力者探す系の物語は得てしてワクワクする。響古の、「普通の女の子として暮らしたい」欲や、自分が何者かもわからないという不安が彼女を不安定たらしめるが、仲間の為の自己犠牲精神、人間としての強さ、姫としての気高さが物語を引き立てる。最初読んだ小学生の時、この作品が作者自身の意志で打ち切りとなったことが残念でならなかった。もっと他の異邦人の話も見たかった。(だから、最終巻の4コマを死ぬほど読み込んだ)しかし、ありなっち自身が、単行本のコメントで語ってくれていた。想像することしか出来ないけれど、種村先生自身が中学生の頃からあたためてあったこの作品を、迷い、悩み、13話で終わらせた。王様の涙のシーンにいつも心打たれるのだが、大人だって迷い悩んでいる、という、小学生女子には想像もつかないことをこの作品が教えてくれたのだ。あと、扉絵が凄すぎて圧倒される。小学生の頃響古の扉絵だけで何度も目で線を辿った。真白な紙にこれだけの線を重ね作り込まれた美しい絵を完成させられることに感動した。「すごい」としか言えなかった。
③紳士同盟†
種村作品の中でシンプルにどれが1番好きかと言うことを聞かれれば、「紳†」と答える。私が丁度自分のお小遣いで漫画を購入出来る年齢になり、当時連載していたのが「紳†」で、初めて自分で新刊が出る度に本屋に行って全巻揃えた漫画だった。感慨深い。生徒が金・銀・銅にランク付けされる帝国学園に通う主人公の灰音(銅)が恋心を抱いているこの学園でたった一人の金ランクの生徒であり生徒会長・閑雅様に接触し、生徒会に入ることから物語は始まるという学園生徒会モノである。思い入れも深ければ、ストーリー展開の速さ、キャラの魅力、どれを取ってもピカイチなのである。しかもこれは、種村連載作品の中で初の、そして今のところ唯一のノンファンタジー作品なのだ。これがどれ程革命的かということは今までの流れからしてもわかるだろう。勿論恋愛描写も最高。6巻で高成様があまりの灰音の可愛さに椅子から落ち赤面で一人「……好きだ」と呟くシーン、プールでのキスシーン、7巻での高成様の「今夜俺の ものにするから」のシーン、結ばれた真栗とまおらの合宿先でのイチャイチャ、ちゃらんぽらんでエロティックな千里先生がキスをさせない潮に萌えるシーン、数えきれないきゅんきゅんポイントがある。そしてコミカルな描写とは裏腹に、灰音の、養女として5千万で売られたという過去、その経緯として親同士の恋模様の縺れ、同性愛・両性愛(男も女もどちらも描く)、不妊症、高成が影武者であり代わり身として生きているという事実、誰にも愛されず育ち保健室で何人もの男と逢瀬を繰り返す潮、同じ影武者として生きた恋人・抄花を失った千里先生等、どれも「りぼん」にしてはヘヴィー過ぎる。この衝撃的な要素の数々は、少女達をドキドキさせた。「りぼん」にしてはヘヴィー過ぎるというのは、超褒め言葉である。ファンタジーを通して「現実」の辛さを描いてきた種村有菜が、高校生の生徒会の様子を描くことで「現実」を描いたというエポックメイキングな作品だ。これは恐らく先生にとっても少女たちにとっても「挑戦」だった。
他にも「フルムーン」も超大作「桜姫華伝」も「ミスフォ」も全巻家にあるし大好きなのだが、長くなるのでまたの機会に。
どんなに明るく可愛く綺麗に見える人でも実は醜く暗い部分があって、それはどうしようもなく抗えない事実で、女の子に生まれ、これから大人になる少女たちにそのことを突きつけ、皆そうだからあなたたちも醜さを抱えてても良いのだ、むしろそれこそが女の子の強さなのだ、それを知って生きるのだと、種村先生は少女たちに語りかける。おまけに同性愛も描いてくれるので、思春期に差し掛かる前に「友達のことを好きになることだって異常じゃない、異性を好きになるように、当然で自然のことなのだ」と流布してくれることの貴重さ、偉大さ。また大きな特徴として、種村作品の主人公の少女たちは皆強い。兎に角強く自立している。パートナーに甘えたくなる場面でも自らを律し自ら選択し、強い目で未来を見ている。そういうところが気持ち良いし、我々の永遠の勇気と希望と愛のヒロインでいてくれる所以なのだ。