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君と見たはずの公園の星は見えなかった第16話「もしも桜谷がいなかったら…」



夏の日差しが容赦なく降り注ぐ中、堀田は家を出て近所の空手教室に向かって歩いていた。

夏休み一週間前の休日の日曜日
近所の子供がきゃっきゃと水鉄砲して遊んでいる。

青い空には雲ひとつなく、まるで広がるキャンバスに鮮やかな青をそのまま塗り込んだようだった。

白いTシャツの背中には汗がじわりと滲み、額に溜まった汗を手の甲で拭いながら、堀田は少し眉をしかめる。

「あっつ…。」

本当に暑い。倒れそうだ。
彼はこの暑さを和らげようとそう楽しい出来事を思い浮かべた。

楽しいこと…
今、君野がここにいてくれたらなぁ。
と思っていた矢先だった

「あれ!?君野!?」

堀田は驚いた。目の前から君野が歩いてきたのだ。
あの例の雨の日を思い出させるように
堀田は彼の元へ走った。

「君野!おい!おーい!」

と、遠目を見ている彼の肩を揺する。

「…あれ?ここどこ?」

と、キョロキョロと辺りを見渡す。

そう言う君野の服装はかなりラフだ。
前の雨の日のような半袖短パンにサンダル。

また記憶がないようで当たり前のように
所持金もなく、連絡手段もない。

また幼児退行になって取り憑かれたように
ここまで来たのだろうか…

それを示すように、フラフラと暑さにやられている様子。
堀田はそれに彼の熱のこもったほおをつねる。

「なんでつねるの?」

「ここにほおがあったから。…とりあえず、俺空手休むわ。」

「空手やってたの?だから運動神経いいんだね!」

「言ってなかったなそういや。カフェで休もう。お前顔が真っ赤だし。」

「僕今、と言うかしばらく絶望的にお金ない…。」

「知ってる。」

喫茶店に入った堀田はそのままスマホで君野の母親に電話する。

向かいの君野は呑気に堀田の懐で頼んだクリームソーダーを食べ
暑さで死にそうな顔をあっという間に元気にさせた。

どうやら今日君野の母親は祝日でパートが忙しいという。

抜けるチャンスを伺うと答えので
俺はこいつと遊んだ後責任持って家まで帰しますと約束した
母親は泣きそうな声で喜んでいた。

本当、大変だ…。

「それなんだ?」

堀田は君野が持っていたビニール袋に目を止める。

「なんだろう。お惣菜みたい。」

「盗んできたのか…??」

「違う…と思う!僕、近所でなんか名物になってるんだ。気がついたら商店街のコロッケやお惣菜やお団子やお菓子の袋を握ってる時あるんだ。幼児退行の時すごく愛嬌ふりまいてるみたい。」

「そ、そうか…。」

テレビでやっていた、どっかの田舎でこう言う風に勝手に散歩して近所中から愛されてる犬を思い出した。

「一時間も歩いてコロッケ片手にここまで来たのかよ…。俺が見つけなかったらと思うとゾッとするな。」

と、言いながら自身の母親にメールで連絡し、どうにか送ってやれないかと打診。

ああ、また例の男の子ね!と
君野を帰り、車で送ってくれることになった。

しかし母は今出先で、帰ってきふたらとのことだった。
夕方に帰ってくるらしく、堀田は君野の足の痛みとそのラフすぎる格好もあって、家の中に招待することにした。

「田舎もんみたいだからそんな上ばっか見るなよ。」

堀田はそう苦笑いする。

君野はそう言われつつ2回目ながら10階はある堀田の住むマンションを見上げていた。

ホテルのロビーのような
白と黒の配色が君野に顔に少し緊張感を生む。

堀田の住まいは8階にある。

「わ!エレベーター2個ついてる!」

「一回来ただろ。そんなに珍しいか?」

「まだ2回目だもん。住むマンションにエレベーター2個ついてるなんて、リッチだね!」

「リッチか?一戸建ての方がリッチじゃないか?」

そう雑談しながら2人は8階に到着し、
堀田が家の鍵を開けた。

ガチャ

そして堀田の部屋へ。

「あーこのニオイ!堀田くんの家だ!」

「また来るなんてな。」

「緊張しちゃうなあ…。僕こんな格好でごめんね。」

「いや、俺の部屋だし。すっぽんぽんじゃなきゃ好きにくつろげばいい。」

そう言って君野を目の前のシンプルだがおしゃれな椅子に座らせる。
君野は360度見渡し、泊まったことのないホテルにでもいるように内装を口をぽけーと開けたまま夢中になる。

「あ。」

彼の本棚には幼児退行の本、マインドコントロール、記憶喪失などと書かれた書籍が並んでいる。

「ああ、これな。今じっくり読んでるんだ。難しいけど。」

「お医者さんみたい。」

「将来、医者でもいいな。こういう病気とか治せたらかっこいいよな。」

と、堀田は分厚い書籍を軽く手にとって君野に表紙だけ見せてまた本棚に閉まった。

「お医者さんになったら僕絶対に行く!ねえ、コロッケ食べる?これ、商店街にいくとほとんどもらうから、家族で食べて。」

「あ、いいのか?ありがとな。」

と、堀田は冷たいコロッケを受け取った。
彼は顎を触りながら次の会話を考える。
来てくれたのはいいが、何をするかだ。
この部屋にはゲームもテレビもない。
スマホゲームもしない堀田は考え始める。

「あ。」

堀田は一言そう言って椅子から立ち上がった。
そしてゴソゴソとカードゲームを取り出す。

「これやるか?」

「なにこれ。」

「これな、俺のダチの忘れ物。カードをひいて、ひいたそのカードのお題にそって、その言葉をどんな意味で伝えてるか言葉のニュアンスだけで伝えて相手がそれを当てるゲーム。」

「あ!なんか知ってるかも!流行してるよね!」

「俺の部屋、遊ぶもんないからそいつが持ってきたんだ。簡単に言うと君野がカードを引いた場合、猫の「ニャー!」のお題が出たら、怒ってるのか、甘えてるのかカードの指示があるから君野がその通りの「ニャー!」やってその中の候補を読み上げる。俺が当てる。簡単だろ。」

「やりたいやりたい!!」

「じゃあ、君野のニュアンスを俺が当てるからな。」

と、堀田はデスクの上にカードをバラバラに広げ混ぜていく。

君野はそのカードの山から適当な一枚をルンルンで抜き取った。そのカードをじっと見た後
堀田を上目遣いで見、

「これで終わりだね!」

と、大声で言う君野。それがお題のようだ。次に自分がどいういう意味で言ったか、カードのなかの候補を伝えていく。
堀田はしばらく考えその候補の中から

「文化祭の片付けがようやく終わった!だな?」

と選ぶと君野は「正解!」とカードを持ったまま頭上で丸を作った。

その後、君野は一方的にカードをひいては問題を伝え、堀田が当てに行く。
君野が吹き出してしまうほど、堀田が正解したカードの山がこんもりできる。

「堀田くんはこのゲーム得意なの?」

「いや、君野だからわかる。」

当然と言わんばかりの彼の言葉に君野はニマニマと小悪魔のようにくくく…と笑う。

僕を理解しているのは当たり前!
と言う彼のスタンスが彼にとっても愛おしすぎるのだ。

もう、正解していないのはカードの山の最後にいた1枚のカードだけだ。

君野はそれを素早く手にとって胸の前でわざと隠す仕草をして、いたずらっ子のような顔をする。

「じゃあ最後、行くよ…。」

君野が唇をきゅっと噛み締め最後の一枚を手に取る。

君野は堀田を見つめていた。沈黙がしばらく続く。
その静けさの中で、君野はぱあっと息を少し吸い込んで咳払いしてからこう言った。

「大好きだよ。」

堀田は一瞬、動きを止めた。
君野がその言葉を口にした瞬間、まるで世界が一瞬止まったかのようだった。

それは嬉しさでもあり、嫌な記憶も思い出された。

-ド変態-

鮮明に耳に蘇るその声。冷たい口調で、桜谷が自分を見下ろしながら放ったその言葉が、背筋を伝う寒気となって堀田を包む。

違う…俺は…

 
まばたきすら忘れるような、そんな瞬間。君野の言葉が彼の耳の中で反響して、心の中で波紋を広げていく。

堀田の声が、少し震えている。

目を逸らし、何かを言おうとして、言葉にできない。彼は一度、深く息を吸った。

「……か、家族とか?」

「え…不正解。」

「なら、ペットにか?」

「ううん。」

「友人にするやつか?」

「もう!全然違う!」

「ごめんな。いや、俺も流石に疲れたんだよ。」

君野が露骨に不機嫌になっているのがわかる。ほおを膨らませ、
手元に持っていた「大好き」のカードを両手で持って、それを太ももに乗せぷらぷらと動かす。

「どうしたんだよ。なんか俺が気に食わないことしたか?」

堀田はそう言って、彼の向かいに座っていた椅子からおりて、床に腰を下ろす。
視線を低くして
君野の膝に握られた手を触る姿はワガママプリンセスと執事のようだ。

「…ここまで完璧にわかる堀田くんが、どうして僕の好きは伝わらなかったんだろうって思ってるだけだよ。」

「ああ…まあ〝事故〟だよ〝事故〟。」

反射的に否定したい気持ちがこみ上げるが、心の中の鏡の中に映る桜谷の鋭い瞳がそれを許さない。

-君野くんに兄のフリして近づくなんて最低。所詮あなたはその程度の低レベルの人間よ。-

その声は幻聴のはずだ。
しかし、堀田の耳にははっきりと届き、鏡の奥で桜谷の冷笑が歪んでいく。
堀田は視線を逸らそうとしたが、逃げることさえ許されないかのように、その言葉が追いかけてくる。

違うんだ…違う…そんなつもりじゃ…

言い訳の糸口を探すが、自分が答えを知らないことに気づく。
鏡の中の桜谷がふっと消え、代わりに自分の顔だけが映った。

俺は変態でもなんでもない…!

「もう一回やっていい?」

「お、おう…。」

君野は再び「大好き」のカードを持っている。

「だ…」

と君野が言いかけたが、そこから言葉が続かない。
まるで硬い氷を口に入れられて閉じれなくなったようにあうあうと口がぱくぱく動く。

「だい…い…」

と、言いかけていたが、諦めて胸の前にまであげていたカードをまた太ももに下ろした。

「…そっか、僕が気持ち込められなかったんだ。」

と、顔が沈む。

「泣いてるのか…?」

堀田は、その情緒不安定な君野に落ち着いて対処する。
頬から涙が流れ出るのをみて指で拭った。

「なんでだろう、すごく罪悪感を感じてる…。堀田くんに大好きって伝えたいのに…このカードを見て読もうとすると黒い塊のような…もやもやしたものが見えて…。」

「いい。もうゲームやめよう。」

と、君野の太ももにあるカードを取り上げようとした

「違う!これはゲームなんかじゃない!!」

君野がキュっと目を瞑り、前に体を縮こませたままそう答えた。

「うううん!!」

そして首をブルブルと横に犬のように思いっきり振る。

「大好きだよ!!」

「!」

堀田はその言葉にようやくドキッとしたようだ。
いや、でも…

「……君野…」

堀田の声が、少し震え、彼の目が君野の目から逸れる。

何かを言おうとして、しかし言葉にできない。彼は一度、深く息を吸った。

「俺も愛してるよ。…兄弟として…。」

堀田はようやく口を開いた。しかし、その言葉は無理に冷静を装ったものだった。

君野に向けた表情は硬直し、内心の動揺を隠しきれない様子が伺える。

「伝わった?僕は今堀田くんに一体どの好きを伝えたか、わかる?」

君野が聞き返す。堀田の手を握り強くそう訴えかける。

「…」

「答えてよ堀田くん。」

どっちだ?
俺はどっちで答えるべきだ?

言いたい…もう解放されたい…
ここで本当の気持ちが言えたなら…
だが…

俺は…俺は…

堀田は頭の中で葛藤する。
そして

「…さ、…さんばん。」

その答えに
君野はその言葉にカードをみる。
3番は…

「…。」

君野の手からはその大好きカードだけがはらりと落ちていく。
裏返った3番は「親友に向けて」だった。

「あ、当たったか?」

「…うん。あたったよ。」

「そ、そうだよな…!そうだよな!ああよかった…!」

堀田は胸を撫で下ろす。

これで、よかったんだ…。

「…伝わらなかったんだ。」

君野がそうボソっと言う。

「なんだ?」

「ううん。」

君野は素早く落とした「大好き」のカードを取る。そういえばこれは堀田くんの友達のカードだった。

その紙のカードには、君野の爪痕が深く残ってる部分がある。

「あ…」

君野は小さく口をぽかんと開けた。

涙の雫がカードの上を転がり、黒いインクの文字を滲ませていく。
その一文字一文字が崩れていくたびに、君野の胸の奥に張り詰めていた何かがじわじわと解けていくような感覚がした。

もう元に戻らない――その事実が、どうしようもなく自分自身の姿と重なった。

堀田は知らない。
まさか今、君野が現在桜谷の記憶がないと言うことを…
その君野の思いはまた、月曜の朝に封印されるのだった。

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